慶應義塾大学理工学部4年ならびに体育会大学女子バスケットボール部の頃末沙樹と申します。どうぞ宜しくお願い致します。
私がこれを書くのは2回目です。前回は「AIちゃん」という題で自分のキャラクターについて書かせていただきました。今回は引退を受けて、ということで書かせていただきます。いい機会なので、自分のバスケ人生について「分析」してみようと思います。
私たち4年生は11月に引退致しました。私は1年生の終わりからの入部だったので、約3年間をこのバスケ部で過ごしたことになります。入った当初は、右も左もわからずてんてこ舞いになっていたのを今でもよく覚えています。そんな時、まだ知り合ったばかりではありましたが、この同期がいてくれたからこそ乗り越えられたと感じています。
コーチのいなかった高校時代は自分たちで練習も試合もやらなければならず、葛藤が多くありました。人数も少なく、外からの指摘もあまりなかったのです。後輩たちが同じ思いをしないように、という思いもあって、大学1年生の時はコーチをやっていました。しかし、コーチという立場で試合に関わっていた一方で、プレイヤーを見ていると時折自分がプレーしたいという気持ちに強く駆られました。中学時代から知り合いだった梅木が早慶戦でベンチにいるのを見ても、體育會という世界で、コーチのいる下で、バスケをやりたいと思いました。以前より、自分がコーチをやるという選択肢を消して考えた時、體育會は勉強との兼ね合いを考えても自分には厳しいだろうと言う気持ちと挑戦してみたいという気持ちの両方を持っていました。高校生の頃は前者に傾いていたのですが、少しずつ挑戦をしてみたいという気持ちに傾いていきました。
毎年行われている慶應フェスティバルという塾内のバスケ部が集結し交流戦を行うイベントに参加した時に、體育會に入るか悩んでいる旨を體育會の方々に伝えると皆誘ってくださり、さらに気持ちが傾きました。2年生になる直前、本格的に周りに相談をし、入部を決意しました。
大学でのバスケでは、高校時代とは異なる葛藤がありました。
同じ学生主体であってもコーチがいることや、勉強との兼ね合いを始めとした様々な要素がそこにはありました。予想していたこと、予想していなかったこと、予想していたけれど予想より大変だったこと。特に勉強との兼ね合いは自分にとって、やはり大変なものでした。行きたい研究室と部活のどちらをとるのか。そういった決断を迫られたのです。私の決断で迷惑をかけたこともあるとは思いますが、理解を示してくれた同期や周りの方々がいたために、これまで続けてこられたと強く思います。
また、引退時に後輩一人一人へ手紙を書きました。手紙を書きながら1年を振り返っていると、後輩への感謝の気持ちが溢れ出てきました。表現が乏しくて上手く言葉にできた自信はないのですが。3年生、2年生、1年生の力があったからこそ3部定着への第1歩となる結果を出せたのだと思います。一人一人が各々役割を持って行動した結果だと思います。ありきたりの言葉ですが、そう感じるのです。感情がなかなか表に出ないといわれるAIちゃんですが、リーグ戦中の初勝利や3部残留決定時に涙しそうになったのは周りの支えの実感と、それによって目指してきたリーグ戦で目に見える形で結果を手にできたことが大きかったように思います。
「感動」とは正にこのようなことを指すのでしょう。
目標達成は果たせませんでしたが、次の学年へとつながる結果が得られたことは良かったと思います。そして、嬉しく思います。
余談ですが、最近ゲーム実況を見たり自分もゲームをしてみたりするようになりました。ゲームというのはe-Sportsと呼ばれることがあります。ゲームも技術があり、基礎的な練習や実践練習、対戦、チームワーク等、バスケのような体を動かすスポーツと通ずるものがあるのです。人によって差はあるものの、練習の他に上手な人のビデオを見たりアドバイスをもらったり自分のプレーの動画を見て反省したりすることで上達することができます。チーム戦では互いに声を掛け合うことで協力を図ることもできます。ゲーム実況で見る人を楽しませることができるのも、試合観戦で楽しませるという点で似ていると思います。
バスケをやって得られたものはこのように他の分野にも通じていて、新しいことを始めるときや他の分野の人との対話で活きるだろうと感じます。コーチとプレイヤーの両方を経験したということも含め、バスケを通じて自分の視野を広げることができたのではないかと思います。
引退を受けて、私の中でバスケに関して一段落がつきました。バスケを通じて得たものを大切にしながら今後も過ごしていきたいと思います。
特に同期のみんな、これからもよろしく。