卒部生の現在 - 卒部生タグ: 2016年
清家智(2016年卒)

Q1.どういったバスケ部生活を過ごされていましたか?
慶應体育会バスケットボール部の一員としての誇りを持ち、自分がチームにどう貢献できるか日々考え過ごしていました。
一貫校出身者として、大学バスケ部への入部は長年の目標であり、入部当初はとにかくユニフォームを着たい!その一心でがむしゃらに練習を積み重ねていました。大学1年時の早慶戦でユニフォームを貰えた時の感動は今も鮮明に覚えています。
しかし、学年が上がるにつれては、プレイヤーとして試合でチームを引っ張ることが出来ず、スタッフとしてチームを支えることも出来ない自分の無力さを痛感する時間が増えていきました。
それでもプレイヤー・スタッフ関係なく勝利に向けて愚直に努力するチームメイトの姿を見ている中で「自分に出来ること、何でもやろう!」という思考の元、チームにどう貢献できるか真剣に考え、実行するようになって行きました。 その中でも、特にチームが苦しい場面・雰囲気の時こそ、自分が周りを盛り立てて、下を向かせないようにしようと常に心がけていました。
Q2.現在のお仕事を教えてください。
創業から100年続く老舗のお蕎麦屋さん、、、ではなく”東急東横線”でお馴染みの、東急株式会社で財務借入担当として、会社の資金調達を行なっています。
写真は1年目の研修でお世話になった、東急が手がけるお蕎麦屋さんでの一枚です。このように東急では鉄道以外にも様々な事業を行い、総合的なまちづくりを行っています。
最近では渋谷スクランブルスクエアを開業するなど、渋谷で100年に一度といわれる大規模開発が進行中であり、そのための巨額の資金を調達しており、日々金融機関と綿密な交渉を行なっています。
Q3.高校バスケから大学バスケに移り変わるにあたって、大きな変化などはありましたか?
フィジカルや技術力などは勿論、特にメンタル面の重要性の違いを感じました。
秋のリーグ戦は毎週2試合をこなす日々が約2ヶ月にわたり続きます。その期間の中では、チームとしても個人としても好不調の波が必ず訪れます。不調の時に如何に立て直すかはチームとしてのサポートも勿論ありますが、最終的には個人としても強い心を待つメンタルが必要になってくると感じました。
Q4.慶應バスケの特徴はなんですか?
全員が「チームの勝利」に貢献すべく、日々想いを巡らせているところです。
大学の4年間を通じて、試合に出ている人だけでなく、Bチームやスタッフをはじめ全員に役割があり、各々の強みが”日本一”という最終目標に向かって一つになるからこそ、シナジーが生まれ、本当に強いチームが出来ると強く感じました。
多様なバックグラウンドの選手が集う慶應大学が強豪ひしめく関東リーグで勝って行くためには、「1+1=2」ではなく「1+1>2」になって行くことが必要不可欠だと思っています。
Q5.バスケ部での活動が今どのように活きていますか?
普通なら敬遠しがちな泥臭い仕事も進んでこなそうとする姿勢は、バスケ部で培った賜物です。
仕事もバスケと同じで楽しいことばかりではなく、寧ろ辛いことの方が多いかもしれません。
その中でもバスケ部で培った「泥臭いプレーこそに真のカッコ良さがある。」というマゾスティックな価値観は今の仕事場でも活かされ、周囲から評価されています。
Q6.自分たちのバスケ部生活を振り返って現役に一言お願いします。
既に何人ものOBが言っていますが「仲間と過ごす時間を大事にしてほしい」その一言に尽きます。
学生が主体となってチームを作る慶應だからこそ、仲間と一体となって勝利した時の喜びは何にも代え難いものがあり、逆にぶつかることもあるかと思います。仲間と分かち合う喜び、悔しさ、その一つ一つが一生の財産となるので、なるべく多くの時間を仲間と過ごし、コミュニケーションを取ることをお勧めします。
今年は公式試合もほとんど中止となってしまい、特に4年生はもどかしい気持ちが強いかと思いますが、みんなの頑張りはきっと誰かが見てくれています。
現役選手の日々の頑張りはOBだけではなく、応援する全てのファンの力に確実になっています。
今後も1人のTEAM慶應ファンとして声援を送らせて下さい!頑張って下さい!
山﨑健詞(2016年卒)

