「自分にしかできないこと」-塚本萌花(主務/学生コーチ)

慶應義塾大学法学部法律学科4年ならびに体育会女子バスケットボール部の塚本萌花(CN:チャコ)と申します。

今回引退ブログを書くにあたり、先輩方の素晴らしい引退ブログのように4年間の集大成を書き納めることができるか不安はありますが、せっかくなので少しみんなとは違う道を歩んだ自分にしか書けない部分を皆様にお伝えできればと思います。

拙い文章にはなりますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。

憧れ

私が入部した一番の理由は、体育会への憧れ、でした。

私が初めて体育会に憧れを抱いたのは、小学5年生の時に観戦した代々木第二体育館での早慶戦です。大学生が作り上げたものとは思えないほどの完成度と会場の一体感、そして何よりも繰り広げられる熱い試合に小学生ながら圧倒されたのを今でも覚えています。それから見に行ける年は毎年観戦しに行くほど、憧れと純粋に試合を観戦する楽しさを感じていました。まさか10年後、自分自身がこの早慶戦の運営スタッフとして作り上げることになるとは思ってもいませんでした。

憧れの代々木での早慶戦。やっと想いが叶ったのは最後の年でした。新型コロナウイルスの影響や体育館の都合で、入部から3年間は一度も代々木で開催することが出来ませんでした。勿論、代々木ではないから気持ちが入らないということは全くなく、たとえ無観客でもライブ配信を見てくださる方に自分が感じた早慶戦独特の熱さや感動を伝えたいと思っていましたし、必ず伝わるだろうとも思っていました。実際に、運営スタッフとしてメインで関わった3年生の時の早慶戦は、無観客での開催だったため会場には現役学生・社会人スタッフのみしかいませんでしたが、それでも早慶戦独特の空気感を感じるには充分で、開会式の曲が流れたときに鳥肌が立ったのを覚えています。

でもやっぱり、バスケットボールの聖地・代々木第二体育館での早慶戦は特別でした。最高学年ということもあり、ずっと見てきた早慶戦も学生として参加するのは最後でした。これまで伝統を繋いできてくださった先輩方のために、少しでも早慶バスケットボール部に興味があり見に来てくださる方のために、今後入学するかもしれない高校生以下のために、全ての方々に恩返しできる最高の機会でした。

実力差では圧倒的に格上の早稲田相手に、対策を練り、春シーズンの集大成として万全の準備をしました。結果としては大敗したものの、緊張感の中、観客の声援を糧にこれまで自分が見たことがないほどチームが一つになり、一番記憶に残る試合となりました。自分が小学5年生の時に感じたあの感覚を再び感じることが出来たのです。

また、何よりも嬉しかったのが、試合を見に来てくださった方から、「楽しかった」という言葉をたくさんいただいたことです。バスケに詳しい人も、ルールをそこまで知らない人も、試合を見て「楽しい」という感情になってもらえたことは、最高の恩返しが出来ているのではないかと感じられたからです。

80年続く伝統ある早慶戦に携わることが出来、改めて塾バスケットボール部に入って良かったなと思えた瞬間でした。

「憧れ」のきっかけになった早慶戦

應える慶び

この言葉はある先輩がブログか何かに載せていた言葉で、マネージャーとして入部した私は、4年間この言葉を軸に部活動に取り組もうと決めました。

私は高校まで選手をしていましたが、大学ではマネージャーの道を選びました。理由も単純で、自分がバスケットボールで貢献するよりも、それ以外の面からの方が貢献できると感じたからです。元々は、出身中学から学生コーチの話もいただいていましたが、幼い頃から抱いていた体育会への憧れと、今ある縦の繋がりを自分自身が繋げていきたいという想いが強く、その想いを発揮できるのはマネージャーだと思ったからです。勿論、バスケットボールがうまかったらな…なんて考えたことも何度もありますが、この4年間、マネージャーだったからこそ本当にたくさんのことを経験させてもらえましたし、人としても成長できた部分が大きく、マネージャーを選んで良かったとずっと思っています。

