慶應義塾大学法学部政治学科4年並びに体育会大学女子バスケットボール部の西理奈と申します。11月末に引退し、はや1ヶ月が経ちました。そして、現役の頃から恐れていた引退ブログの順番が回ってきました。自分の4年間をどのように綴ろうか、書き始めた今でもよくわかっていませんし、前回のブログで諸々を書き切ってしまいました。ですので、確実に拙い文章になります。最後までお付き合いいただけると幸いです。
4年間を綴るにあたって、私の感情ベースの話になるので、チームとは別軸のものだと捉えていただきたいです。
私の4年間は、無駄な劣等感と「どうにかなる」という根拠のない自信で全て説明ができます。というよりかは、劣等感しかなかったから、根拠のない自信がないとやっていけなかったと表現するほうが正確かもしれません。
私が、大学でバスケ部に入部しようと思った理由は、他の部員のように早慶戦に憧れてとか、自分を成長させたくてといった崇高な理由があったわけではありません。中学のときに1番下手くそで、ただそれが悔しかったからです。同じ理由で、高校も大学もバスケを続けました。下手くそだからです。「リバウンド以外ボールを触るな。」と言われ続け、それを引きずっていましたが、今考えるとそれは真理でした笑
そんな理由で入部し、1年生を過ごします。私のモチベーションは悔しさなのですが、大学でその悔しさになるものは、1年生の時の入れ替え戦でした。
ありがたいことに、1年生の頃から試合に絡むことができ、入れ替え戦も交代選手として経験しました。同期の2人がスタートとして活躍する中で、私は交代としてコートに立ち、何もできずにベンチに戻りました。無事入れ替え戦に勝利し、目標であった3部昇格を果たしチームが歓喜に包まれる中、私は自分のことしか考えられず、勝利を素直に喜ぶことができませんでした。コートで全く使い物にならなかった悔しさと、4年生がずっと望んできた勝利を素直に喜べない申し訳なさでいっぱいで、涙が止まりませんでした。試合に全く出られなかった中学時代より余裕で悔しかったです。側から見ると、大したことではないですが、私はこの悔しさを2度と味わいたくないと本気で思いました。チームと一緒に喜びたいと思いました。
だからこそ、2年生のリーグでスタートとして起用してもらったことは、自分の中ではすごく大きなことでした。ですが、やはり大事な場面で頼りなく、頑張りかたも分からず、たくさん迷惑をかけました。結局、自分のことでいっぱいいっぱいで、誰にも気を使えず、周りに助けられっぱなしで、周りに甘えっぱなしの、弱さしか見えない1年でした。
ここまでを読み返すとすごく私はネガティブな人間だなと思うのですが、私は窮地(?)に立つとなぜか急に余裕が出てきます。勉強していない教科の試験前に出てくる謎の自信に近い余裕です。おそらく開き直っているだけなのですが、2年生のシーズンが終わったあたりで突然「もう自分苦手なことしかないんだから、得意なことだけすれば良くね?」となり、できないことにフォーカスを置くことを辞めました。
もちろん、できないことをできるようになろうとする努力を辞めるわけではありません。ですが、「できることを誰よりもすれば、それはそれでいいんじゃないか」と開き直りました。今考えると、本当に無責任な考えで、自分に割と引いているのですが、個人的には自分の得意なことに目を向けるようになったのは、大きなターニングポイントだったのではないかと思います。
3年生のシーズンも至らない点ばかりでしたが、部に対する考え方や視野が変わった一年でした。今までの自分がどれだけ未熟で、どれだけ自己中心的だったかを改めて感じ、恥ずかしくなりました。
勝利のために、チームのために、4年生のために、何がベストなのか、たくさん考えました。そして、たくさん生意気なことを4年生に言いました。それでも、私たちを受け入れてくれて、信じてくれて、4年生の覚悟の大きさに圧倒されないように、結果を出すことに拘りました。先輩方の思いを知っていたからこそ、結果を求めました。4年生が信じてくれたから、初めて自信を持って勝利のために、自分はどうするのかを体現できた1年でした。目標達成した時に、チームの感情と自分の感情が同じで、私はこのチームに本当にいたんだなと、感じました。
