4度の早慶戦を通じて-林えみり(主将)

慶應義塾大学理工学部4年ならびに体育会女子バスケットボール部の林えみり(CN:アン)と申します。拙い文章ではございますが、最後までお付き合いいただければ幸いです。

この引退ブログを執筆しているのは2023年1月下旬で、昨年11月の引退から2ヶ月が経ったタイミングです。そんな今の私の思いを、4年間の体育会生活を振り返りながら、綴らせていただければと思っております。私の4年間の部活動を振り返るにあたり、何が一番この4年間を象徴しているのかを考えると、それは早慶戦なのではないかと思いました。もちろん、チームの最も大きい目標は秋のリーグ戦であり、私も毎年リーグ戦でチームの目標を達成するために日々練習に打ち込んでいました。しかし、早慶戦は年に1回開催される伝統のある試合で、附属校出身の私にとっては中学1年生からずっと観客席で観ていた憧れの舞台でしたので、今回は経験させていただいた早慶戦に沿ってこの4年間を振り返っていきたいと思います。

2019/6/22 @早稲田大学早稲田アリーナ

私にとって初めての早慶戦でした。今まで経験したことのない広い体育館でたくさんの方の声援を受け、関東リーグ1部の早稲田大学と試合ができる、試合前の私は試合ができることを待ち侘びていました。また、観客席には中学、高校の後輩が応援に来ており、去年までは自分も観客席にいたのに、今年はコートで実際にプレーする側になると思うとなんとも感慨深い気持ちになりました。

しかし、試合が始まると状況は一変しました。もともと格上相手に自分ができることが限られていることはわかっていましたが、想像以上に為す術がなく、自分の無力さを思い知らされました。それと同時に、早稲田のスピード、フィジカル、シュート力を肌で感じ、トップレベルのバスケを目の当たりにしました。結果は25対115、完敗です。点数が全てではないと思いますが、自分自身と相手のプレーの差はこの点差と同等かそれ以上のものでした。同じ大学生のはずなのにこんなにも差がつくものか、と愕然としたことを覚えています。しかしながら、こんなにも大敗を喫しているのにも関わらず、試合があっという間に終わってしまったのです。つまりそのくらい何もできずに40分間が過ぎてしまったということです。試合後は、せっかく時間を作って試合を観に来ていただいた方々や日頃から応援してくださる方々に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。この試合を機にその方々への恩返しのためにも、4年間でレベルアップして、見える形で結果を残したいと思うようになりました。

最初の早慶戦

2020/12/19 @慶應義塾大学日吉記念館

新型コロナウイルス感染症の影響で、延期そして無観客での開催となりました。また、この試合は当時の編成チームの最後の試合でもあり、かつ4年生の引退の日でもありました。1年前の試合とは異なり、会場はとても静かで、去年はコート内から全く聞こえなかったベンチからの声がとても良く聞こえ、改めて声援の大切さやありがたみを知ることができたのを今も覚えています。

試合結果は30-113。点数だけ見ると今回も完敗です。しかし、チームとしては1年前とは違うように私は感じました。チーム最終戦ということもあり、格上の相手に対して我武者羅に喰らいつこうとする姿や、何か爪痕を残そうとする姿をYouTubeでの配信ではありますが、応援していただいている方々にお見せできたのではないかと思います。特にアコさん(柴田祥子さん/R3年卒)の試合終了間際の2連続3ptは感動しました。その時のベンチの盛り上がりを今でも鮮明に覚えていますし、チーム最後の日の4年生の勇姿を観ていた私は、このチームで1年間バスケができて本当に幸せだったと改めて感じました。

そんな中、私の状況はというと、試合の2ヶ月前に足首を捻挫し、早慶戦前の六大学対抗戦からプレー的にも精神的にも調子が上がらない日々が続いていました。痛みはほとんどないはずなのに、無意識に足首を庇っていたり、根拠はないですが自分のプレーがチームに馴染んでいないような気がしたり、怪我前の自分と何か違うような気がするけれどその“何か”がわからない。当時怪我が少なく、一定期間全体練習から離れるという経験をほとんどしたことがなかった私は、このモヤモヤした感情の解消法がわからず、苦労したことを覚えています。

そんな背景もあり、私自身の早慶戦でのプレーは前回と同じかそれ以下でした。試合に出させていただいているのに心身共に完全な状況でプレーできていないことへの罪悪感や、せっかくの早慶戦で自分の役割を全うできていないこと、さらにはチーム最後日であるのにも関わらず試合を心から楽しめていない自分がいること。自分の不甲斐なさを感じました。

