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ブログリレー 新井悠生
2022年8月10日 18:00| Comment : 0
「ラストシーズンに懸ける」 〜憧れの舞台を終えて〜

はじめに
皆様初めまして。私、慶應義塾体育会バスケットボール部4年、並びに経済学部の新井悠生と申します。本年度のチームでは、副将を務めております。
今シーズンは慶應義塾大学体育会バスケットボール部男子にとって、大いなる変革の年でした。新チーム発足時には社会人スタッフの方々が一新し、またバスケットボール三田会の手厚いサポートにより、とても恵まれた環境のもと、チームをスタートすることができました。学生としては、春シーズン/早慶戦優勝、秋シーズン/2部昇格を目標に掲げ、「尽(つくす)」というチームスローガンのもと、生まれたてのチームは走り出しました。
そうして、不安と期待が混じりながら迎えた早慶戦。結果としては早稲田大学に圧倒され、大差での敗戦となってしまいました。チーム力、そして4年生の力の差がもろに出た試合だったと感じています。
今回は、早慶戦を終え春シーズンを振り返り、秋シーズン、そして私の学生バスケに対する思いについて執筆させていただきたいと思います。拙い文章であるとは存じますが、どうぞ最後までお付き合いいただけますと幸いです。
早慶戦を終えて
先述した通り、先日私にとって憧れの舞台だった、最後の早慶戦が終わりました。私は幼稚舎出身ですので、早慶戦は約16年、関わってきたことになります。右も左も分からないなりにただただバスケットボール観戦を楽しんだ幼稚舎時代、大学生の迫力のあるプレーに憧れた中学校時代、そして輝く舞台に魅了され、入部を決めた高校時代。早慶戦はいつの時代も華々しい記憶と共に蘇ってきます。
そして迎えた最後の早慶戦。昨年度も早慶戦には出場させていただきましたが、やはり満員の代々木で迎える早慶戦は、私にとって大きな意味がありました。そこは私が16年間憧れ続けてきた夢の舞台であり、満員の代々木でプレーできたことは私の人生においてとても大きな財産となりました。しかし、早慶戦を終えて私の心に残った感情は、憧れの舞台でプレーできた嬉しさではなく、春シーズンの目標を達成できなかった悔しさ、そして不甲斐なさでした。

チームの再建
早慶戦を終えた私たちは、テスト期間もあり、1ヶ月の自主練期間に突入しました。チームは一時解散となりましたが、4年生の私たちは多くの課題を抱えており、解散している間はありませんでした。春シーズンはチームスローガンである「尽(つくす)」を体現しきることができず、また早慶戦に懸ける想い、4年生の存在感という部分でも早稲田の4年生に劣っていました。秋シーズンに春シーズンと同じ過ちを繰り返さないよう、そして秋シーズンに同じ思いをしないよう、私たちは春シーズンの自分たちの行動を、一つ一つ振り返りました。実際に振り返ってみると、春シーズンの自分たちの甘さが露呈したシーズンでした。練習の完成度、チームとしての組織力、そして4年生としてのリーダーシップ、どれをとっても「勝利」を実現するためには不十分でした。
この敗北感、やるせ無さを払拭し、秋シーズンの目標「3部全勝優勝、2部昇格」を必ず達成するために、そして4年生としてのラストシーズンを戦い切るために、私たちは一からチームを再建することを決めました。4年生として目指すチーム像、学生バスケの意義、ひいては体育会バスケットボール部というチームが社会に存在する意義に至るまで、ミーティングを重ねとことん話し合いました。春シーズンを通し結果が出なかったこともあり、楽しい話ばかりではありませんでしたが、秋シーズンに向けて4年生のあるべき姿、そしてチームとして一つにまとまるために、非常に有意義な時間を過ごせたと感じています。
ラストシーズン
私のバスケットボール人生を振り返ると、本当に苦い思い出ばかり蘇ります(笑)。私は中学校から本格的にバスケットボールを始めましたが、中学・高校共に華々しい結果を残すことはできませんでした。そして大学に入学してからも、1年生の春に早慶戦優勝を達成して以来、悔しい思いをし続けました。そして先日、全てを懸けて臨んだ早慶戦でも結果を残すことはできませんでした。何としても、このラストシーズンこそは最高の結果を出し、みんなで笑って学生バスケットボール人生を終えることが私の今の目標です。
現在、私はバスケットボール人生最後のシーズンを迎えています。まだシーズンが始まって間もないですが、春シーズンとは明確にバスケットボールの強度・チームの雰囲気において変革が訪れていることを感じます。しかし、秋シーズン結果を出すためには、この強度・雰囲気を継続し、チームスローガンである「尽」をチーム全員で体現する必要があります。
私は秋シーズン、個人として「チームで最も尽くす選手になる」という目標を立てました。スローガンをチームで体現する上で、万事において、私がチーム内で最も尽す選手になり、他のチームメイトをリードしたいという思いからです。私は他の選手と比べ、特出したバスケスキルやフィジカルのアドバンテージはありません。しかし、私が胸を張ってこのチームで一番だと言えることが一つあります。それはこのチームを愛する気持ちです。私は誰よりもこのチームが、そして共に戦ってくれる同期、後輩たちが大好きです。今まで何も成し遂げることができなかった僕のバスケ人生ですが、ラストシーズンこそは大好きな仲間たちと最高の結果を出したいです。そのために、今シーズンのスローガンである「尽」を誰よりも体現し、必ず3部全勝優勝・2部昇格という秋シーズンの目標を達成します。
残り少ないバスケ人生ですが、今まで私のこと、チームのことを応援してくださった全ての方々に全力で恩返ししたいと思います。そして最高の結果を得て、来年以降の後輩たちに繋げられるようなシーズンにしたいと考えています。ラストシーズン、妥協なく全てのことに「尽」ますので、応援の程宜しくお願いいたします。

