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ブログリレー 小澤力哉
2019年9月21日 19:00| Comment : 0
怪我の先に見えたもの

はじめに
誠に僭越ながら自己紹介させていただきます。
私、本年度慶應義塾大学経済学部2年並びに体育会バスケットボール部に所属させていただいております、小澤力哉と申します。よろしくお願いいたします。
本ブログでは、個人的な話ではありますが、私が現在リハビリ中の怪我について書かせていただきます。
拙い文章ではございますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
ある言葉
僕は、7月14日の医学部との練習試合でルーズボールにダイブした際に相手と接触し、右肩を脱臼しました。
痛みは全くありませんでした。ただ、自分でも何が起きたのか分からず、頭が真っ白になったのを覚えています。
不幸中の幸いながら、部長の大谷俊郎先生がその場にいらっしゃった為、その場で整復してもらうことができましたが、救急病院にタクシーで向かいました。
その車中、色々なことが頭に浮かびました。
高校時代の先輩に肩の脱臼を繰り返していた方がいたので、脱臼に対してマイナスのイメージしかありませんでした。
またしばらく運動ができないこと、合宿に参加できないこと、リーグ戦に間に合わないこと、またチームや同期に迷惑をかけること、利き腕をやってしまったということ、癖になってしまったらどうしよう、近い未来や遠い未来を想像して、あらゆるネガティブな感情が押し寄せてきました。
そんな暗い気持ちで、翌日三角巾姿で部室に入ると、ありがたいことに心配してくださる人もいましたが、何人かの先輩に思わぬことを言われました。
「お前、何であのルーズボール飛び込んだの?」
「相手に危なかったし、飛び込むべきではなかっただろ。」
私は、正直、そのバカにされたような言い方に憤りを感じ、言っている意味が全く理解できませんでした。
別に、心配されたかった、同情してほしかった訳ではありません。
でも、何故そのようなことを言われないといけないのか。
当時の私はそんな気持ちでいました。
試合の動画を見返したところ、私のルーズボールへのダイブは、相手の足下に入り込むようなもので、実際相手にとっても危ないものでした。
しかし、プレーしていた私からすると、絶対にボールに飛び込むべきシーンであり、その判断は間違ってなかったと思い、結果として、大きな怪我をしたとしても、そのプレーに後悔はありませんでした。
当時の僕は、そんな言葉聞き流してしまえばいい。
と、何か違和感を覚えながら切り替えていました。
診断結果
大変ありがたいことに大谷俊郎先生の紹介もあり、慶應義塾大学病院で右肩を診てもらうことになりました。
MRIを撮るためにも別の病院にも行き、全ての先生に言われたことは、
「君は生まれつき関節が柔らかい上に、関節が緩い。再脱臼の可能性が非常に高い。」
でした。
医者曰く、痛みが全くなかったのも関節が柔らかいからということ。
一般的に、2度目の脱臼をしてしまったら、手術をしなければなりません。
選手としてやっていく上で絶対に避けたいものです。
“再脱臼”という言葉は、怪我をして間もない私にとって受入れがたいもので、とても重く胸に突き刺さりました。
今までの私だったら、同期や友人に弱音を吐いていたかもしれません。ですが、今回の怪我に関しては、落ち込む時間があったら、自分の身体と気持ちと向き合い、今後どうしていくか考えるべきだと感じました。
同じ怪我をした高校時代の先輩や、同じ怪我ではありませんが過去に繰り返し大怪我をした経験がある友人に相談をしました。
試合に出たい。
練習に出たい。
はやる気持ちを抑えて、この秋シーズン、例え4年生とバスケットができなくなろうが、通常より長い時間をかけてしっかり治す。
そう決断しました。
今の4年生に対して、チームに対して、何も力になることができないという悔しさもありました。
ですが、この先自分が選手としてやっていく将来を考えた上での決断でした。
転機
話を少し変えます。鈴木さん(4年・法学部法律学科)のブログにもありましたが、バスケットボール部には「縦割り」という制度があります。
私は、 泉友樹雄さん(4年・経済学部) 班に所属させていただいています。メンバーは友樹雄さん、津野地さん(3年・法学部政治学科)、僕、杉本(1年生・経済学部)の4人です。
8月中旬に開催された縦割りでは、ドライブをしていました。
その車中では、プライベートなことだったり、バスケットの話だったり、たくさんのことを話しました。
そこで、私の怪我の話題になり、自分の決意や悩みを先輩方に聞いていただきました。
そして話に出たのが、「なぜあのルーズボールにお前は飛び込んだのか」というものでした。
怪我をした翌日に理解できなかった言葉が再び私に突きつけられた時、私は熱くなってしまい、聞いてくださっているにも関わらず、非常に無礼ではありますが、先輩方に反発してしまいました。
「確かに映像を見て、危なかったプレーであったとは思います。でも、僕はあの場面は必ずダイブするべきだと思いましたし、あのプレーに後悔はありません。何故そのようなことを言われなければいけないのか僕には分かりません。」と。
それに対して、友樹雄さんと津野地さんに言われたこと。
それは僕にとってとても大きな影響を受けた言葉でした。
「ルーズに飛び込むことができるのはお前のいいところではある。けど、あのプレーは誰が見ても危なかったと言うし、その事を素直に受け止められることができるかが、お前の成長に繋がると思う。自分の考えを強く持つことは良い部分でもあるけど、その頑固な姿勢が、悪い影響として他の場面でも出ているのではないか。もっと他人の話を聞いて広い視野を持つべきだと思うよ。」
まさにその通りでした。
自分で決めたことは貫き通すという僕の頑固な性格の部分も全て見抜かれていました。
今回の怪我に関しても、僕自身色々なことを考えましたが、あらゆる決断を全て自分1人でするべきだと考えていました。
しかし、それは果たして正しかったのだろうか。
同期、先輩、後輩に対して、この悪い部分が出てしまっていないか。
自分の言動や、この怪我に対して、あのプレーに関して見つめ直すきっかけになりました。
今では、あのダイブが危険なものであったと素直に認め、同じことを繰り返さないようにする為にはどうすればいいのか考えられるようになりました。
この怪我をポジティブに考えるか、ネガティブに考えるか、そしてこの体験を今後どう生かしていくかは自分次第だと思います。
まだまだ未熟な僕の話を真摯に聞いてくださり、真剣にアドバイスをくださり、そして考えるきっかけを作ってくださった友樹雄さんと津野地さんにはとても感謝しています。
ありがとうございました。