今考えると当時の私はバスケが嫌いになっていたのではないかと思います。それまで“バスケが好き”という気持ちだけでバスケを続け、その気持ちの強さで嫌なことや辛いことを乗り越えてきた私にとって、その気持ちだけではどうにもならない問題に直面していたと思います。最終的にこの気持ちは早慶戦後の試験期間中にバスケから少し距離を置く(自主練習はしていましたが)ことによって、少しずつ時間とともに解決していきました。しかしながら、この怪我をしてから早慶戦までの2ヶ月間という時間は12年間の私のバスケ人生の中で大きなターニングポイントになったのではないかと思っています。この期間、さらに言えば早慶戦で悔しい思いをしたからこそ、自分の弱さを知り、自分に正直になれたのだと思います。そして、来年こそは早慶戦で結果を残したい、変わった自分を見せたいと思うようになりました。

2021/6/27 @早稲田大学早稲田アリーナ

この年も無観客での実施となりました。2年前と同じ体育館であるはずなのに、観客がいないだけで雰囲気が全く異なっていました。結果は56−97。過去の2年間の結果に比べ、早稲田との点数差が縮まっています。試合内容もそれに伴って、自分たちが得意としていた速攻が出たり、セットプレーが綺麗に決まったり、DFのトラップが上手く行ったり。過去2年間の早慶戦に比べて、練習していたことが発揮できた試合でした。それだけでなく、技術では劣っている早稲田に対して、ルーズボールなどの技術ではない気持ちの部分では負けていなかったのではないかと思っています。

自分自身としても、このシーズンから練習していた3ptが決まったり、自分よりも身長が約10cm高い相手を一人で守りきれたりと手応えを感じることができました。ジャンプシュートを後ろから相手にブロックされた時はNBAか!と思いましたが。笑

この試合でもチーム、個人ともに課題は山積みでしたが、逆に格上の相手に対して通用することや自分たちの方が優っている部分を見つけることができたともに、何より早慶戦を楽しむことができたのが一番の収穫でした。今までは相手にやられっぱなしの40分間でしたが、今回はこういうプレーやってみよう、これは通用しない、じゃあ次はこれを試してみよう、と試行錯誤しながら、せっかくの機会を充実したものにしようという思いでプレーをすることができました。さらにこの試合もあっという間だったという印象でしたが、今までとは違い「もっと試合がしたい!」という初めての感情を抱いたことに、自分自身でも驚いたのを覚えています。

このように今回の早慶戦はプレー面でも精神面でも成長できた試合であり、同時に秋のリーグ戦に向けて自分たちの手ごたえを感じることができました。しかし一方では、来年自分たちが最上級生となった時にこのような試合ができるか、と不安になりました。技術的にも精神的にも中心であった当時の4年生が抜けたチームで戦う来年の早慶戦が、当時の私には正直に言って想像できませんでした。私はこの試合を機にチームについて真剣に考えるようになり、それまでは現実的ではなかった“自分たちの代”が急に現実的になりました。この早慶戦はそんなきっかけを与えてくれた試合でもありました(これは私の場合なので、この文章を読んでくれている後輩がいたら、是非とも参考にしないで欲しいです笑)。

2022/7/2 @代々木第二体育館

3年ぶりの有観客での実施、さらに私にとっては初めての代々木第二体育館での試合になりました。私が附属校時代に応援に行っていた早慶戦と言えば代々木第二体育館というイメージもあり、また自分の最後の早慶戦ということもあったので、今までとは違う、特別な思いで試合に臨みました。

結果は47-96。点数だけ見ると去年とほぼ変わりません。しかし、前半終了時の得点は28-33、5点差でした。これは、自分たちの目標としていた“攻撃的なDFからの速い攻め”を体現することができた結果だと思います。しかし、後半は早稲田の強さを痛感した試合となりました。早稲田はハーフタイムで修正し、スピードもシュート率も前半とは一回りも二回りもレベルアップしていました。その一方で、私たちは前半でできていたことが後半まで継続できなかった、これが関東1部と関東3部のチームの違いだと感じました。この試合は今までとは異なり、正直長いと感じました。特に前半はその思いが強く、ハーフタイムに入った時にはすでに4Qまで終わったのではないかくらいの気持ちでいました。これは、早稲田に対して少し戦えるようになった証拠なのではないかと私は思っています。3年前、為す術がなく流れるように過ぎていった試合から、良い意味で長いと感じられるようになったことは、成長したと言えるのではないでしょうか。