ブログリレー 水谷祐葵
2022年7月25日 18:00| Comment : 0
「最後の早慶戦を終えて」

はじめに
誠に僭越ながら自己紹介させていただきます。私、慶應義塾大学環境情報学部4年並びに慶應義塾大学体育会バスケットボール部で選手として活動させていただいております、水谷祐葵と申します。何卒よろしくお願いいたします。
先日、私にとって大学生活最後の早慶戦が終わりました。今、頭の中で様々な感情が交錯しており、この気持ちをうまく表現できるか自信はありませんが、早慶戦までの3年あまりの活動についてお話しさせていただきたく存じます。拙い文章ですが、最後までおつきあいいただけると幸いです。
3年前の早慶戦勝利のあと
3年前の6月、私たちは、早慶戦で劇的な勝利を収めました。(よろしければ3年前の私のブログ「はじめての早慶戦を終えて」をお読みください。)あの日の奇跡ともいえる勝利は、いまだ褪せることはない鮮やかな記憶として私の中に残っています。
しかし、その勝利の後、秋のリーグ戦では惜敗する試合が続き3部に降格、そして2部復帰に向けて始動しようとしたまさにその瞬間、コロナにより生活が激変しました。授業はオンラインに切り替わり、体育会活動もできない期間が長く続き、私が思い描いていた大学生活とは何もかもがかけ離れたものとなっていきました。

新人戦や慶関戦は中止、そして、秋のリーグ戦は、2年連続、形を変えての開催となりました。それは、私たちの「2部リーグ昇格」のチャンスがなくなったということを意味しており、私も含め部員たちはモチベーションやスキルを維持するのに相当苦しい思いをしました。しかし、そのような苦しい状況であっても、仲間とともに過ごし、それぞれの強みを発揮できる方法を模索したり、体を鍛えたりする時間は、かけがえのないものでした。
新たなスタート
今年度、新しい体制のもと、早慶戦や秋のリーグ戦で結果を残すべく、新チームがスタートしました。私はこの数年間、悔しい負けを多く経験してきて、チーム競技の難しさを痛感してきました。1年生の時は、下級生ということもあり、がむしゃらに図々しくプレーすることができましたが、その後、学年が上がりチームをリードするにあたって、自分の表現方法も考えることが増えました。
何をしたらよいのかわからず自分を見失いそうになる時もありましたが、そんな時に私を奮い立たせてくれたのは、小学生時代から歩んできたバスケットボールでの数々の思い出と、3年前の早慶戦の勝利、そして仲間の存在でした。その事に気付いたとき、ラスト1年、全力でバスケに向き合いたいと思いました。また、実績のある先輩方がコーチとしてチームを導いてくださることが何より心強く、私達は必ず強くなれる、という確信を持つことができました。
早慶戦までの日々
さて、前置きが長くなりましたが、そろそろ本題の早慶戦についてお話しします。伝統の早慶戦は、今年80回目を迎えました。早慶戦は、選手やスタッフ、OBの方々、応援してくださる全ての方々にとって、大きな意味のある特別な一戦です。本年度は3年ぶりの有観客試合、しかも会場はバスケットボールの聖地である代々木第二体育館ということもあり、日に日に気持ちが高揚していきました。
私自身について申し上げると、昨年は早慶戦1ヵ月前に鼻の骨を折り、練習にも支障をきたしたので、今年は怪我のないよう、注意を払いながら日々を過ごしました。4年生ゆえ、就職活動やゼミなどもあり、バスケットボールのことだけを考えていた例年に比べると、準備万端とは言えませんでしたが、毎年4年生はこういった苦労を表に出さずに試合に臨んでいたということを遅ればせながら知ることとなりました。
4年生の事情はさておき、チームとしては、新入生も加わって、春の試合、慶関戦を経験する中で、少しずつまとまりをみせ、それぞれの役割も明確になっていきました。そして、ついに、春シーズンの集大成であり、年に1度の特別な日である早慶戦の日を迎えます。
いざ決戦の地へ
7月2日は太陽が照りつける猛暑日でしたが、会場の代々木第二体育館の中は、外に負けないほどの熱気であふれていました。エール交換、チアの応援、会場の観客の方々の存在、そのひとつひとつがコロナ禍の2年半の苦しさを忘れさせてくれるもので、私は高ぶる気持ちを抑えられませんでした。
とはいえ、試合に関しては、1部リーグ所属の早稲田大学には、どの学年にも全国大会で名を馳せた選手が在籍しており、今年も厳しい戦いになることは容易に想像できました。実際、試合が始まって早々、実力差を見せつけられることになりましたが、本塾も、後輩の山本や髙島を中心に得点し、必死に食らいついていきました。
私自身、自分がチームの中心となって得点するという強い覚悟と自信がありました。1年生からコートに立つ立場として、ベンチにいる部員、スタッフ、OBや応援してくださる観客の方々などに対して、自分が果たすべき責務があるという信念のもと、いつも以上に攻めの姿勢で臨みました。
残念ながら、点差は広がるばかりでした。それでも最後まで力一杯応援してくださった会場の皆さんには、心から感謝しております。大きな会場が満員となり、両校の応援が響き渡る空間でプレーできたことは、何にも変え難い人生の宝となりました。
私は試合途中で指を脱臼したのですが(去年の早慶戦では肩を脱臼しました)、なんとしてもコートに戻りたいという気持ちで処置をしていただき、試合に戻ることができました。そしてラスト24秒、ともに過ごしてきた同期でコートに立った瞬間は、万感の思いでした。
結果的に完敗したものの、私の中には、3年前の気持ちに似たすがすがしいものがありました。もちろん、負けは大変悔しいですし、反省すべき点もたくさんありますが、自分もチームも、現在できることをやりきったと言えるのではないかと納得しています。
後輩たち、早慶戦の借りは早慶戦でしか返せません。どうか、来年こそは勝利をつかんでください。

秋シーズンに向けて
さて、秋にはリーグ戦が始まります。伝統ある慶應義塾体育会バスケットボール部において、OBの方々や応援に駆けつけてくれた一貫校の後輩たちの期待に応えることができていない現状を本当に申し訳なく思うとともに、ここからは勝つことが何よりも大事であると思っております。皆さんに信頼、応援していただくためには、結果で示すしかありません。
私自身、強い慶應に憧れ入学しました。私をはじめ4年生が大学で活動できる日々も、残り少なくなってきましたが、ひとつひとつの試合を大切にして確実に勝利をつかみ取ること、そして、2部に昇格してシーズンを終えることが、部員の使命であると思っております。同期や後輩と共に、必ず強い慶應を復活させることができるよう、力を尽くしたいと思います。今後ともご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。