現在
現在は、三角巾での固定期間が終わり、リハビリが始まって3週間ほどです。
グラグラでくしゃみをしたら外れそうになっていた肩も徐々にくっついていっている実感があります。
リハビリが始まった初日は腕を45度までしか上げられませんでしたが、今では180度近く挙げられるようになり、ジョギング程度の腕の振りができるようになりました。
毎日毎日できることが増えていて、嬉しいことが多いです。
しかし、腕が完全に動くようになっても、この安静期間で落ちてしまった筋肉や心肺機能を元に戻さなければならず、まだまだ復帰には程遠いのが現状です。
復帰した後も、数ヶ月練習していない分、死に物狂いで周りについていってブランクを埋めなければなりません。
そもそもちゃんとシュートは打てるようになるのか、ドリブルはつけるのか。
負傷前と変わらず全力でルーズボールに飛び込めるか、リバウンドを取りに行けるか。
また外れてしまったら。
まだまだ不安はたくさんありますし、課題も山積みですが、復帰に向けて1つ1つ乗り越えて、辛抱強く頑張りたいと思います。
ここまで、大層なことを語っていますが、僕はただの怪我人です。
常にチームに迷惑をかけているということを忘れてはいけません。
今の僕がチームにできることは何か。自分はどういった形でチームに貢献するか。
常に自問自答しながら、少しでもチームの力になれるよう頑張っていきたいと思います。
最後に
8月末からリーグ戦が開幕しました。
秋シーズン最大のチーム目標である1部昇格に向けて、慶應一丸で戦います。
これからも応援よろしくお願いいたします。

次回は肥田大輝(1年生)です!乞うご期待ください!
ブログリレー 津野地宥樹
2019年8月15日 19:00| Comment : 0
チームにいる意味とはなにか

はじめに
誠に僭越ながら自己紹介させていただきます。
私本年度慶應義塾大学法学部政治学科3年並びに体育会バスケットボール部に所属させていただいております、津野地宥樹と申します。よろしくお願いいたします。
現在選手兼広報担当としてSNSやHPの企画・運営を担当しております。
ブログを読んでくれる皆様、SNSを見てくれる皆様のおかげで私はこうして活動を行うことができています。
部員にブログを書いてもらう際にそれぞれの経験や考え方、苦悩など独自性のある記事をお願いしていたところ、お手本を見せろ言われたため、拙い文章ではありますが、精一杯書いてみました。
チームにいる意味とはなにか
タイトルでもあるこの言葉は僕が体育会バスケットボール部に入ってから常に自問自答し続けている言葉です。
我が部では、限りなく時間や可能性がある大学生活の中でなぜ体育会に入り、その中でもなぜバスケットボールという競技をするのかという問いを大事にします。
そうした問いを自分自身に投げかけ続ける中で、各々が確固たる理由を見つけ、覚悟を持って大学生活の大半の時間を部の活動のために注ぎます。
また、ただバスケ部の活動に時間を注ぐのではなく、自分はチームにどうやって貢献するのか、どうやって存在意義を発揮していくのかを各々が考え行動に移しています。
そこで登場するのが「チームにいる意味とはなにか」という言葉です。
バスケ部は4学年合わせても30人しかおらず、選手・スタッフに関わらず一人ひとりの行動が部に及ぼすインパクトは良くも悪くも大きいです。
そのため、ただ練習時間になったら体育館に来て、練習を行い、終わったら帰るというだけではチームに良い影響を与えられません。
Aチーム、Bチーム、上級生、下級生、選手、スタッフなど様々な立場の人たちが自分の立場、自分の得意なこと、チームの状況等から、どういった行動でチームにプラスの影響を与えられるか考え行動する必要があるのです。