また、この試合で嬉しかったことがあります。それは、試合からしばらく日が経ち、試合中に撮っていただいたチームの写真を見た時のことです。試合に集中し真剣な表情の写真の中に、沢山の笑顔の写真を見つけることができました。良いプレーをした後にハイタッチをしている写真、ベンチで学年関係なく盛り上がっている写真。試合に出ている人もベンチで応援している人も、チーム全員が一つの目標に向かって努力した結果なのではないでしょうか。これらの写真を見て、試合前のチーム運営や練習の組み立てなど、苦しかったことも多かった早慶戦でしたが、これまで頑張ってきてよかったと思えるようになりました。これは同時に4年間の中で一番思い出深い早慶戦になりました。

「笑顔」が溢れた写真を見て頑張って良かった
と思えた

チームの団結力を感じられた

4年間を振り返って

ここまで私が経験した4年間の早慶戦を振り返ってまいりましたが、早慶戦に関して言えば、あまり悔いは残っていません。なぜなら、だんだんと格上の早稲田に対して通用する部分が増え、またたくさんのことを学ぶことができたからです。

しかし、秋のリーグ戦は違います。私は4年間を通して、一度もチームで掲げた目標を達成することができませんでした。簡単に達成できてしまったら目標としてどうなのか、という考えもあるかとは思いますが、目標を立てる以上はやはり達成したいと思うものです。特に最後の2年間は共に“リーグ戦2部昇格”という目標を掲げていましたので、引退から2ヶ月経った今でも「2部に行きたかったな」という思いは残っていますし、目標を達成するにあたって自分に足りないものは何だったのだろうか、どんな選択をしていたら目標を達成できたのだろうか、などと考えてしまいます。

しかし、一つだけ自信を持って自分の決断が正しかったと言えることがあります。それは、4年前に慶應義塾大学女子バスケットボール部への入部を決めたことです。今まで私は附属校時代に早慶戦の舞台が憧れだった、という話をしていましたが、実はバスケ部への入部を即決したわけではありませんでした。理工学部に所属していることもあり、学業と部活動の両立ができるかという不安もありましたし、何より体育会に所属していない、私の周りの学生が資格の勉強やインターンなど将来について考えて行動している中、自分はバスケが好きだからという理由でバスケをし続けて良いのかと考えていたためです。実際、この4年間は楽しいことばかりではなかったですし、楽しいことよりも大変なこと、辛いことの方が多かったのではないかと思います。正直、徹夜で課題の実験レポートを書いている時や旅行に行っている友達のSNSを見た時などは、バスケ部に入部することが自分にとって正しい選択だったのかとふと考えてしまうことがありました。しかし、引退した今なら迷わずバスケ部に入って良かった、あの時の選択は私にとって最高に良い選択だったと自信を持って言えます。時には、練習に行きたくない時や部活のことを考えたくない時もありました。しかし、この4年間はとても充実しており、たくさんの刺激を受け、最高の環境で過ごした時間だったと思っています。また、幾度となく壁にぶつかり、考え、悩み続けた4年間でもありました。バスケ部での活動はバスケのプレーだけではなく、人としても成長する機会を私に与えてくれました。今となってはバスケ部に入っていない私の大学生活は考えられません。中学や高校のバスケ部を引退した時は引退してすぐにバスケがしたくなってムズムズしていたほどバスケが大好きな私ですが、今は意外にもそのような感情は湧かず、むしろバスケから離れて少しほっとしたような気持ちでいます。そのくらいバスケをやり切ったと思える4年間だったということではないでしょうか。

そんな私の大学生活を一緒過ごしてくれた同期をはじめ、4年間で私と関わっていただいた全ての方々に感謝の気持ちでいっぱいです。4年間本当にありがとうございました!

これで私の4年間の体育会生活、そして12年間のバスケ人生は終わりますが、今後はOGとしてチームをサポートする立場に回りたいと思います。リーグ戦で2部昇格という目標が達成できなかったことは悔しいですが、その想いは頼もしい後輩たちが“継勝”してくれると信じています。今後とも、慶應女子バスケ部の応援をよろしくお願いいたします。

とても長く、拙い文章だったとは思いますが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。