ブログリレー 菊地康月
2022年5月23日 18:00| Comment : 0
「自分を信じる」

はじめに
誠に僭越ながら自己紹介させていただきます。私、慶應義塾大学総合政策学部2年並びに慶應義塾体育会バスケットボール部で選手として活動させていただいております、菊地康月と申します。何卒宜しくお願い致します。
現在、バスケットボール部では新たに多くの社会人スタッフの方々や1年生が加入し、新体制で昨年度から心機一転して日々練習に励んでおります。また今年度は、「尽(つくす)」というスローガンのもと、春シーズンは早慶戦優勝、秋シーズンは3部全勝及び2部昇格を果たして、最終的に様々な方に応援されるチームになろうという目標を掲げております。
昨今のコロナ禍の中、様々な場面で活動が制限されているにもかかわらず、私たち部員が日々練習に打ち込むことができるのは、慶應義塾体育会バスケットボール部を応援してくださる皆様の多大なるご支援ご協力の賜物であり、この場を借りて厚く御礼申し上げます。
今回、バスケットボール部のブログを担当させていただくにあたり、私のこれまでのバスケットとの出会いと歩み、そして現在の慶應でのバスケット生活を通して感じていることなどを書かせていただきます。拙い文章ではありますが、是非最後までお付き合いください。
バスケットとの出会い
私がバスケットボールを始めたのは小学3年生の頃で、中学校教諭でバスケ部の顧問も務めていた父の影響でした。父の紹介でミニバスケットボールをはじめたのですが、最初はただ、なんでわざわざ休日にキツイ練習をするのだろうと、半ば嫌々通っていました。
しかしその後、学年も上がり試合にも出られるようになってきてだんだんとバスケットが楽しく思えるようになってきました。さらに生まれて初めてできたチームメイトという存在が自分の中で大きくなっていき、ハードな練習も乗り越えることができました。そのミニバスのチームメイトとは大学生になった今でもつながっていて、たまに集まったりもしています。
そのような、かけがえのない経験をさせてもらったバスケットに大きな魅力を改めて感じ、受験して入学した中学では迷わずバスケットボール部に入りました。私の中学は高校と一貫で、そこで過ごした6年間は私にとって何にもかえがたい素晴らしい時間でした。まず私は中学生の時に2度の全国大会を経験しました。各都道府県から来た、自分と同様にバスケットボールに励むプレイヤーたちを見て感動するとともに、大きな挑戦心を抱いたのを覚えています。
そして中学3年生のときにはありがたいことに、全国大会常連の強豪高校から推薦の話をいただいて、実際に行って体験練習も行いました。しかし私の学校は中高一貫校で、別の高校に転学する人はほとんどゼロでした。頑張って中学受験をしてまで入学したのに、高校でスポーツをするために転学するのはとても勇気のいることでした。そこで初めて私は自分の大学進学やその後の将来のことを真剣に考え、両親や学校の先生方にもたくさん相談した上でそのまま一貫高校に残る決断をしました。
当時は先の見えない中で下したこの決断が将来にどう影響するのかとても不安でしたが、思い返せば自分が現在慶應義塾大学で存分にバスケットを続けられているのはこの時の決断のおかげだと心から感じています。そして高校入学と同時に私は大学こそは本気でバスケをすると決め、そのために高校では学業にメインで打ち込むようになりました。
実際、私は高校3年間を通じてたくさんの先輩や後輩、同期と共にさらに大きく成長できました。しかし昨今の新型コロナウイルスの影響で自分たちの代の引退試合がなくなり、最後は不完全燃焼で高校バスケを終えました。

慶應義塾との出会い
次に、私がどのようにして慶應義塾大学への進学を決めたのかということについてお話しします。上記の通り、大学バスケに前向きだった高校生の私は体育会で本気でバスケットに向き合える環境に身を置きたいと思っていました。同様に高校では学業に励むことを選択したため、しっかりと勉強して大学に入ろうとも考えていました。
そのような中で私の進学先として浮かび上がってきたのが慶應義塾大学でした。慶應義塾大学は言わずと知れた伝統ある名門校で入試の難易度も高く、私が高校2年生の時の早慶戦では、プロ選手も多く輩出している早稲田大学を倒すほどでもあり、文武共にそのレベルの高さに私は強い憧れを抱きました。そのため、高校でも非常に早い段階で志望校を固めて勉強に励みました。
慶應での最初の1年
その後、無事に慶應義塾大学に入学した私は晴れてバスケットボール部の一員となり、大学バスケの門戸を叩きました。はじめに述べておくと、そこから過ごした1年間は私にとって焦りと我慢の連続の日々でした。まず練習に参加してから最初に痛感したのは、フィジカル面と頭脳面での、自分との大きな差でした。
高校時代までおよそウエイトトレーニングと呼べるものを経験してこなかった私は、周囲のチームメイトたちと比べても筋力や体力で劣っていました。そのため日々の練習に加えて暇なときに外を走りに行ったり、寮の自室で筋トレを日課にするなどしたりしてなんとか周りに追いつこうとしていました。
さらに大学バスケでは非常に多くのことを考えながらプレーする必要があり、より高いバスケットIQが求められます。慶應義塾大学では強豪高校出身のチームメイトも多く、私は経験値でも大幅に遅れを取っていることを実感しました。そのため練習のビデオを何度も見て自分のプレーを研究したり、練習メニューのポイントを細かくメモしてことあるごとに見返したりしていました。
私の昨年の慶應義塾大学でのバスケット生活はそのような試行錯誤の連続でした。最初からベンチの座を獲得し、試合で活躍する同期の姿を見ながら自分も早く試合に出たいという思いが日増しに強くなりました。ありがたいことに秋シーズンからは私もベンチに入らせていただき、試合にもわずかではありますが出場する機会を得ました。しかし高校時代とは異なり、フィジカルやスピードなどすべてがレベルの高い大学バスケの舞台では思うように自分を表現できず、本気で悩む時間が多くなりました。
それでも周囲と比べて経験の少ない私はそのような苦労をすることも入学前から覚悟の上だったので、弱気にならず今は我慢の時期だと思いながら両親をはじめ、たくさんの人の支えをエネルギー源にして練習でも試合でも堅実に自分にできることを探そうと決めました。
一刻も早く試合で活躍して自分の成長した姿を少しでも多くの人に見せたい一心ではありますが、焦りを抑えつつ着々と力を蓄えていこうと思います。