挫折
ここまで、偉そうなことを書いてきましたが、僕も初めからこのような考えを理解し行動出来ていた訳ではありません。
僕は大学バスケ部に入ってから大きな挫折を味わいました(未だに味わっています)。
その挫折とは、試合や練習に一切入ることが出来なかったことです。
バスケ部では限られた場所・練習時間の中で試合に勝つという目標を達成しなければいけないため、試合に絡めない選手は全体練習に入れません。
高校時代全国に出ていた選手、全国未出場ながらも国体に選ばれ活躍していた選手、自分より何倍も身体能力の高い選手達に囲まれ、僕は1年生時、練習に全く入ることができませんでした。
そのため当時の1日のスケジュールは、朝練でシューティングを行い、授業に行き、授業が終わったら下級生として練習の準備をし、練習ではアップを済ませたら横で見学、練習終わりのトレーニングのみ参加するというものでした。
これでもまだ良い方で、秋に約二ヶ月に渡って行われるリーグ戦期間にはシューティングの時間ですら試合に出るメンバーのリバウンドをしていました。
僕は中学でバスケットボールを始めたのですが、たまたまチームで僕のポジションが空いていたということもあり、中学・高校と下級生の頃から試合に出してもらっていました。
そのため、試合に出るための踠き方・努力の仕方がイマイチ分かっていませんでした。
同期はそれぞれ自分の立場を理解しながら出来ることをコツコツと積み重ねているのに、自分は何をしているんだと自己嫌悪に陥りるようになります。
そうこうしているうちに一年目のシーズンが終わり、次の代に。
そこでも上級生からは努力が足りない、チームにいる意味をもっと考えろと数多くのアドバイスや時には厳しい言葉を頂きました。
そんな中迎えた六大学。
慶應は春に行われる六大学・電鉄杯ではBチームの選手も起用する方針で、Bチームの僕にとっては格好のアピールの場でした。
しかし、六大学の第1試合目VS東大戦の第2ピリオドで左肘の脱臼。
プレーをすることが出来なくなってしまいました。
僕が怪我で試合にも練習にも出られない中、同期が六大学・電鉄杯と試合に出て活躍している姿を見て、嬉しい反面、悔しさや焦りが僕の中に渦巻いていました。
そうしてアピールの場を失い、練習でも活躍出来ないまま早慶戦に向けてチームは向かっていきました。
早慶戦優勝は春シーズン最大の目的であり、また一試合で勝敗が決するため出場メンバーも限られます。
メンバー外であった僕は、夏場でコート上の選手が大量に掻いた汗で滑って怪我をしないように、コートが空く度に雑巾で床を引き続けるという毎日でした。
汗で滑らないようにすることで選手の怪我を防ぎ、万全の状態で早慶戦に臨めるようにすることがチームのためになると頭では分かっていました。
しかし、心では自分はもっと有意義に時間を使うことが出来るのではないか。雑巾でコートを拭き続ける毎日でいいのか。そういった疑問が湧くようになっていました。
早慶戦優勝に向けて一丸となって突き進むチームと自分との温度差のギャップに、再び自己嫌悪に陥り、自分に体育会は向いていないのではないかとさえ思いました。
そういったことを考えているうちに部活を辞めた方が自分の時間を有意義に使えるのではないかという考えに至り、親に相談しました。
親からは「自分の大学生活だから好きなようにしていい」という言葉を言われた反面、「挫折を挫折のまま終わらせたら何も成長しない、挫折した中で踠いた先に成長がある」と話をされ、チームに貢献するために踠き続けようと決心しました。
その時の言葉は今でも僕の中のエネルギー源になっています。
しかし、当時は選手として部に携わっていても 練習で活躍して試合に出て、部に貢献するビジョンが全く見えませんでした。
そのため、自らスタッフに転向を志願し選手をサポート・チームを運営する側として部に貢献しようと考えました。
当時から大変お世話になっており、尊敬していた宇野さん(2018年度卒業)に相談をし、スタッフとしてチームに貢献したいという話をしました。
宇野さんにも背中を押してもらい、スタッフへと転向するかと思いきや、当時の4年生が引退した後、同期の岩片の練習相手をする人がいなくなるという理由で僕の提案は却下。
そこで、もともと多少知識があった動画編集やITなどを活かせる広報担当として、半選手・半スタッフとしてチームに貢献をすることに決めました。
半スタッフとして部の仕事を行なっていく中で、当時チームの学生コーチをしていた小川さん(2018年度卒)、宇野さん、鈴木さん(法学部法律学科 4年生)ら上級生と話す機会が増えました。
会話を通して、今チームはどういう状況なのか、上級生は下級生に対してどう思っているのか、上級生はどんな風に今考えているのかを知り、また上級生がどれほどチームのことを考え、行動しているのか目の当たりにしました。
そうした中で自分も今の状況・立場の中でチームに対して出来ることが明確になっていき、現状を変えるためにすべきこと等を考えるようになっていったのです。
そして今
今まで偉そうなこと書いてきましたが、僕は今でもとてつもなく未熟です。
先輩方や同期、時には後輩にもアドバイスや指摘を受けながら日々悩み、考えています。
上げだしたらキリがないほどの課題も残っています。
それでも、自分の課題を解決して、「チームにいる意味はなにか」と常に自問自答し、チームに貢献しようと思わせてくれるのは周りのみんなが魅力的だからこそ。
どれだけ感謝しても感謝しきれないほどに公私ともに面倒を見てくれた尊敬できる先輩方(たまに無茶ぶりやイジりが雑過ぎて戸惑うこともありますが笑)。
様々な苦楽をともにしてきた最高の同期。
こいつらのためならどんなことでもしてあげたいと思わせてくれる可愛い後輩。
そうしたメンバーがいるからこそ自分のことばっかりでチームのことを考えられなかった僕が、徐々に徐々にチームのことを考えられるようになりました。
普段は恥ずかしくて言えないけど本当に感謝しています。
また、OBの方々の後ろ盾があるからこそ、今こうして部活動に全力を注ぐことができています。
最初にも書いたとおり、僕はまだ挫折しっぱなしです。
選手として部に所属している以上、プレーでチームに貢献しなければなりません。
ここまで、書いてきたことに説得力を持たせるためにも、今までの挫折を挫折で終わらせないためにも、周囲の人に恩返しをするためにも、試合でチームの勝利に貢献できるように日々努力していきます。

最後に
8月24日から行われるリーグ戦では一部昇格を目標にチーム一丸となって毎試合全力で臨んで行きます。
SNSでも慶應義塾体育会バスケットボール部の魅力を知ってもらい、応援していただけるよう情報を発信していきます。
今後とも応援何卒よろしくお願いいたします。
次回は小澤力哉(2年生)です!乞うご期待ください!
ブログリレー 片桐俊哉
2019年7月23日 19:00| Comment : 0
縁

はじめに
誠に僭越ながら自己紹介をさせていただきます。
私、本年度慶應義塾体育会バスケットボール部ならびに経済学部4年に所属させていただいております、片桐俊哉と申します。よろしくお願いいたします。
私は、1年生の頃は選手として、2年生からはスタッフとしてチームに携わっています。
本ブログでは、スタッフへ転向する際の心境やスタッフとしてのやりがいなどについて皆さんにお伝えできればと考えています。
文章を書くことが苦手ではありますが、少しでも興味を持って読んでいただけると幸いです。
体育会バスケットボール部に入部した経緯
私が本塾の体育会バスケットボール部への入部を決意したのは高校2年生の時です。
当時私の高校に外部コーチとして指導に来てくださっていた方が体育会バスケットボール部のOBでした。
その方のご厚意により茅野市で毎年行われる本塾の夏合宿を見学させていただきました。
当時1部で活躍する先輩方のレベルは非常に高く、体育館の蒸し暑さをものともせず全員で声を出し練習する姿に圧倒されたことを覚えています。
また練習後、大学受験を経て入部した先輩に入試のアドバイスや体育会バスケットボール部の魅力について教えていただき、皆が疲れている中集合写真まで取っていただきました。