Q1.どういったバスケ部生活を過ごされていましたか?
大学3年の秋リーグまではプレイヤーとして、その後学生スタッフに転向し、出身校であるSFC高校の学生コーチをしておりました。
自分が卒業後、ちょっとした恒例イベントになったホームゲームの立ち上げやモチベーションアップ映像の制作など、学生コーチの業務以外にできることはなんでもやろうとしていた最終学年でした。
付属校上がりで当然無名だったので、入学してからはとにかく練習を積み重ね、BチームとAチームを行ったり来たり、ギリギリでユニフォームをもらったりベンチに入れてもらったりしていました。
そんな選手生活を過ごし、3年時に少しだけ試合に絡めてもらえるようになりましたが、下級生の時にしてしまった怪我が原因で選手生活の続行は諦めました。
悔しい思いはもちろんありましたが、正常な状態ではないのは自分が一番わかってましたし、チームに貢献したい!という思いが強かったので、振り返ると本当にあっという間の4年間だったという思いしかないです。
Q2.現在のお仕事を教えてください。
新卒で株式会社サイバーエージェントに入社、そこから株式会社AbemaTVに出向して現在はABEMAアニメchのプロデューサーをしています。
非常に体育会気質の会社というか、みんなで目標に向かって死ぬ気で頑張る会社なので、部活が続いているような不思議な気持ちです(笑)
Q3.高校バスケから大学バスケに移り変わるにあたって、大きな変化などはありましたか?
プレー面でのレベルの違いや観てくれる人の数は勿論大きく変わったのはもちろんですが、大学生活というのは高校生までの「みんなが部活入る」という状況でははないので、自分たちでその道を選んでやっているというところも、コート内外問わず自然といろんな場面に現れていて。
大学バスケっていうのは本当に自分の人生の中でも忘れられない期間です。
そこでできた仲間も本当に一生のものだなと思ってます。
Q4.慶應バスケの特徴はなんですか?
チーム全員がどうやって価値を発揮できるか、考えて行動できる、最初からそういうマインドではない人も、最後はそうなっていく。
というところだと思います。
自分たちでチームを運営する、というところを社会人スタッフ陣との信頼関係の上でチャレンジさせてくれる、人としてとても成長できる環境だと思います。
Q5.バスケ部での活動が今どのように活きていますか?
今の自分の全てと言っても過言ではないので、全部に生きているのですが、「自分の役割を客観視して価値を発揮しにいくこと」というのは社会人になっても生きているなと思います。
あとはどんな困難に当たっても、死ぬ気でバスケに向き合って本気の挫折もしているし、
死ぬ気でやったからこそ見れた景色というのもいくつか観ているので、基本なんでも頑張れますね。

Q6.自分たちのバスケ部生活を振り返って現役に一言お願いします。
とにかく大変なことがあっても、一生の仲間である同期と一緒に立ち向かって欲しいと思います。
納得いかないことは納得いくまで話す、そうやってぶつかれる関係性ってのを大切にして、やって欲しいと思います。
その過程をOB全員応援しているので、頑張ってください。
中島一樹(2016年卒)

今回は2016年卒、現役当時小柄ながらも鍛え抜かれたフィジカルと類稀なるスピードで早慶戦の大舞台でも活躍した《中島一樹》です!
現在は邦楽囃子方として活躍する中島さんに質問をしてみました。
Q1.どういったバスケ部生活を過ごされていましたか?
下級生の時はとにかくがむしゃらに、上級生になってからは「チームのために自分は何ができるのか」を考えて過ごしていました。
僕はSFCに通っていたので、早朝に日吉の体育館でシューティングをして、学校に行って、帰ってきて練習をして、、そういった生活の繰り返しでした。
下級生の頃は、自分が試合に出て活躍してチームに貢献したい!!という一心でとにかく練習をしていました。
しかし、三年生になった頃から、自分というものを考えながらも「このチームに自分は何をもたらせるのだろうか」と考えるようになり、行動が変化していったように思います。
大学三年生のリーグ戦期間の練習では、週ごとに次の対戦チームのセットプレーや選手の特徴を模倣した「コピーチーム」として、スタメンと試合をしていました。
試合に出ずとも、そういったところでチームの勝利に貢献できているという実感が持てましたし、役割を全うすることの重要性を知ることができました。
また、下級生の時にユニフォームがもらえなかったり試合に出られなくて悔しい思いをしてきたことや、膝の手術をして苦しんだ経験を活かして、同じような境遇の下級生に積極的に声を掛けたりご飯を食べに行ったりしていました。