2年生になって
早いもので、私ももう2年生になりたくさんの後輩もできました。相変わらず練習でも試合でも自分を表現することに精一杯の日々ですが、これまでのように「まだ1年生だから」と甘えた目で見ることを嫌って、責任感を強く持ってさらに自分に厳しく練習に励んでいこうと思います。
何より今年こそは早慶戦もリーグ戦も勝利に対してより貪欲にいかなければならない1年になるので、チームに積極的に貢献して自身もチームに欠かせない存在となりたいと思っています。落ち込んだりしている暇は一切なく、しっかり前を向いて、1年が終わってから振り返るとひと回り以上成長できたと胸を張って言えるような年にしていくつもりです。
最後に
ここまでお読みいただきありがとうございました。
1年間過ごしてみて、こんなに自分と真正面から向き合える場はないと改めて強く実感しています。バスケットに打ち込める素晴らしい環境を提供してくださる社会人OBの方々、日々支えてくれる両親や多くの友人、そしてなにより共に切磋琢磨しあえるかけがえのないチームメイトには心から感謝しています。自身の成長とチームの勝利の両方を目指してくじけることなく進んでいく所存ですので、これからも引き続きご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します。

ブログリレー 林泰我
2022年5月19日 18:00| Comment : 0
「憧れの体育会」

はじめに
誠に僭越ながら自己紹介させていただきます。慶應義塾大学経済学部経済学科2年並びに体育会バスケットボール部所属の林泰我と申します。
はじめに、普段より慶應義塾体育会バスケットボール部のご支援をしてくださる多くの方々に感謝申し上げます。コロナ禍にも関わらず私たちが練習に励むことができるのは、皆様からの手厚いご支援と応援の賜物です。心より感謝し勝利を目指して精進して参りますので、今後とも変わらぬご支援ご声援の程、宜しくお願い致します。
この度ブログリレーを担当させていただくにあたり、私の体育会バスケットボール部への入部を志した経緯と入部してからの話を書かせていただきます。拙い文章ではございますが、是非最後までお付き合いください。
中学時代
私は中学生からバスケットボールを始めました。初めは姉の影響で始めたバスケットボールでしたが、日を追うごとに段々とのめり込んでいきました。当時のコーチの方々にも大変よくしていただき、バスケットボール部での活動と学校生活がとても楽しかったです。当時、中学生のときに初めて観に行った早慶戦に衝撃を受けたのを今でも覚えています。大学生はこんなにも熱くバスケットボールをするのか、かっこいいなと感動したことを今でも覚えています。そして当時中等部出身の先輩の体育会でご活躍されていた先輩に憧れて、こんな私にでも今から努力すれば体育会バスケットボール部に入れるのかも知れないと思うようになりました。

高校時代
そして、卒業後は慶應義塾志木高等学校(以下、「志木高」)に進学しました。中等部から志木高に進学する人は少なく、当時中学生の私はとても悩んだのを覚えています。しかし、志木高でバスケットボールがしたいという思いが強く進学を決意しました。その当時の決断は間違っておらず、志木高でとても楽しく充実したバスケットボール生活を送ることができました。本当に当時の決断をした自分を褒めてあげたいと思います。
そして大学生になり、私は迷うことなく憧れの体育会の門を叩きました。
一年目
不安と期待を胸に入部した私は、大学バスケットボールのレベルの高さに衝撃を受けました。体格や技術も劣っており、特にディフェンスが苦手だった私は大学のレベルに圧倒されました。しかし、私は先輩方や同期のお陰で充実した日々を過ごすことができ、いろいろな機会に恵まれて試合にも多く出場させていただきました。一年目は憧れの体育会に所属しているのだと嬉しく思う一方、あの早慶戦でみた憧れの先輩のようになれるのかと不安になりながら必死で先輩の背中を追っていた、あっという間の1年間でした。

2年目
2年目は、同期や慕っていた先輩が辞めてしまい、チームの環境も大きく変わりました。2年目も大きな壁にぶつかっています。昨年まではプレータイムをいただき、試合に出場していましたが、今年度はほとんどの試合をベンチから見守りました。そのときの私にとって一秒もコートに立つことができないことは、とてもショックなことでした。
試合に出場できなくなった理由としては、自分の欠点であるディフェンス力不足と向き合わずに誤魔化し続けて1年間過ごしていたしわ寄せがきたというだけでした。今思えば当然のことであると思います。しかしそのときの私は自身に原因を探すことはせず、間違ったことに起用やチームに対して不満を持ちました。言葉を選ばずにいえば、腐っていたという表現が正しいと思います。
しかしそんな私に対して、先輩方や同期は見捨てずに、アプローチをし続けてくださいました。私はそのお陰で、もう一度人として体育会生として選手として自分としっかりと向き合っていこうと思うことができました。本当に先輩方と同期には感謝をしてもしきれません。
このような自分と向き合う機会や自分を成長させてくれる仲間がいること、これも私はこの体育会での活動の意味の一つだと思っています。これからはあの頃にみた憧れの体育会生になれるよう、そしてこのチームのために一から頑張っていこうと思っています。
最初は体育会でご活躍されている先輩に憧れて入った体育会ですが、今は本当にこのチームが大好きです。これからは私にできる最大限のことを行い、慶應義塾のバスケットボールにこれまで受けた恩を返していきたいと思っています。

最後に
このような状況の中で、慶関戦や毎日の練習ができるのは、OBや父兄の方々の日頃のご支援もちろんのこと、関東大学バスケットボール連盟の方々などの多くの人々のおかげです。日頃からご支援いただいている方々のためにも、日々精進して参りますので、今後とも応援のほどよろしくお願い致します。
拙い文章ですが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ブログリレー 清水綺介
2022年4月28日 18:00| Comment : 0
「悔しさを糧に」