全員がチームのために自分が何をできるかを考え、選手・スタッフ一丸となって早慶戦優勝やリーグ戦優勝を目指している姿を見て、私も大学生活4年間をチームの一員として過ごしたいと強く思うようになり、受験勉強を始めました。
スタッフ転向という大きな挫折
自分の実力がどれだけ通用するのかチャレンジしたいという思いをもって入部しました。
しかし予想していたより遥かにバスケットボールのレベルが高く、試合前はほとんど練習に参加することができず、正直試合に出て活躍している自分を想像することができませんでした。
何とか持ち前のスピードと体力を生かして、ランメニューやウェイトトレーニングに全てを出し切る日々が続きました。
シーズンも終盤に差し掛かる頃、1年間を振り返る中で自分が全くチームに貢献できていないことを痛感しました。
同時期にコーチからスタッフ転向という道もあるという打診を受け、4年間選手として活躍することを目指して入部したこともあり、非常に落ち込み退部することも考えました。
しかし始めたからには最後までやり遂げたいという思いに加え、6月に早慶戦優勝をチーム全員で勝ち取った時の喜びをまた味わいたいという思いが私を退部から引き留めました。
そこでチームの為に自分が出来ることを地道にやってみようと気持ちを切換え、スタッフという立場で貢献していこうと決意しました。
スタッフ(学連派遣)の仕事内容教えます!
スタッフと言われると学生コーチ、主務、学生トレーナーなどを思い浮かべるでしょう。
私はというと学連派遣(以下学連)という役職を任されています。
学連の仕事内容を知らない人や、そもそもこの役職すら聞いたことがない人もいると思うので、学連の仕事内容や苦悩・やりがいについて皆さんに紹介します。
学連とは一言でいうと、大学バスケットボールの大会を運営・企画する団体です。
運営はコートづくりから始まります。
選手や審判、お客さんが試合を少しでも見やすいように、体育館にひいてある他の競技で使用するラインをフロアと同じ色のテープで消し、バスケットボールコートがひかれていない体育館には白いテープで一からコートを作成します。
またフロアに土足で入れるよう養生シートを敷く、タイマー等の設置、受付や本部の配置などをします。
こういった準備を開場前に行うため、早い時では7時に会場入りしセッティングを行います。
また運営中はチケットやプログラムの販売、お客さんの誘導、試合結果の更新などを行います。
大会は総務部、競技部、広報部など8つの部署で運営をしており、その中で私は財務部に所属し、お金関係の仕事全般を行っています。
責任は重大ですが決算資料の作成、協賛企業との打ち合わせ、一日百万円を超える売り上げの精算など、学生では経験できないような貴重な経験を多くしています。
ただ学連に入った当初は選手から立場が変わりやりがいが感じられず戸惑いを感じている時期もありました。
学連の活動は地味で時間のかかる仕事が多く、終電で帰ることも多くあります。
また、財務部の仕事が直接大学バスケットボールの発展につながっているという実感が得られませんでした。
しかしある大会で、観客の方から「いつも運営ご苦労様。また君たちの運営している試合を見に来るよ」と声を掛けていただいたときは、これまでの地味な活動が誇りに思えた瞬間でした。
目立たない仕事でも誰かが見てくれている、という思いからくる責任感が苦悩を克服できた原動力です。
スタッフに転向し、裏方がいるからこそ表舞台にいる人達が輝けるということを実感するとともに、学連の活動を通して、どんな仕事にも責任感を持って取り組むことの重要性を学んでいます。
学連の活動に少しでも興味を持ってくださった方は、学連事務所のメールまたは電話にご連絡ください!!
Mail: team.kcbbf@gmail.com
Tel: 03-5459-3557
最後に
後半は学連役員の宣伝になってしまいましたが、私は体育会バスケットボール部に入部し、多くの貴重な経験をして来ました。
また楽しいことや苦しいことなど色々なことがありましたが、ここまで続けてこられたのは多くの人々に支えられてきたからだと思っています。
私がバスケットボールを続けられてきたこと、体育会バスケットボール部に入れたこと、スタッフに転向し学連に入れたこと、自分たちの代で早慶戦優勝を達成できたこと、また今の自分があるのはOB・OGの皆様をはじめ、先輩、同期、後輩、応援してくれる保護者やお客さんに恵まれたからであると感じています。
これからもこういった人との繋がりを大切していきたいと思っています。
シーズンも残り半分となりましたが、悔いの残らないよう精一杯部活動に励み、チームに貢献していきます。
今後とも応援何卒よろしくお願いいたします。
次回は津野地宥樹(3年生)です!乞うご期待ください!
ブログリレー 藤井陽右
2019年7月20日 19:00| Comment : 0
身体づくり

