慶應義塾大学環境情報学部4年ならびに体育会女子バスケットボール部の中島花(CN:ルイ)と申します。拙い文章ですが、自分の想いを綴らせていただきます。最後まで読んでいただけると幸いです。
昨年11月、小学6年生から始めたバスケ生活に終止符を打ちました。バスケを始めたきっかけは転校した小学校にバスケ部しかなかったからです。始めは行くのも嫌でサボろうとしていた私が、当時のミニバスのチームの中で唯一バスケを続けている最後の1人になりました。ここまで続けてこられたのはバスケが好きだからという理由一つです。その時バスケの面白さを教えてくださった先生とチームメイトへの感謝もこめてこのブログを始めさせていただきます。
私は9月入学のため、途中入部という形で体育会に入りました。そして、私の大学バスケは前十字靭帯再建手術から始まりました。高校で痛めた膝を治すことからのスタートで、なかなかコートに立つことはできませんでした。
プレーできないにも関わらず4月ではなく9月入学での途中入部を選んだ理由は二つあります。一つは当時の4年生と同じチームになりたいと思ったからです。私が高校3年生の時に見学させていただき、大学バスケに刺激を受け、この方々と一緒にバスケをしたいと思いました。同じチームにいられた時間は短かったですが、チームメイトとして3部昇格の瞬間を共に過ごせたことを心から嬉しく思っています。
もう一つはこの代に入りたかったからです。私はメイ(眞尾瞳/商学部)たちが1年生の時の早慶戦を観客席から見ていました。そのとき既に1年生の2人がスターティングメンバーでプレーしているのを見て、あの子達と同じ代に入れたらどんなに楽しいだろうとワクワクしたのを今でも覚えています。大きな舞台で堂々とプレーする姿は本当にかっこよく、その時からずっと憧れていたんだと思います。
ここからは入部後の話をさせていただきます。
冒頭でもお話ししたとおり途中入部だったので、既に仲が良い同期の輪に飛び込むのはとても勇気のいることでした。特に当時「1年生は仲が良い」と先輩から聞いていたので自分が入ることで乱してしまわないか、受け入れてもらえるのか不安でいっぱいでした。しかし、同じ高校からお世話になっていたソラさん(梅田香/R2卒)ナミさん(小福川莉奈/R2卒)が気にかけてくださり、同期とも少しずつ溶け込めるようになりました。少し異例なケースでの入部を同期は快く受け入れてくれました。簡単に書いてしまいましたが、この時嫌な顔一つみせず迎え入れてくれた同期がいてくれたから今の自分がいると思っています。まだ私のバスケも、私自身のことも知らなかったのにすぐに歩み寄ってくれた同期には感謝してもしきれません。
この4年間私はベストコンディションでバスケをすることができませんでした。怪我を何度も繰り返すというよりは手術した膝の痛みが消えることがなかったからです。そして膝を庇おうとして別のところを痛める、負の連鎖でした。痛い箇所がないことはない。プレイヤーとしては致命傷です。もちろん調子がいい時もありましたが、これからだという時にまた疲労が溜まって大きな痛みになる。その繰り返しでした。全て自己責任なので私の「自己管理不足」の一言に尽きますが、それでもやるせない気持ちは積もるばかりでした。リハビリに通っても注射を打っても痛みがなくならない、思うように動かせない、自分の情けなさに腹が立つと同時にこんな中途半端なやつがコートにいていいのかと自信をなくすことが多くありました。そのたびに、自分がこのチームにいる存在意義を考えるようになりました。
ありがたいことにミニバスから試合に出させていただいていた私はコートに立つことの難しさに直面し、大学2年生の頃バスケをする意味がわからなくなったことがあります。なぜ自分はバスケをしたいのか何のためにバスケをしているのか考えた時、1番に出てきたのはやはり、バスケットボールというスポーツが好きだからでした。しかし、コートに立てないのなら意味がないのではないかと、葛藤する時期もありました。その中で、自分のモチベーションは「誰かのモチベーションになること」だと気づきました。存在意義の話にも繋がりますが、誰かの頑張る糧になることが自分の頑張れる理由になると感じたからです。「ルイが頑張っていたから頑張ろうと思えた」と言われるだけでもっと努力しようと思えました。試合で貢献できない分、練習でどれだけ自分を魅せてチームに貢献できるか考え続けた1年でした。
自分のやることが明確になったことで3年生からはチームへの関わり方が変わりました。練習に取り組む姿勢、そして何よりもバスケを楽しむことを忘れないということを意識してプレーするようになりました。スキルに大きな差はありませんでしたが、気持ちの面でプレーに余裕が出たと感じています。少しずつ周りを見られるようになりました。間違っていると思った時に指摘するのもそうですが、楽しいと思ったことをチームメイトに共有することを特に心がけていました。この楽しい瞬間を忘れてはいけないと思っていたからです。また、誰かに見ていて欲しければまずは自分が人に関心を持って思ったことを伝えなければいけないと思い、とにかく話しかけることを意識していました。考えるだけではなく行動に移すことで成長できた1年だったと思います。