はじめに
誠に僭越ながら自己紹介させて頂きます。慶應義塾大学経済学部3年並びに体育会バスケットボール部所属の清水綺介と申します。はじめに、普段より慶應義塾体育会バスケットボール部のご支援をして下さる多くの方々に感謝申し上げます。コロナ禍にも関わらず私たちが練習に励む事が出来るのは皆様からの手厚いご支援と応援の賜物です。心より感謝し結果で恩返し出来るよう精進して参りますので、今後とも変わらぬご支援ご声援の程、宜しくお願い致します。
今回ブログを担当させて頂くにあたり、私の慶應バスケ部との出会い、そして、実際に入部して経験した事や感じた事についてありのままに書かせて頂こうと思います。拙い文章になりますが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。
きっかけ
私が慶應義塾の門を叩いたのは5年前の事です。中学3年生の頃の私は志望校選びで迷っていました。当時は小学校の時からずっと続けてきたバスケを高校に行っても全力で頑張ろうという熱い気持ちもなく、高校生活のビジョンが見えない中で受験勉強に勤しんでいた覚えがあります。そんなある日、代々木体育館でバスケの早慶戦が開催されるという話を聞き志望校選びと勉強の息抜きも兼ねて観に行く事にしました。早慶のプライドがぶつかり合う一戦。満員の体育館で大きな声援が飛び交う中ぶつかり合う両校の戦いは大迫力でした。当時の光景は今でも鮮明に覚えています。そんな中、一生懸命に泥臭くプレーする慶應義塾の選手の姿を目の当たりにして、私は中学生ながらに感動と強い憧れを抱きました。「慶應義塾に入りたい」「慶應義塾でバスケがしたい」、そう強く思えた瞬間でした。
高校時代
話は飛んで高校の話になります。無事に慶應義塾高等学校(以下、「塾高」)に入学する事ができた私は迷いなくバスケ部への入部を決めました。初日に本入部届を持って行ってびっくりされたのを覚えています(笑)。塾高バスケ部で過ごした三年間は肉体的にも精神的にもとても大変でしたが、今思えば本当に人間として成長させて頂く事が出来た3年間だったと思います。毎朝5時前に起きて向かう朝練は当然キツかったし、チームとの関わり方に関してもたくさん悩みました。試合に一番出させてもらっている自分が一番チームの足を引っ張っている気がして、途中で心が折れてしまい辞めたいと感じた時もありました。ただ、そうやって悩みながらも進み続けたことでチームとして勝利を追い求める事の意味や、チームにおける自分の存在意義について考える事ができた気がします。ずっと自己中心的にバスケをしてきた私でしたが、塾高ではたくさんの経験をし、尊敬出来る仲間にも出会えて最後の最後にはチームのために戦う事が出来たと思います。満足のいく結果こそ残せませんでしたが、塾高バスケ部での経験は大学でも活きています。

大学一年目
そして迎えた大学生活。たくさんの選択肢がある中で何に取り組むか色々と考えましたが、学生生活最後の四年間を本気でバスケが出来る環境で燃やし尽くしたいと思い体育会バスケ部への入部を決めました。ただ、待っていたのは想像をはるかに超える困難の連続でした。まずは新型コロナウイルスによる活動自粛。一度も体育館に足を運ぶ事が出来ぬまま長期の自粛生活を余儀なくされ、モチベーションを保つのに苦労したのを覚えています。同期や先輩方とオンライン上でしかコミュニケーションが取れない日々が続きとてももどかしい気持ちでしたが、練習が再開した時に良いスタートが切れるようにこの期間を利用して体づくりに取り組もうと考えました。結果的に練習が再開するまでの約4ヶ月間で7kg近く体重を増やすことが出来ました。そして、ようやく体育館で練習が出来るようになったのは8月半ばのことでした。zoomでしか話したことのなかった同期とはじめて対面して話すことができて嬉しかった事を覚えています。実際に会ってみて画面越しのイメージと全然違う同期もいました。
私のバスケ部での最初の一年目は練習にもほとんど参加できない日々が続きました。今まであまりレベルの高い環境でバスケをした事がなかった私は大学に入ってフィジカル面や技術面で大きな壁にぶつかりました。プレーで貢献できない分相手チームのスカウティングなど、普段スタッフがやってくれている仕事の一部を手伝うことでなんとか最小限の貢献ができたものの、結局プレイヤーとしてのアイデンティティを発揮することが出来ぬまま一年目を終える事になります。
二年目
迎えた二年目。シーズン開始と共に、一年目を共に過ごした同期の中にはチームの事を考えて部を去る決断をする人や選手からスタッフへの転向をする決断をした仲間がいました。そんな同期の姿を見て私も「このままではいけない」と感じ、より一層努力をしなければならないと感化されました。二年目はチームとして思うような結果が残せず、とても悔しい想いをしたシーズンでした。私は二年目もなかなかプレータイムを獲得することが出来ず、秋シーズンではリーグ戦で黒星が続くのをベンチで眺める事しかできない自分の無力さに言葉で言い表せないほどの悔しさを覚えました。この時に、「自分ももっと力になりたい」「コートに立ってチームのために戦いたい」という気持ちが今までにないほど強くなり、練習の取り組み方や考え方を根本的に変えようと意識改革を行いました。私が意識したことは「自身の成長にもっと貪欲になること」、「闘争心をコート上で表現すること」とアスリートとして当たり前の事でしたが、この時の自分に一番必要かつ足りていなかったものだったと思います。ただ、このような意識改革を経て私は自分のプレーに大きな変化を感じるようになりました。そして、二年目のシーズン最後に行われた慶関定期戦では試合に勝利することは出来なかったものの、ようやく自分が積み上げてきたものが形になりそれをコート上で表現する事が出来ました。3月には新人戦、六大学リーグ戦とたくさん経験を積む事ができチームとしても個人としてもたくさんの課題を発見する事が出来ました。現在、それらの課題を克服しさらに強いチームになれるよう練習に励んでいます。

三年目
大学に入学してから時間の流れが早いもので、もう三年目に突入したことが驚きです。はじめて練習に参加した日がついこの前の出来事のように感じると共に、体育会バスケットボール部での活動も折り返し地点に来たということで日々悔いのないように取り組まなければならないと感じています。また、今シーズンからは上級生という立場になったということで、より一層責任感を持ってチームを引っ張っていこうと思っています。
最後に
ここまでお読みお頂きありがとうございます。
最後になりますが、このような状況下で私たちが日々活動する事が出来ているのは日頃よりご支援下さるOBの方々、関東大学バスケットボール連盟の皆さま、そして応援して下さる多くの方々のおかげです。改めて御礼申し上げます。
4月に入り、チームは新入生を迎え入れて目標達成に向けて日々練習に励んでおります。今シーズンは春シーズン早慶戦優勝、秋シーズンは3部リーグ全勝優勝2部リーグ昇格を目標に活動しています。私も下手くそなりにコート上で必死にプレーし、必ず目標を達成する事が出来るよう努力して参りますので引き続き応援の程よろしくお願い致します。