はじめに
本年度法学部政治学科3年ならびに体育会バスケットボール部所属の藤井陽右と申します。よろしくお願いいたします。
今回のブログリレーでは、自分がもっとも苦労した(している)“身体づくり”について書かせていただきます。
拙い文章ですが少しでも読んでいただければ幸いです。
体づくり
バスケは相手と接触のあるスポーツなので、あたり負けしない体をつくることがとても重要です。
そのため、バスケットボール部では時期にもよりますが、週に4~6回ウェイトトレーニングを行っています。
先日の早慶戦を見てくださった方は気づいたかもしれませんが、1年生と比べ上級生は体の線がしっかりしています。
これは日々のトレーニングの賜物といえるでしょう。
まだ入部して日が浅い1年生にはこれからに期待です!
さて、ここからは私自身の話になりますが、そのためには時を高校時代まで遡らなければなりません。
私は慶應の一貫校の1つである慶應義塾塾高等学校(以下塾高)出身です。
塾高でも大学と同じようにウェイトトレーニングを重視していて、朝に1時間ほどのシューティング、午後に1時間半の全体練習と1時間半のウェイトトレーニングという一日の流れでした。
高校入学当時の私は身長が176㎝で体重が約50㎏でした。
初めて行ったベンチプレスでは20㎏のバーが1回もあがらず、“この棒重っ”と感じたのを覚えています。
たくさん重りをつけてトレーニングをしている先輩達。
私もよく食べてしっかりトレーニングをし、先輩方のように屈強な体を作ろうと意気込んでいました。
しかし、私は“身体づくり”に関して辛酸を舐めることになります。
中学生までは、たくさん食べて強くなるという概念がなかったため、1度にたくさんの量を食べることがとても苦手でした。
限界まで食べ、吐いてしまったときは、もったいないと思うと同時によく頑張ったとも思いました。
そう思えているうちはまだ、体重は増えいていたと思います。
しかし、自分たちの代になって私はキャプテンを務めるようになってから体づくりの問題に直面しました。
キャプテンであるにも関わらず、私はチーム内で細い方だったため、よりいっそう体づくりに注力せねばならないと強く感じました。
その想いとは裏腹に、吐く回数が多くなり、食事を始めるとすぐに気持ち悪くなるようになってしまいました。
キャプテンとしての責任感か、早く体重を増やさねばという焦りからかわかりませんが、たくさん食べなければならないと思うほど、食べられなくなっていきました。
1週間で数回吐くことや、1日で複数回吐く時期もありました。
結局、高校では思うような体づくりはできませんでした。
キャプテンだったにも関わらず迷惑をかけてしまった高校の同期や後輩には、申し訳ないという気持ちと、最後までついてきてくれたことへの感謝の気持ちでいっぱいです。
高校バスケを引退した私は、大学でバスケ部に入るか非常に迷いました。
より高いレベルでバスケがしたいと思う反面、高校の二の舞にはなりたくないという想いがありました。
そこで私は高校3年生の2・3月にトレーニングを行い、結果がでなかったら諦めようと決めました。
そこで、かろうじて体重が増えた私は大学バスケ部へと入部します。

大学1年生の時は練習にほとんど入ることが出来ず、横で見ているだけでした。
たまに入ることができた練習ではスクリーンをかけられた時にとても痛かったのを覚えています。
高校と大学とで明らかなフィジカルの違いを感じました。
練習に参加できないのは悔しかったですが、体づくりに力を入れられる良い機会ととらえトレーニングに励みました。
午後6時半から始まる練習には満腹でのぞみ、最後のランメニューを行う、そんな毎日でした。
正直、楽しい毎日というわけではなかったですが、2年後、3年後を思い描きやってきました。
オフでもよくウェイトすることがありましたが、そこではよく鳥羽さんを見かけました。
1年生の頃から主力として活躍する鳥羽さん(2019年卒)でさえ、寸暇を惜しんで練習、トレーニングに励んでいるのを見て、自分ももっと努力しなければならないと思わされました。
大学に入って食べ過ぎて吐いてしまったことは2回ほどしかありません。
栄養を考えた食事をたくさんとり、ウェイトトレーニングを行うことで体はしっかり大きくなってきました!
現在、身長は変わらず176㎝ですが、体重は74㎏、ベンチプレスは85㎏が10回あがるようになりました。(先輩には100㎏以上を10回あげる人もいるので、まだまだ未熟者です)
20㎏のバーがあがらなかった人が、良く成長したなと思います笑
しかし、まだ練習中に山崎純さん(4年 総合政策学部 )に吹っ飛ばされることがよくあるので成長あるのみです!
これからも身体づくりに励み、来る秋のリーグ戦では目標である一部昇格に向けてチームに貢献していきます!
次回はスタッフながらベンチプレス90㎏を10回あげる私の師匠、片桐俊哉(4年)です!乞うご期待ください!
ブログリレー 髙橋佑輔
2019年7月17日 19:00| Comment : 0
スタッフとしている意味