他の部活を見ても、女子部のマネージャーをしている方は少数派で、実際に女子バスケ部も内部出身者がかろうじて数人続いたり、続かなかったり、という現状です。この引退ブログを通じて、入学予定の高校生や現役大学生が1人でも多くマネージャーに興味を持っていただければ幸いです。

では、マネージャーは何をしているのか。あくまでも私が過ごしてきた4年間ですが、感じた想いと共に綴らせていただきます。

1年生の時はただがむしゃらに過ごしていました。朝練では先輩のシューティングを拾い、練習中はタイマー、ビデオ撮影、備品を出したりといわゆるマネージャー業をこなすだけでした。部にマネージャーがほとんどいなかったこともあり、それらをこなすだけでも何かしている感が出てしまい、ただただそれに満足してしまっていました。しかし2年生になるタイミングで役職に就くということもあり、これでは誰でもできることをただこなしているだけと感じ、そこからは自分にしかできないことを少しずつ増やすことを意識しました。朝練は一番最初に行っていつ選手が来てもすぐ打てるように準備をし、練習中はバスケットボールの指摘を増やしたり、練習外では2年生としての学年の在り方について話す機会を設けたり、など。当時は自分自身の存在価値を見出すことに必死だったのかもしれませんが、下級生でも自分が思ったことを行動に移せる環境が整っていたことはとても有り難いことでした。

がむしゃらに過ごしていた下級生時代

3年生では、自分自身に転機が起こります。秋のリーグ戦、初戦に敗戦したことがチームにとっても勿論、私にとっても大きな転機になりました。試合中、私はいつもスタッフとしてベンチにいるのですが、その試合は自分自身が何もできない無力さと、バスケットボール部にいる価値を失った感覚に陥りました。2部昇格を目標にこれまでチーム一丸となって必死に取り組んできたのに、あれだけ練習したのに、選手が思うようにバスケットボールを発揮できていない姿を見ても、自分はただベンチで声を出して応援することしかできなかったのです。それまでチームのために行動し、チームや選手の成果が自分のことのように嬉しかったのに、結局は自分のためにしかなってないのではないかとまで思いました。

翌日、私は主将にバスケットボール面での貢献をさせてほしいとお願いしに行きました。先輩方はそれを快く受け入れてくださり、むしろお願いしたいという言葉をいただきました。この大会が終わるまで、4年生が引退するまで、コートの外からできる最大限を尽くそうという想いが一層強くなりました。これもマネージャーとして活動していたからこそ担うことが出来たことだと思っています。

4年生になると、それまで以上に本格的に学生コーチとして取り組むことになりました。主務と学生コーチを兼任することになったため、一人では抱えきれないほどの重圧がかかりました。一人で抱え込んでしまいがちな私は、両立に何度も挫折しかけましたが、たくさんの人に頼ることを覚えた一年でした。

コーチとしての経験が浅い私は、社会人スタッフの方々に多くのことを教わりながらも、学生の考えをたくさん共有させていただきました。その中で、我々の考えを尊重し、支えてくださいました。また、バスケットボールをプレーするのは選手たちなので、プレー中に感じるものを大切にしたいと常に考えていました。1プレーごとに選手自身の感じたことや考えを言語化してもらい、チーム全体の共通認識を高めていきました。選手からしたら、常に何が最適で、どうすればいいのか、を考えていなければならないため、なかなか言語化できなかったり、チーム全体での認識がずれていたりすることもたくさんありました。それでも練習を重ねることで、繋がるプレーも次第に増えていき、そのプレーが試合で出たときは非常に嬉しかったです。他にも多くの方からアドバイスをいただいたり、なるべく体育館に残って選手と関わる時間を積極的に取るようにしました。先輩・後輩関係なく、選手とたくさんコミュニケーションを取り、意見を出してくれることで、私自身の選択肢が広がり、自信に繋がりました。正直、自分は頭だけを使っていれば良かったので、体を酷使しながらも頭の中は冷静な状態でバスケットボールをしている選手たちにいつも尊敬の念を抱いていました。どんなに辛くても走り、ボールを追い、声を出す姿を見て、何度も奮い立たせられましたし、みんなのために勝たせてあげたいと何度も思いました。一つ一つの勝利のために誰よりも貪欲になり、自分がプレーできないからこそ、その思いを全て託す覚悟で取り組んでいました。