Q2.現在のお仕事を教えてください。
「邦楽囃子(ほうがくはやし)」というものを専門とする「邦楽囃子方(ほうがくはやしかた)」として活動しています。
「邦楽囃子方」とは、歌舞伎や日本舞踊の伴奏音楽の中でも、小鼓や太鼓といった打楽器を演奏する人のことを指します。
現在は、日本舞踊での演奏や、そのものの演奏会、他のジャンル(洋楽や落語、影絵など)とのコラボレーションなど、活動の幅を広げています。
昨年4月には慶應義塾大学でも演奏会を開かせていただき、約150名のお客様にご来場頂きました!
Q3.高校バスケから大学バスケに移り変わるにあたって、大きな変化などはありましたか?
まず生活的な変化としては、親元を離れて一人暮らしになったことで、バスケット以外の面で自分を律して生活をしていかなければならなくなったところです。
バスケットでは、高校までは通用していたプレーが大学では全く通用しなかったり、フィジカルの違いを強く感じました。
Q4.慶應バスケの特徴はなんですか?
「全員バスケ」の精神が根付いているところだと思います。
選手、スタッフの垣根を越えて、試合に出る出ないに関わらず、みんながそれぞれの場でチームのために本気で戦っていました。
Q5.バスケ部での活動が今どのように活きていますか?
大学バスケというよりは、15年間のバスケット人生を終えて感じることは、「何事も最後までやり抜く」という精神が培われたと感じます。
僕は大学卒業後に「音楽を通して自分を表現したい!」と思い、就職をしませんでした。
その時は、現在やっている囃子にはまだ出会っておらず、卒業後はフリーターをしながら様々なオーディションを受けたり、曲を作ったりして過ごしていました。
しばらくしてから囃子に出会い、自分の中で「これだ!」と思いプロを志すことに決めました。半年間の猛稽古で、東京藝術大学に合格し、昨年の6月に「藤舎英心」としてプロの道を歩み始めました。
心が折れそうな時期もありましたが、バスケットで培った精神力が僕を支えてくれていたと感じます。

Q6.自分たちのバスケ部生活を振り返って現役に一言お願いします。
1番伝えたいのは、「仲間との時間を大切にしてほしい」ということです。
引退して、卒業して、最後に残るのは仲間との繋がりです。一つの目標に向かって熱くなれる仲間との時間は本当に何事にも変えがたいものでした。
今このような状況の中で、バスケットがやりたくても出来ない辛い時期を過ごしていると思いますが、前を向いて今自分にできることを精一杯頑張ってください!
僕も新型コロナの影響で、舞台の仕事がほとんど中止になり、活動の場を失っています。
そんな中でも何かしたいという思いから、YouTubeで子供向けのコンテンツを作り、発信しています!
マイナスと思えるこの期間を、何十倍何百倍も自分の人生にとってプラスに変えられるよう、一緒に頑張っていきましょう!!!
田辺夏彦(2016年卒)

今回は2016年卒、一貫校から入部し、4年生時には学生コーチとしてチームを支えた《田辺夏彦》さんです!!
現在、ANA(全日本空輸株式会社)のパイロット訓練生として活躍している田辺さんに質問をしてみました。
Q.卒業後はなにをしていらっしゃいますか。
A.ANA(全日本空輸株式会社)にパイロット訓練生として入社し、現在は伊丹空港でグランドスタッフとして働いています。
主な業務内容は搭乗手続きや手荷物受託を始め、ゲート業務、ラウンジ業務など。
入社してすぐに訓練開始ではなく地上での業務から始まる理由は、ここで社会人としての基礎を習得し、 他職種などと協力・連携してエアラインビジネスの成り立ちを理解する為です。
来年から訓練が開始され(予定)、ドイツやアメリカにて飛行機の操縦の基礎を学ぶとともに、エアラインの操縦士になる為の実践的な訓練を行います。
入社してから地上配置の期間を含めて約4年から5年で初めて副操縦士として業務することができ、非常に長い道のりです。
子供の頃からパイロットになるのが夢だったので、叶える機会を得られたことを嬉しく思っています。

Q.慶應義塾大学バスケ部での活動が今どのように活きていますか?
A.バスケ部には選手・スタッフにかかわらず、部員一人ひとりが、勝つためには何をすべきかを考え、行動する風土があり、それが今の仕事でとても活きています。
ただ業務をこなすのではなく、より良い空港にする為には…パイロット訓練生としてここに配属された意味とは…など考えながら業務にあたるよう心がけています。
また航空業界での業務は必ずと言っていいほど、一人ではなくチームで取り組みます。
より良いチームを作る為に、バスケ部で得た仲間の意見に耳を傾け、まとめていく力でチームを牽引できるよう日々努力しています。

Q.自分たちの学生時代を振り返って現役に一言お願いします。
A.私の代はプレイヤーとしてだけでなく、人としても尊敬できる人ばかりで、そんな同期は私のことをシーズン通して苦しい時、辛い時に何度も助けてくれました。
リーグ戦は1部で6勝しかできず、インカレでもベスト16に終わりましたが、最後まで特にケガ人も出ず、全員で戦い抜くことができた理由はそういったところにあると確信しています。
近年は部員が少なく、練習・試合ともにすごく大変だとは思いますが、現役のみんななら来シーズンいい結果を出せるチームになれると確信しています。大阪から全力で応援しています!時ぞ今!!!