はじめに
慶應義塾大学経済学部1年ならびに体育会バスケットボール部の高橋佑輔と申します。宜しくお願い致します。
今回、ブログを書くにあたり何をテーマにするか迷った挙句、一貫校生であった自分にしか書けないこと、そして自分が大学に入る前に知りたかったことを書くことに決めました。
体育会バスケットボール部に入部してまだ半年も経っていない立場で、何を伝えられるのか分かりませんが、どうか温かい目で見守っていただけると幸いです。
慶應義塾のバスケットボールとの出会い
慶應義塾のバスケットボールとの出会いは慶應義塾普通部のバスケットボール部に入ったのがきっかけです。
中学校進学当初、小学生の時に力を入れていたゴルフをやろうと思っていました。
しかし、仲の良い友達が「黒子のバスケ」という漫画にはまり、それにつられるように親に相談もせず勝手に入部したことを覚えています。
中学の3年間を終えて高校に進学するときに、高校のバスケ部はレベルが違うため「絶対に入らない!」と心に決めていました。
ですが、高校の練習見学に行った際、そのレベルの高さを目の当たりにして、こんなにバスケが上手くなれるなら是非挑戦してみたいと思い、気がついたら他の選択肢は消えていました。
僕らの高校時の学生コーチであった鈴木さん(法学部法律学科4年)や木村さん(法学部政治学科3年)、先輩である小澤さん(経済学部2年)など様々な先輩に多大なるご迷惑をおかけしつつ、僕らの青春の3年間を全力で駆け抜けました。
スタッフとして入部
そして、大学に入学する前、僕は非常に悩みました。
昨年の鳥羽さんの代の体育会バスケットボール部を一貫校生の立場で見て感銘を受け、体育会バスケットボール部に入部することは決めていたのですが、選手として入部するか、スタッフとして入部するか、その決断がなかなか出来ませんでした。
選手として戦いたい気持ちもありましたが、スタッフとして分析やトレーニングなど多方面からサポートすることにも興味がありました。
そこで僕を後押ししてくれたのは、小川さんの卒業ブログ「「自分のために」より「チームのために」の方が、自分のため」でした。
スタッフとして何がチームのためなのか、自分で責任感を持っていかに行動できるか、どのようにして周りからも認められるチームになったのか、全てが刺激的で本当に感動しました。
そのブログを読み、僕もこういった形でチームに貢献したいと思いスタッフとして入部することを決めました。
気になる方は是非読んでみてください。
スタッフとして送るバスケットボール部生活
最終的にスタッフとして入部した僕は、一年生スタッフが1人だったこともあり、入部したての頃はとても忙しく過ごしていました。
多くの仕事を覚え、スピーディーにこなさなければなりません。加えて、練習中にはスタッフとして、何ができるかを考え行動する必要があり、その多忙さに驚愕しました。
本当に自分は4年間やっていけるのか不安になることもありました。
頼れる先輩方、そしてこれまた頼もしい同期の力を借りて少しずつ仕事に慣れていきました。
1年生としての仕事も最初のうちは本当にミスばかりで大変でしたが、少しずつですが出来るようになってきました。
1年生の呆れるようなミスに対しても、しっかりと叱ってくださった先輩方には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
早慶戦
先述の通り、僕は一貫校生なので早慶戦を応援する立場として何度か見たことがありました。
初めて早慶戦の当事者となり、試合前のスカウティングから忙しく働かせていただき、僕なりに覚悟を持って早慶戦に臨みました。
当日、見事勝利できた時は本当に今までの忙しい日々全てが報われたような、そんな快感を味わいました。
スタッフとしての存在意義を改めて感じさせてくれた、これこそがスタッフとしている意味なのだ、そう感じさせるほどに感動的な試合だったのです。
この勝利の瞬間のためなら、これからも忙しい日々を頑張って過ごしていける、そんな気がします。

最後に
僕の慶應義塾バスケットボールとの出会いから今に至るまで、大変長々とお付き合いいただきありがとうございました。
スタッフとして過ごさせていただいた期間、スタッフの能力としても人としても得るものがとても多かったです。
僕自身、こんなことを偉そうに語っていても、まだ何も1人ではこなせず、チームに迷惑をかけてばかりですが、これから少しでもチームのプラスになれるよう精進して参ります。
何せブログなんてものを書くのは初めてですから、こんな内容で良いのか些か不安ではありますが、今の僕が伝えられることを稚拙ながら精一杯綴らせていただきました。
頼れる先輩方、同期とともに勝利に向かって全身全霊で挑んで行きますので、これからも引き続き応援宜しくお願い致します!
次回は藤井陽右(3年生)です!乞うご期待ください!
ブログリレー 泉友樹雄
2019年7月14日 19:00| Comment : 0
耐雪梅花麗

はじめに
本年度慶應義塾大学経済学部4年ならびに体育会バスケットボール部所属の泉友樹雄と申します。
今回、このブログリレーを担当するにあたり、自分の大学バスケ人生を振り返ってみました。
個人的なことではありますが、その想いを書かせていただきます。
拙い文章で恐縮ですが、少しでも読んでいただけると嬉しいです。
苦しまずして栄光なし。
さてタイトルにもある言葉「耐雪梅花麗」という言葉を知っていますか。
西郷隆盛が詠んだ漢詩の一節で、「雪に耐えて梅花麗し」と読みます。
この言葉は、メジャーリーグでも活躍された元広島東洋カープの黒田博樹選手がこの言葉を座右の銘にしているということで知りました。
「梅の花は、寒い冬を耐え忍ぶことで、春になれば一番麗しく咲く」という意味です。
今、私の大学でのバスケ生活を振り返ると「耐える」期間が本当に長いものでした。
私は大学バスケ部の中で異質な経歴を持っています。
スタッフとして入部。そして選手へと転向しました。
入部するにあたり、バスケを続けたいと思っていたものの、実家から大学までが遠く、生活が非常に苦しいと分かっていました。
朝4時に起床、6時半から朝練、その後講義を受けて18時半から練習。帰宅するのは日付が変わった頃。1時に就寝。そして4時起床、、
この生活では選手として活動するのは厳しいだろうと思い、スタッフとして入部しました。
スタッフとしてバスケ部の一員になり、チームに貢献しようと毎日必死に考え行動してきました。
しかしスタッフとして過ごしたシーズンの中で、やはり選手としてやってみたいという想いを捨てきれませんでした。
大学バスケのレベルの高さ、そしてスポーツ推薦のない慶應バスケ部が毎日必死に努力し他の大学に挑む姿。
そういったものを身近に体感し、私は簡単にバスケを続けることを諦めてしまったことに後悔しました。
一人暮らしに反対だった両親を説得し、大学の近くで一人暮らしを始め選手へと転向しました。
選手に転向したものの、1年目は試合どころか練習メニューにも参加できずにいました。
それでも、試合に出れなくともチームに貢献するために、いずれ試合に出れるようにと必死に努力してきました。
2年目、少しずつ練習に参加できる様になり、今まで以上にやる気に満ち溢れていました。
しかしある日、練習中に怪我をしてしまい、1ヶ月の松葉杖生活を余儀なくされます。
ここからの私の大学バスケ生活は多くのことに悩み、非常に苦しく辛いものでした。
私はこの怪我を含めて3度、松葉杖をつく程の大きな怪我をし、リハビリの期間も含めて約1年間まともにプレーすることはできませんでした。
怪我によって2年生の時の新人戦、リーグ戦、3年生の時の六大学、電鉄杯、トーナメント
全ての試合に出ることができませんでした。
慶應大学では、新人戦や六大学の試合は全ての人にチャンスが与えられます。
つまり、私にとっての自分の力を試す場、経験を積む場を失いました。
その中で同期や後輩が試合に出場しチームに貢献していました。
私としては非常に複雑な想いです。
嬉しさもありつつ、悔しさと焦りを感じていました。
そして3年秋シーズンは1番悩み、苦しんだシーズンでした。
怪我の影響はなかったのですが、秋のリーグ戦も試合に出れる機会はありませんでした。
同期のプレーヤーは試合に出場し、プレーでチームに貢献している。
同期のスタッフもそれぞれの役割の中で最大限の力を発揮している。
私以外の同期が上級生として自覚、責任感を持ちチームに貢献している。
同期だけでなく後輩もそれぞれ役割を見つけチームに価値を与え続けている。
自分は何をしているのか。
チームに貢献できているのか。
チームの雰囲気、状態が良いのと比例して私の焦り、不安、苦悩は大きくなるばかりでした。
先輩方は「試合に出るチャンスあるぞ」と声をかけてくれます。
しかし、もし今の自分が試合に出て何ができるだろうかと考えてしまいます。
試合に出ても何も出来ない。足を引っ張るだけ。
そう思っていました。これは自分が1番よく分かっています。
試合を重ねる度、そして勝ち星を重ねる度に自分の無力さを突きつけられました。
私はここで一度心が折れてしまいました。
自分の存在意義とは。
自分のプレーが大学バスケで通用するのか。
最上級生となった時にチームに悪影響を与えてしまうのではないか。
もしだめだったら…
そんな想いが積み重なりバスケ部をやめることを考えました。
そしてこの想いを同期にぶつけました。
なによりチームや同期に迷惑をかけたくないと。
同期は見捨てることなく、自分はチームに絶対に必要な存在だと言ってくれました。
「今まで努力してきたのは知ってる。一緒にコートに立ってプレーしたい。」
この言葉に私は大きく勇気付けられました。
そして同期の期待に応えたいと強く思うようになりました。
今までの不安や悩みを一回全部忘れ、チームのためにできることを全うしよう。
もう一度原点に戻りました。
そこからは今までにない、非常に充実した日々を過ごしました。
どんな時も自分にできることを全力で。泥臭く、粘り強く。