ブログリレー 山口智大
2022年3月13日 18:00| Comment : 0
「”憧れ”を目指して」 〜2年間を振り返って〜

はじめに
真に僭越ながら自己紹介させていただきます。慶應義塾大学文学部2年並びに体育会バスケットボール部所属の山口智大と申します。
はじめに、普段より慶應義塾体育会バスケットボール部のご支援をしてくださる多くの方々に感謝申し上げます。コロナ禍にも関わらず私たちが練習に励むことができるのは、皆様からの手厚いご支援と応援の賜物です。心より感謝し勝利を目指して精進して参りますので、今後とも変わらぬご支援ご声援の程、宜しくお願い致します。
この度ブログリレーを担当させていただくにあたり、何について書くか色々と悩んだのですが、私が慶應義塾体育会バスケットボール部への入部を志した理由とここまでの2年間の振り返り、について書かせていただきたいと考えました。
拙い文章ではございますが、是非最後までお付き合いください。
慶應義塾体育会バスケットボール部との出会い
私がこのチームへの入部を目指すきっかけとなったのは、2019年に行われた第77回早慶バスケットボール定期戦を実際に観戦したことでした。大学でもバスケットボールを続けたいという気持ちはありましたが、この試合を観戦する前の時点ではまさか自分が慶應義塾の体育会に入部することになるとは思ってもいませんでした。中学高校と強豪校からは程遠い学校でプレーしていたため、当時関東2部リーグに所属していた慶應義塾は自分にとって雲の上の存在であったためです。
しかし、この試合は自分を突き動かすには十分過ぎるものでした。一度は名前を聞いたことがあるようなスター選手を多く擁する格上相手に全身全霊ぶつかっていく姿に、私は憧れを抱きました。自分もこのチームの一員としてこのコートに立ちたい、自分もこの偉大な先輩方のようになりたい。この思いが、私が体育会バスケットボール部への入部を目指す一つの大きな動機となりました。
1年目
なんとか慶應義塾大学文学部への合格を果たした私でしたが、私達新入生を待っていたのは、長期に渡る自粛でした。春学期の間、部としての対面での活動は何もできず、先が見えない中で自主トレーニングを行う毎日でした。モチベーションの維持に苦労したことをよく覚えています。
季節が夏に変わった頃ようやく対面活動ができるようになり、意気揚々と体育館に向かった私ですが、ここでも私を待ち受けていたのは困難と挫折の連続でした。全国経験者、自分よりもはるかに身体が大きい人、信じられないくらい身体能力が高い人。先述の通り中高とそれほど高くないレベルでプレーしてきた私からすると、あまりにもチームメイトのレベルが高く、ただただ衝撃を受けました。案の定私の実力では全く通用せず、厳しい指導を受けることになります。(あの時の練習のおかげで今の自分があります、スタッフの皆さん、先輩方、ありがとうございました)
またはじめのうちは、学生生活や新たに始めた一人暮らしに慣れるのにもとても苦労しました。特に、朝早く夜遅い生活の中で金銭面や栄養面にも考慮しながら自炊するのは本当に大変でした。そんな中でも「鶏むね肉はこう調理すると美味しい」「今日はあのスーパーがセールをやっているらしい」といった情報を、同じく下宿生活を送っている同期と共有しなんとかやり繰りしていたのも今ではいい思い出です。
辛く苦しいことも経験しましたが、やはり憧れの慶應義塾体育会バスケットボール部の一員として活動できて当時の私は幸せでした。年が明けてからも再度活動自粛となってしまったため1年生として過ごした時間はわずかなものでしたが、来年以降よりチームに貢献できるよう努力していこう、と前向きな気持ちでオフシーズンは自主トレーニングに励むことができました。
2年目
2年目は前年とは異なり、自分のチーム内でのアイデンティティについて考え続けた年になりました。
同期や後輩が次々とプレイタイムを得ていく中で、私は「どうすればチームに貢献できるのか」を自問自答することになります。ただでさえ実力不足な上に怪我も多かった私には、試合中のプレーでチームに貢献することは叶いませんでした。自分と同じインサイドプレーヤーの人数が少なかったこともあり、幸い試合に出る選手の練習相手をさせてもらうことはできましたが、やはり自らの力の無さに悩むことが多かったと思います。秋のリーグ戦ではチームも負けが続き、試合に出ている選手の皆も苦しんでいたため、「もっと、自分にできることは何か無いだろうか」という気持ちが強くなりました。この「自分のアイデンティティ」という問題は今も日々考え続けています。
個人としてもチームとしても苦しかったこの年でしたが、非常に充実した1年であったとも思います。思い悩むこともありましたが、同期は勿論、先輩・後輩からの声を力に変えてなんとかやりきることができました。
迎えた3年目
「気が付いたら」上級生になっていた、という表現が正しいと思います。それほどまでにこの2年間はあっという間に過ぎていきました。裏を返せばそれだけ残りの2年間もすぐに過ぎてしまうということなのでしょう。一回一回の練習に全力を尽くし、後悔の無いよう努力して参りたいと思います。
最後に
ここまでお読みいただきありがとうございました。未だ蔓延防止等重点措置の下で何かと制限の多い毎日が続いておりますが、そんな中で新人戦や東京六大学リーグ等を行うことができているのは、OBをはじめとする日頃ご支援してくださる方々は勿論、関東大学バスケットボール連盟や各大学の関係者の皆様のおかげです。
このような状況下でもバスケットボールができることに感謝しつつ、サポートしてくださる皆様に成長した姿を見せることができるよう、日々精進いたします。
今後とも応援、ご支援の方を何卒宜しくお願い致します。最後までお読みいただきありがとうございました。
ブログリレー 山下卓馬
2021年8月7日 18:00| Comment : 0
「前進するために」〜痛みに耐え、一歩踏み出せるか〜