もちろん上手くいく日々ばかりではなく、何度も壁にぶつかり、このままでは勝てないと弱音を吐いたり、きつい言葉を口にすることもありました。それでも同期や、後輩たちがチームの勝利のために各々ができることを考え尽くし、行動に移してくれたことで少しずつ思い描いたチーム像に近づくことが出来たのではないかと思います。

ここまで読んでいただいた方はお気づきかと思いますが、私はひたすら自分のやりたいことにたくさん挑戦させていただきました。女子バスケットボール部には、挑戦できる環境があり、それを支えてくれる仲間がいます。マネージャーという枠にとらわれず、学生スタッフとして様々な面からチームの成長に貢献できることが最大の魅力です。

挑戦することは簡単なことではなく、責任も伴います。しかし、それでも成功を信じて取り組むことは愉しいことが多く、なによりも私はこの4年間、学生スタッフとして選手やチームの想いに應えることが自分の慶びでした。

チームの想いに應えることが慶びだった

出会い

私は体育会女子バスケットボール部に入部したことで様々な人に出会うことが出来ました。育ってきた環境、考え方、好みがこれまでも異なる人々に出会えたのは初めてでした。

小学校から高校生までは一貫校の閉鎖的空間に閉じ込もり、同じような思考の人と関わり、同じような毎日を過ごしていました。勿論、これまでも全く外部との関わりを持つ機会がなかったわけではありませんし、私自身は開かれたと思っている大学生活は、他の方にとってはかなり閉鎖的に感じると思いますが、それでも私の中では様々な人に出会えたと感じています。

一つの物事に対してここまでも真剣に取り組むことができる人

チームの目標のために自分自身に何ができるかを常に考えられる人

選択肢を絞らず、複数の視点で物事を捉えることができる人

これまで見たことがなかった世界を知ることが出来、この4年間だけではなく、今後の人生においても財産となるような人に出会うことが出来ました。

その中でも特にお世話になった方々に感謝を綴らせていただきます。

目標に対して決して妥協することなくチームを導いてくださった先輩方。先輩方には、何度も自分が頑張る意味を見つけていただきました。先輩方がいなければ頑張れていなかったと思います。偉大な背中を追うことができて、一緒に戦うことができて、幸せでした。ありがとうございました。

頼りない4年生にもかかわらず、4年生のために頑張りたいと何度も口にしてくれた後輩たち。こんな4年生を信じてついてきてくれてありがとう。来年は必ずや目標を達成し、最高のチームになってください!

そして同期。たくさんの選択肢があることを教えてくれてありがとう。自分が見てきたバスケットボールをたくさん押しつけて、こうあるべきだと言い張ったり、数え切れないほど心ない言葉を口にし、諦めかけたこともたくさんあった。それでも私を信じてくれて、任せてくれて本当にありがとう。

他にも、私は学生スタッフとしてたくさんの方と出会う機会がありました。OBOGの方々をはじめ、学連、他大学、他の体育会、など。様々な方に出会う度に、自分たちは多くの方々の支えや協力がありバスケットボールに打ち込むことが出来ているんだと痛感する日々でした。部の代表としてその感謝を伝えると共に、結果や成果で恩返しができるよう、応援してもらえるチームでいられるよう、日頃から心がけていました。

新型コロナウイルスの影響もたくさん受け、最後まで思うように活動できなかったり、制限がある日々が続きましたが、何よりも皆様のおかげで充実した日々を送ることが出来ましたし、自分たちは非常に恵まれているということに気づけたことが幸せでした。

改めて、これまで多大なるご支援、ご協力いただいた皆様にこの場をお借りして感謝申し上げます。今後も塾女子バスケットボール部の発展にご支援、ご声援いただけると幸いです。

私も一人のOGとしてたくさん応援したいと思います!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

「出会えた」同期