そして早慶戦。
今年の早慶戦は絶対に勝たなければいけないと思っていました。
私たち4年生は1年生の時に早慶戦優勝という大きな喜びを味わいました。
あの時の喜び、興奮、感動をもう一度。
そして後輩たちにも感じ取って欲しい。
そう思っていました。
もし今年の早慶戦に負けてしまうと、早慶戦の勝ちを知らない代ができてしまう。
あの喜びを知っているのと知らないとでは早慶戦に向けてのモチベーションに大きく影響してしまうのではないかと、考えていました。
だからこそ今年は絶対に勝ちたい。
なんてことを勝手に思いながら、最高の仲間たちと早慶戦に臨みました。
まさか自分があの舞台に立てるとは入部当初は思ってもいませんでした。
ましてや山﨑と交代であんな重要な場面で出場するなんて。
あの最高の舞台でシュートを決め、会場中が大きく盛り上がった時、バスケを続けてきてよかったなと思いました。
(2本ともまぐれじゃないです。ちゃんと狙って決めました。笑)
長く耐え抜いてきたものが、ようやく花咲いたと思いました。
あの最高の舞台に立つことができ、勝利を収めることができたこと。
少しでもこの勝利に貢献できたこと。
そして何より、今までお世話になったり、多くのことを気にかけてくれた両親や先輩方。面倒や苦労をかけてしまったが見捨てずにいてくれた同期に恩返しができたこと。
これが本当に嬉しかったです。

まだまだ終わりではありません。
既に秋のリーグ戦に向けてチームとして始動しています。
自分もこれで満足はしていません。
チームとしても個人としても、もう一度満開の花を咲かせるために
チーム一丸となり頑張りたいと思います。
ぜひ応援よろしくお願いします。
次回は高橋佑輔(1年生)です!乞うご期待ください!
ブログリレー 岩片悠馬
2019年7月11日 19:00| Comment : 0
挑戦

はじめに
こんにちは
慶應義塾体育会バスケットボール部3年の岩片悠馬です。
今回ブログを書くにあたって、書きたいことは多くあったのですが、ブログリレーも回数を重ね、内容がかぶってしまいそうなので、できるだけ私にしかできない話ができればと思っています。
私は文章を書くことが苦手なので、これまでの人ほど立派な文章にはならないと思いますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
早慶戦
慶應のバスケットボール部について語る上で欠かすことのできないイベントが早慶戦です。
私が早慶戦の存在を知ったのは、幼い頃に親に連れて行ってもらった野球の早慶戦がきっかけです。
当時私はサッカーをしていたのですが、その時から、スポーツに取り組む者として早慶戦は憧れになりました。
どのスポーツの早慶戦についても言えることだと思いますが、あれほど熱狂的な雰囲気の中で行われる大学スポーツの試合はなかなかないと思います。
一般の方も含め、どちらの大学にも同じくらいの人数の学生やOB・OGの方々など、多くの人が応援に駆けつけるので、他にはない盛り上がりを見せます。
今年はその大舞台で早慶戦優勝という目標を果たす事が出来ました。
私はありがたいことにスタートから試合に出させていただいたのですが、早慶戦のコートに立つことは初めてだったので、本当に緊張しました。
今までにも2度、早慶戦のベンチには入ったのですが、やはりコートに立った時の緊張感は異常でした。
現在早稲田は1部リーグに所属しており、強力な選手も揃っているのに対し、慶應は2部で、全国を経験した選手も少ないです。
しかし、試合は常にどちらが勝つかわからない接戦でした。
今年の試合展開は、いかに慶應の「気持ち」が早稲田を上回っているかを表していたものだと思います。