はじめに
こんにちは。誠に僭越ながら、自己紹介させていただきます。
本年度、慶應義塾大学法学部政治学科3年、ならびに体育会バスケットボール部所属の山下卓馬です。何卒よろしくお願いいたします。
はじめに、普段より、慶應義塾体育会バスケットボール部のご支援をしてくださる多くの方々に感謝申し上げます。
コロナ禍にも関わらず、私達部員が練習に励むことができ、ジムで体を鍛えることができているのは、皆様の手厚いご支援の賜物です。心より感謝し、精一杯勝利を目指しますので、今後とも変わらぬご支援ご声援の程、宜しくお願い致します。
このようなブログを書くことは初めてですので、何を書こうか迷いましたが、私がバスケを始めたきっかけ、春シーズンの振り返りを書こうと思っています。
拙い文章ではありますが最後までお付き合い頂ければ幸いです。
バスケとの出会い
私は、小学校四年生までアメリカに住んでおり、主にテニスとサッカーをやっていました。チームに所属してバスケをすることはなかったですが、公園や家の前にバスケットリングが置いてあることが多く、そこでやっていたのを覚えています。
日本に帰国してからは特にスポーツはやっていませんでしたが、小学校5年生の時に友達にバスケットをやらないかと誘われました。親に相談したところ最初は反対されましたが、何度も言っている間に「英検に受かったら」という条件のもとやらせてもらえることになりました。
当時、勉強はあまり好きではありませんでしたが、必死に勉強し小学校6年生の時にやっと英検に合格することができました。そして、念願のバスケを始めました。これが私のバスケを始めたきっかけです。その後、中学、高校、そして現在までバスケットを続けています。私は全国大会に出るような強豪校ではなく、一般的な公立高校出身だったので、大学バスケ始める際は不安でしたが、挑戦して良かったと今では思っています。
これほど熱中できるスポーツに出会えて本当によかったです。学生バスケも残すとこあと一年と少しなので悔いのないよう楽しみたいと思います。
春シーズンを振り返って
今年の春シーズンスタートは、新型コロナウィルスにより大幅に遅れていました。去年の経験があった分、対面で練習ができない時に何をやらなければいけないかは把握していました。チームとしては、土台からの組織づくり、学年でのミーティング、オンライントレーニングなどを行い、個人としては、ウェイトトレーニング、食事管理を行いました。
3月半ばより全体練習がスタートし、基礎を一から徹底的に積み上げる練習に皆で取り組みました。久しぶりに全員でバスケを思う存分プレーできる喜びを噛み締めながら、皆が練習していて、春シーズンの目標である「早慶戦優勝」に向かってエンジン全開で始動しました。
4月に入ってからは、OBの皆様のご支援により「エニタイム・フィットネス」に通うことができました。コロナ流行により、学校のジムが使えない中、ジムでトレーニングに励むことができ、OBの皆様には本当に感謝しています。ありがとうございます。朝練をして、授業に行き、午後は個人練習そして夜にはジムでトレーニングとかなりハードなスケジュールが4月から始まり、きつい時もありましたが、今振り返れば良い思い出です。早慶戦優勝のために、何ができるかを考え全力で取り組んでいました。
5月には、一年生を含めてチーム全体での写真撮影がありました。人数も揃い、いよいよ試合に向けて進んでいると思うと、とてもワクワクしました。しかし、本来予定されていたトーナメントは延期されてしまいました。チーム全体としてモチベーションが揺らぐ時期でもありましたが、早慶戦まで時間が無かったのですぐに切り替え、全員で前をむきました。

早慶戦
いよいよ迎えた早慶戦。春シーズンは早慶戦優勝を達成するためにきつい練習、トレーニングを乗り越えてきました。前日に同期とご飯に行った時はそうでもなかったのですが、1人になり、早慶戦に関するSNSを見ていると、いよいよ試合なんだという想いが込み上げ、とても緊張していました。
四年生は、四年生らしい気迫あふれるオフェンス、ディフェンスでチーム引っ張ってくれました。またたとえ状況が苦しくなったとしてもひたすら声を出し続け鼓舞してくれ、流石だなと感じました。同期はコート上だけでなく、コート外でもとてもハッスルしていて頼もしく思いました。二年生、一年生のプレーにも多く助けられました。
また、無観客とは思えないほど、ベンチからの声援もありチーム一丸となって戦った試合でした。結果的には負けてしまい、とても悔しかったですが、全てを出し切った試合だったと思います。トーナメントの延期や、NGT(Next Generations Tournament)の中止などで試合が無くなっていく中で、早慶戦ができてとても良かったです。

今年の敗戦を真摯に受け止めてまた一から準備をして、来年は必ず勝てるように頑張っていきます。秋のリーグ戦も一試合一試合をとにかく大事にして、2部昇格をはたせるように頑張っていきます。
最後に
最後に、私の中学生の時から好きな言葉に”Pain is temporary but eventually it will subside and something else will take its place”というものがあります。意味としては「痛みは一瞬で、最終的には収まり、別のものに取って代わる」です。練習やトレーニングなどやっているときつい場面が必ず出てきます。そんな時に決して自分に負けることなくきつい、あと一回、あと一歩を頑張れるかが重要です。そこで生じるきつさ、痛みというのは一瞬です。その一瞬を何度も乗り越えていくうちに、少しずつ成長していくと思います。この言葉を大事にして今後も取り組んでいきます。
あと1ヶ月でリーグ戦が始まります。コロナウイルスの影響でどのように開催されるかわかりませんが、一試合、一試合がとても大事です。しっかりと2部に昇格して、チーム全員で喜びを分かち合ってシーズンを終わりたいです。そのためにも準備をして、エンジン全開で望めるようにします。
今後とも応援、サポートの方を何卒宜しくお願い致します。
拙い文章ですが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