そして4年生、最後の年は濃く、本当にあっという間でした。最後の年もコロナの影響で思い描いていた1年ではありませんでしたが、ここまでどれだけの人に支えられてきたか、どれだけ恵まれていたか、改めて感じることができました。
最上級生になってチームを作る中で役割分担の大切さを再認識できました。個性の違う5人だからこそ作れたチームだと思っています。常に前を走って背中を見せる人、全体のバランスを見ている人、小さな変化に気づく人、雰囲気を作る人、横のつながりを見る人。全員でお互いを支えながら大きく進化できたチームでした。目標には届きませんでしたが、届きそうだったからこそ心から悔しいと思うことができています。4部から始まったチームが2部昇格を目指すまでに成長しました。この進化を自信に変えて来年以降、後輩に託します。
また、今年は副将として主将のサポートはもちろんですが、違うと思ったことをストレートに指摘することを心がけていました。影響力のある主将だったからこそ、私は否定の視点から入ることを意識しました。ストイックで真面目な彼女を指摘することはほとんどありませんでしたが、何でも話せるいい関係を築けたと思っています。そして私自身、後輩の声に救われた1年でした。同じ状況で葛藤する後輩からもらう言葉は私の原動力となりました。最後まで信じてついてきてくれてありがとう。誰1人欠けてはいけないと自信を持って言える同期、後輩に出会えたことを心から幸せに思います。
この4年間を通して体育会女子バスケ部で得たものは思考力と繋がりです。何か課題があげられるたび「なぜ」「どうして」「どうすれば」と細かく分解して考える癖がつきました。これは何度もミーティングを重ねて互いに意見をぶつけてきたからです。自分の意見を突き通すのではなく、自分と考えが違う人はなぜそう思うのかを話し、寄り添いあって結論を出すことができるようになりました。そして歴史ある体育会バスケ部に所属したことでOG・OBの方々と関わる機会をいただいたり、他部活と交流したりすることができました。たくさんの繋がりを提供してくださったバスケ部に感謝しています。
最後にこの場をお借りして感謝とともに尊敬できる同期を自慢させていただきます。ずば抜けたキャプテンシーを持ったメイ(眞尾瞳/商4)は誰よりも責任感が強く妥協を許さないプレイヤーの鏡でした。最初から最後まで先頭に立って走るのは不安でいっぱいだったと思います。それでも堂々と引っ張ってくれて本当にありがとう。副将として隣にいられたことを誇りに思います。誰よりも冷静に物事を判断するハク(武藤怜/商4)にはたくさん助けられました。敏感が故に苦しんだことも少なくないと思います。いつも気にかけてくれて、手を差し伸べてくれて本当にありがとう。ムードメーカーとしてチームを明るくしてくれたリン(西理奈/法4)、同期5人でコートに立つことを信じ続けてくれて本当にありがとう。リンの貪欲さは私に刺激をくれて、バスケに対する熱意を本当に尊敬していました。そしていつでも優しい笑顔で和ませてくれたエマ(ビディンガー美亜/商4)、思うようにバスケができない時、一番近くにいてくれて本当にありがとう。辛い顔をみせず、温かくそばにいてくれたから最後まで走りきれました。最後一緒にコートに立てて嬉しかったです。
ここまで長々と書かせていただきましたが、11年間続けてきて結局思うのは「バスケットボールは面白い」ということです。バスケに「絶対」はなく、最後の1秒までどうなるかわからない、ワクワクドキドキする面白いスポーツです。見るのも面白いですが、自分がチームメイトとうまく合わせられた時のあの感覚はたまりません。その一瞬を味わうためにここまでバスケを続けてきたと言っても過言ではありません。それぐらいプレーしていて楽しいスポーツでした。大好きなスポーツを通して繋がれた先輩、後輩、同期、そして経験できた感情、どれも私にとっては一生の財産です。バスケットボールというスポーツに出会えて本当によかったです。最高に楽しいバスケ人生でした。
これからまた新しく熱くなれるものを探し、さらに成長していきます。これまで支えてくださり本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願い致します。今度はOGという立場で慶應バスケ部のサポートをしていきます。これからも慶應バスケ部の応援よろしくお願いします。
最後まで読んでいただきありがとうございました。