挑戦
さて、ここからは私の少し特殊なバスケットボール人生について、お話をしたいと思います。
私がバスケットボールに出会ったのは小学校6年生になる前だったと思います。
当時仲良くしていた友達数名と一緒に昼休みに遊びで始めたのがきっかけです。
小中高一貫の学校であった為、中学に入学した後は友達に誘われるがまま、バスケットボール部に入りました。
学校では「文武両道」とよく言われていましたが、競技レベルを上げることに力を入れているわけではなかったため、練習時間も少なく、週3日で1時間から2時間ほどしか練習が行えませんでした。
ほとんど遊びの延長のようなもので、大会も予選の1回戦か2回戦で負けてしまうため強い学校と試合する機会もありませんでした。
1度だけ運良く強豪校と呼ばれる京北中学と試合をする機会があったのですが、レイアップだけで100点近く取られボコボコにされた記憶があります。
高校に入学してからは徐々に受験について考えるようになりました。
父親の影響で小さい頃から慶應義塾大学に対する憧れが強かったため、志望校は常に慶應でした。
高校でもバスケットボールの環境は中学とほとんど変わらず、週3日で朝のシューテングと午後の全体練習があるだけで、結果も地区予選2回戦負け。
個人でも地区選抜に選ばれるわけでもなく、何も目立った成績もなく引退しました。
さて、ここまで大学入学までの私のバスケットボール人生を軽く振り返ってきて、みなさんもなんとなくお気づきかもしれませんが、私がこれまで取り組んできたバスケットボールは大学の体育会ではとても通用するレベルではありません。
しかし、高いレベルでバスケットをすることに対して憧れがあったため、体育会に入ることは高校の頃から決めていました。
ここから私の「挑戦」が始まります。
入部当初は、同期には全国常連の東山高校や洛南高校出身の選手がいたり、内部生も今までの私が体験してきたよりレベルの高い環境でバスケをしていたため、少しでも自分をアピールしなければと思い、跳躍力を活かそうとダンクばかりしていたのを覚えています。
練習がはじまってからはうまくいかないことばかりでした。
私の場合、まず、基礎が全くなっていませんでした。
中学の頃は身長がそれほど高くなく、高校時代も外からのシュートばかり打っていて、ウエイトトレーニングもしていなかったため体が弱く、センタープレーが全然できませんでした。
それに加えディフェンスのつき方やスクリーンの使い方など高校まで特に意味も考えず感覚でプレーしていたため、意味を理解し動けるようにしなければなりませんでした。
そのため、1年生の頃は大学の体育の授業が無い時には自由に体育館が使えたこともあり、授業が終わった後はすぐに体育館に行き、早くみんなに追いつけるよう必死で自主練習をしました。
このブログを読んでいる人の中で、慶應のバスケットボール部に入るか迷っている人がいたら、是非「挑戦」してみてください。
学生生活が充実したものになることは間違いありません。
次の私たちの目標は「一部昇格」です。
今後も目標に向けて全力で取り組むバスケ部を応援し続けていただけると幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回は泉友樹雄(4年生)です!乞うご期待ください!
ブログリレー 新井悠生
2019年7月8日 19:08| Comment : 0
入部して感じた体育会バスケットボール部の熱量

はじめに
慶應義塾経済学部1年ならびに体育会バスケットボール部所属の新井悠生と申します。よろしくお願い致します。
今回、私がブログリレーを担当するにあたり入部して間もない私が何を書けば良いのか大変悩んだのですが、入学して約3カ月が経ち、大学生活と部活との両立、また先月の6月22日に行われた早慶戦に触れながら、慶應義塾体育会バスケットボール部について書かせて頂きたいと思います。
大学生活と部活の両立
早いもので入学してから約3カ月が経ち、段々と大学生活にも慣れてきました。
私達はバスケットボール部の一員でありますが、塾生として学業を第一優先に考えて取り組まなければなりません。
早朝からの練習をこなして、昼間は講義、そして夜からはまた練習という学業と部活動の両立が難しいですが、私は今、とても充実した大学生活を過ごしているなと感じます。
現在は、学業と部活動の両立を完璧にできているとは言えませんが、今後は、自他共に認めるような文武両道の体現を目指し、日々精進していきます。
伝統の一戦
私が初めてバスケットボールの「早慶戦」を観戦したのは中学一年生の時でした。
中学生ながらに、会場の雰囲気、観客の声援、選手たちの熱量が普通の試合と異なるとういうことは容易に理解できました。
そして今回、早慶戦7回目にして初めて、 観客ではなく選手 として早慶戦に臨みました。
早慶戦に臨むにあたり、部全体での早慶戦へかける熱量は、私の想像を遥かに上回るものでした 。
打倒早稲田を実現すべく、四年生を中心に学生主体となってスカウティングや戦術を練り、四年生に続いて三年生以下も一枚岩となって、春シーズンの全てを懸けて早慶戦に臨みました。
そして77回目という長い歴史を持つこの伝統の一戦で3年ぶりの勝利を収めることができました。
勝利が決まった瞬間、何事にも変えられない嬉しさが込み上げてきました。本当に心の底から感動し、チーム全員が歓喜に浸りました。
来年以降も伝統の一戦に勝利し、この感動を味わえるよう頑張っていきます。

バスケットボール部について
早慶戦について書いた内容と重複してしまいますが、この部では基本全てのことを「学生主体」で行っています。
大人の方々から言われたことだけを行うのではなく、部員一人一人が自分の役割を考え、チームが勝つ為に何をすべきなのか、チームの為に何ができるのかということを真剣に考え、その役割を全うしています。
私はまだ先輩方に比べ、チームに貢献できることが少なく何をすればチームのためになるかを考えてる最中ですが、今できることを全力で全うし、チームに少しでも貢献できるように死にものぐるいで頑張っていこうと思います。
次回は岩片悠馬(3年生)です!乞うご期待ください!