ブログリレー 肥田大輝
2021年7月26日 18:00| Comment : 0
「歩み」

○はじめに
こんにちは。誠に僭越ながら、自己紹介させていただきます。
本年度、慶應義塾大学総合政策学部3年、ならびに体育会バスケットボール部所属の肥田大輝です。今年のチームでは、学生コーチを務めております。
はじめに、普段より、慶應義塾体育会バスケットボール部のご支援をしてくださる多くの方々に感謝申し上げます。
コロナ禍にも関わらず、私達部員が練習に励むことができるのは、皆様の手厚いご支援の賜物です。心より感謝し、精一杯勝利を目指しますので、今後とも変わらぬご支援ご声援の程、宜しくお願い致します。
可愛い後輩の藤島くんからブログリレーのバトンを受け、何を書こうか悩みましたが、今回は春シーズンを終えて感じたことについて書かせていただきたいと思います。
拙い文章ではありますが最後までお付き合い頂ければ幸いです。
○スタートダッシュ
新型コロナウイルス感染症の影響で、例年とは異なる12月に開催された第78回早慶バスケットボール定期戦。インカレベスト8の早稲田大学に、あと一歩。そんな早慶戦の興奮が冷めやらぬ中、2021年度のチームはスタートしました。
というのも、今年のチームとしての活動は、オンラインミーティングからスタートしました。
年末年始の帰省を終え、日吉の寮に帰寮しようとしたところ、緊急事態宣言の発令を受け、福岡の実家にとどまることになりました。
「またか」というのが率直な気持ちでした。不安や焦りを感じつつも、昨年度の経験もあり、オンライン上でもどのようなことをすればいいかは、ある程度イメージすることができました。
3月の半ばに、無事に帰寮することができ、そこからチーム練習を再開しました。
基礎の基礎からリスタートです。4年生の選手が6名抜け、選手はチャンスを掴もうと必死に練習に励んでいました。しかし、数か月間の自粛で衰えた体が気持ちに追い付かず、怪我人が続出しました。コートの外から見ていて、とても歯がゆかったです。
この時期は選手やスタッフ、一人一人が自分自身と闘っていました。チームへの貢献を問う中で、チームを去る部員もいました。
そんな中、学生コーチとしてチームのためにできることは何だろうと必死に考え、色々と試してみましたが、どれも空回りしていた気がします。
○新入生を迎えて
4月になり、今年も多くの新入生が体育館に足を運んでくれました。入部する、入部しないに関係なく、多くの新入生がチームに興味を抱いてくれることは、僕たちにとって非常に嬉しいことです。これはSNSを通じて呼びかけを行い、オンライン説明会を開催してくれる広報係のおかげです。
さらに嬉しいことに、浪人を経て、体育会バスケットボール部に入部したいと言ってくれる部員がいました。僕自身、予備校での浪人、他大学での一年の在籍を経て入学しました。同期にも、浪人を経験して入部してきた山下がいます。2年生の熊野も浪人経験者です。
どうしても入りたい大学がある、どうしてもやりたいことがある。そんな強い意志をもって浪人した学生が、このチームで一緒にバスケをしたいと言ってくれている。こんな嬉しいことはありません。
浪人を経験し入部した僕たちが頑張ることで、これから入部してくる後輩たちの希望になれるかもしれない。そう思って、日々老体に鞭を打って選手のリバウンドに励んでいます!(最近は膝にガタがきています。)
ちなみに、年齢的には僕は4年生より年上という不思議な関係です。

少し話がそれましたが、新たに1年生6名を加えて、練習がスタートしました。
1年生も少しずつチームに慣れ、
「いざトーナメントに挑もう。」
そんな矢先、僕らを待っていたのは、度重なる試合の延期と、体育館の利用制限でした。
試合の延期で、選手は気持ちのコントロールが難しかったと思います。
スタッフである僕も、試合に向けて練習を組み立てていくことの難しさを、日々感じていました。
また、体育館の利用時間が短縮され、十分な練習時間を確保できない日々が続きました。
怪我をしているメンバーは試合に間に合うだろうか。そもそも試合を開催できることができるのだろうか。
そんな不安の中でも、チームは前に進むしかありませんでした。
○早慶戦
度重なるトーナメントの延期で、気づくと6月末になっていました。
練習試合も組むことができず、チームとして初めて臨む対外試合が早慶戦。こんな代は今年のチームが初めてだと思います。
僕自身、学生コーチとしては二度目の早慶戦でしたが、昨年以上に不安でいっぱいでした。
何しろ、自分達のプレーがどれほど通用するかも分からなければ、どんな試合展開になるかも全く予想がつきません。
スタートのメンバーが緊張で思い通り動けなかったらどうしよう。控えのメンバーが吹っ飛ばされたらどうしよう。そんなことを考えていましたが、試合前にベンチで集まった際、その不安は払拭されました。
選手、スタッフ、その場にいる全員の目は、試合ができる喜びに満ち溢れていました。
「自分たちがやってきたことに間違いはない。自分を信じよう。仲間を信じよう。俺たちのバスケを40分間やって、今日は必ず勝とう」そう言って選手をコートに送り出しました。
4年生がコート内外でチームを鼓舞し、ルーズボールに飛び込みます。
最上級生として、プレッシャーもある中、気迫のこもったプレーでチームを盛り立てます。
4年生がシュートを決めたときは、試合中でしたが涙が出そうになりました。
試合経験豊富な3年生が、プレーでチームを引っ張ります。
下級生の頃は周囲への発信が無く、殻にこもっていた同期が、コート上でチームメイトを集め話している姿を見ていると、巣立つ雛鳥を見守る親鳥の気分になりました。
また、怪我で苦しんできた同期が、泥臭くルーズボールに飛び込み、体を張ってディフェンスする姿を見て、魂が熱くなりました。
2年生はコート上の誰よりも早く走り、1年生は怖いもの知らずのメンタルで、果敢に早稲田のゴール下に攻め込みます。
どんなに劣勢になっても、最後のブザーがなるまで、ベンチの全員が声を出し続けました。(もちろん、マスクを着けて、ソーシャルディスタンスを保ってです)
結果的には、19点差での敗戦になりました。
僕自身、チームを勝利に導けなかった悔しさでいっぱいです。
早慶戦は、歴史と伝統があり、色んな人の思いが詰まったゲームです。ナイスゲームで終わって良い試合ではありません。ただ、僕は現時点で出来る最高の試合ができたと思っています。コントロールできないものが多い中、コントロールできるものだけに目を向け、自分達の課題と向き合ってきた結果だと思います。
ただ、足りない部分が多くあるのも事実です。
大事なことは、この敗戦を次にどう活かすか。
ここから何も学ばないのであれば、早稲田には来年も勝てないし、リーグ戦を戦い抜くこともできないと思います。
秋のリーグ戦では、さらに強く、さらに素早く。そしてどこのチームよりも泥臭く。
そんなバスケットボールを、応援してくださる皆さんにお見せしたいと思います。
このチームで少しでも長くバスケットがしたい。試合に勝ってみんなで喜びを分かち合いたい。これが、4年生と一緒に過ごす最後のシーズンを前に、僕が感じていることです。

○最後に
このような状況下で、早慶戦、トーナメントを無事終えることができたのは、OBや父兄の方々のサポートはもちろんのこと、関東大学バスケットボール連盟、早稲田大学の皆様のご協力のおかげです。
日頃からサポートしてくださる方々のためにも、私達は一生懸命練習に取り組み、少しでも成長した姿を見せられるよう、日々精進いたします。
拙い文章ですが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。