「全進」のスローガンの下で、2部昇格を掲げ、最後のシーズンが始まりました。嫌というほどミーティングを繰り返しました。正直、4年生は死ぬほど長かったです。試合に出ることが怖かったし、大好きなはずのバスケをしたくない瞬間もたくさんありました。
でも、部員の誰かを思い浮かべると、頑張れない理由が分からないくらい、「全進」していました。それくらいみんなの熱量がすごくて、全員が頼もしかったです。だから、結果が残せなかったのは申し訳ないし、本当に悔しいです。
4年間を振り返り、1・2年生の頃は表に劣等感があり、それを埋め合わせるための投げやりで他人任せな持つべきでない自信に縋り付いていました。ですが、3・4年生の時の自信は、実際どうだったかは別として、自分でどうにかできるという、自分主体の自信だったと思います。その奥に劣等感があり、チームが勝つために自分がしないといけないという、自分を動かす力になっていました。考え方を変えられたのは、今まで関わってきてくださった方々がいたからです。本当にありがとうございます。
私は捻くれているので、信じるべき人を信じなかったり、頼るべき人に頼らなかったり、自分は1人で頑張らないといけない人だと思って、意地を張っていたり、そんなことばかりでした。だから、もっと周りを巻き込めたんじゃないかとか、もっと上手くできたんじゃないかとか、たくさんのたらればが出てきます。それがたくさんの後悔になるのが怖くて、引退してからは自分の引退試合のビデオも写真も見返していません。これは決して自分の4年間が満足じゃなかったわけでも、不満だったわけでもないです。むしろ、部活に入ってよかったとしか思わないし、本当に充実した4年間でした。
これは本当に人に恵まれたからだと思います。関わってくださった方々には、どれだけ感謝しても、感謝しきれないです。私は全く器用ではありません。その代わりに、脚力だけは誰にも負けたくないと思っていました。この不器用さを面白がってくれた、同期や先輩・後輩には感謝しかないです。ありがとうございました。
シーズンが始まる頃は「2部いけたらまじいけてね」など、調子に乗ったことを話していました。ですが、結果は2部には果てしなく遠い結果でした。
嬉しいことに「いいチームだった」と言っていただく機会が多くありました。ですが、結果を残せなかった事実は変わりません。どんなに良いチームだったと言われても、それ以上に結果が残せなかった悔しさが大きく、引退後に結局自分たちは何を残せたのかと考えることもありました。どんなにいいチームだったと言っていただいても、自分達の結果が悔しくて満足できない、負けず嫌いで結果に妥協のない同期が同期で本当によかったです。
何を考えても、結局は同期に出会えたことに落ち着くことに気付きました。同期への感謝は、たくさんあるのでまた今度直接言わせてください。
引退後に、多くの友人に言われて気付いたのですが、多分私はバスケと、バスケを好きな人が好きなのだと思います。先程下手くそだからとか色々書きましたが、結局はバスケが好きで部活に入ったのだと思います。私は、大学に入るまで人に頼ることが苦手でした。ですが、大学に入ってからは、本当にたくさんの人の優しさに甘え、たくさんの人に助けられ、4年間を乗り越えることができました。いつでも頼らせてくださる器の大きすぎる先輩方や、いつでも頼もしい同期、そして、だる絡みしても許してくれる後輩に出会えたことは、本当に人生の財産だと強く思います。経験した4つのチーム、どのチームもほんっとうに大好きでした。
支離滅裂な文章となりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。散々、弱音も愚痴も言いまくっていましたが、この4年間で経験した苦しさも悩みも、楽しかったことも、悔しかったことも全部財産です。1つ1つがあってこそ、今の自分がいます。
そして、周りの人たちがいなければ、乗り越えられなかったことばかりです。社会人スタッフの方々をはじめ、O B・O Gの方々、先輩方、部活を通し関わってくださった方々への感謝はどれだけしても、足りません。これからは、この気持ちをO Gとしてバスケットボール部に返していきたいと思います。本当にありがとうございました。