- 女子ブログタグ: 引退ブログ
真価 -梅田香(主将)
2021年1月28日 17:00
慶應義塾大学環境情報学部4年ならびに体育会大学女子バスケットボール部の梅田香(CN:ソラ)と申します。どうぞ宜しくお願い致します。
引退してから現役時代を振り返ることを避けてきました。実のところ、それくらい燃え尽きてしまったというのが本音です。
昨年は応援してくださる皆様のお顔を拝見する機会もなく、主将を務めた梅田香がどんな人間なのかご存知ない方も多いと思います。この機会に自分について少しお話させて頂ければと思います。
<バスケに出会うまで>
3歳の頃から週末は親にテニスを教えて貰うような幼少期でした。通っていたクラブチームでは当時全日本優勝が数人、関西上位ばかりで必死に追いつこうとする日々でした。その中でも慶應庭球部のエースである佐藤南帆選手が印象に残っています。その環境に身を置き、「好き」と「体現できる」は違うことを痛感します。
慶應NY学院に入学し、中学3年生の頃テニスコートでコーチに誘われバスケットボールを始めました。そこでサエさん(豊村沙恵・H31年卒)、ナミ(小福川莉奈・法法4)に出会います。当時リバウンドの意味すら知らなかった私は戸惑ってばかりいましたが、サエさんが練習外の時間にも自主練習に付き合ってくれました。
その後3年間同じクラスだったナミとともにダブルキャプテンとしてチームを引っ張るようになります。初めてチームスポーツの壁にぶつかり「全員が同じベクトルでチームの夢に向かって全力を尽くせる集団」を作るにはどうすればいいのか模索する日々でした。悔しい結果で引退を迎え、次こそは、絶対にチームの夢を叶えたいと思いました。何よりも自分が追い求めてきたチーム像が力量差のある相手であろうとも勝てる集団であるという瞬間を目の当たりにしたかったのです。
今思うと、憧れていたサエさん、そして悔しい瞬間を共に味わったナミ、ルイ(中島花・環境3)、リョク(井手友美・理工2)とまた大学というステージで共に戦えたこと、リベンジできたことが本当に奇跡であり、幸せでした。

<大学に入ってから>
チームにおける自分の存在意義を探し続け3年が経ち、ラストイヤーを迎えました。引退前日に同期から「この4年間にも必ず終わる瞬間が来るんだなっていう不思議な気持ちでいる」と言われたときに心から共感できる程、もがき続けた日々でした。主将になってからの話は正直まだ心に留めておきたい気持ちが強いですが、同期も引退ブログを書いていると思うので自分なりに感じたことを書きたいと思います。
主将になり先輩方が背負ってきた重圧の重みを初めて知りました。
当初は自分には務まるとは思えませんでした。1年生の時に降格し、その時の4年生の姿を忘れることができなかったからです。それは、“結果に対する責任”について深く考えさせられた出来事でした。決して自分たちの代だけで完結する訳ではなく、それよりも前から先輩方が繫げてきてくれたものを最高の形で後輩たちに渡すことが使命だと考えていました。物語に例えるとただの1ページにしかすぎません。されど1ページです。
その1ページの初めに「覚悟」というスローガンを掲げ、目標である「3部1・2位リーグ進出」に向けて全力で駆け抜けた1年間だったと思います。
私にとっては、“チームが勝つために最善の選択をし続けること”、これが覚悟でした。
そして“全員で戦う”、これこそが私たち最上級生一人ひとりが4年間をかけて求めてきた共通項でした。

私は典型的なリーダーとか背中で引っ張るとかそういう気質ではないです。チームの構成や、自分の個性=キャプテンシーをどう生かすかを考えた結果、飾らずありのままでいることで、皆と同じ目線で話し合えたしフラットなチーム作りができたと思います。その中でもたくさん弱みを見せてしまったと思います。
異例のシーズンとなった2020年。リーグがあったら間に合うのだろうか、なくなったら何も残せずに終わってしまうのかという不安。葛藤や不安が小さいものから大きいものまで積もり積もって、何が辛いとか具体的に言える状態ではなかったです。明日ミスをしてしまったらどうしよう、負けたらどうしよう、感染者が出たらどうしよう、緊張して寝られない日々が続きました。主将に求める理想は人によって異なっていて、どこに応えればいいか分からないこともありました。自分の発する言葉が頭から次々と抜けて、1秒前に言った言葉も分からず人前で話すことが恐怖になった時もありました。チームの前では泣かないと決めていたので、多摩川あたりから電車の中で涙が止まらなくなった毎日も懐かしいです。
でも同期も後輩も同じ不安、緊張感を味わっていたのも知っています。私だけではありません。全員が本気でした。後輩に手紙を書き、同期含め一人ひとりを振り返った時に”本当によく頑張ったね”と心から思いました。上から目線で他人行儀の言葉ですが、本当に全員が壁にぶつかりそれを乗り越えて成長していました。チームといえど“個”が集まった集団です。チームを誰よりも知るには個を知る必要があると思っていました。敢えて知ろうと思わなくとも自然と知りたいと思える存在でした。一人ひとりと向き合って、それぞれの葛藤の先に「チームの為に」があったこと、嬉しかったです。

そして、チームメイトは私という個にも向き合ってくれました。立場関係なく自分に指摘をし続けてくれました。手をさしのべてくれて、一緒に考えてくれる同期もいました。一人じゃないなって思うことができた瞬間でもあります。しんどくても明るく前向きな仲間がいて気づけば笑っていました。本当にありがとう。
思えば仲間とぶつかることもありました。一つの方向から物事を見て、正解を決め付けていいのか?自分が正解だと思ったこと、それが相手からしたら間違っていることがあります。私は、自分の正義だけで決断を下すことが怖いと感じてしまう性格です。それを優柔不断だという人もいます。しかし、相手のことを思うほど正義を押し付けてしまい、思う気持ちが強くなるほど相手を否定してしまうことがありました。そうやって人は対立していくこと、けれど相手を認めて話し合うと奥深いところに愛があることを学びました。そういう時こそ単語だけで事象を片付けるべきではないと思います。
「価値観」「一体感」「チーム」
それはそもそも何なのか、答えは複数あるし定義も人によって様々です。けれど考え続けることで型が形成され、共有することで擦り合わせることができると思います。何も解決されない様な“価値観の違い”なんて言葉に逃げたくないなと思います。そんな想いが私自身簡潔に話すことが苦手な理由の一つでもあります。
私を支えてくれる言葉がありました。
「勝負の世界で何よりも大きな武器は“不幸”ということである。これは“何が何でも勝たねばならぬ”というエネルギーを生み出す力になる。」
高校時代の恩師から試合前にもらった手紙の中の言葉です。特にラストイヤーはこの言葉に救われた瞬間が多くあります。
日常を奪われ、練習時間を奪われ、行動に制限がかかり、何度もつまずきました。上位校とは違い、全国経験のある選手も僅かです。今年は人数制限があり、試合会場に入れない仲間もいました。挙げればキリがないですが、いかにこの不幸や不自由であるという気持ちを原動力に変えるかが勝つために必要で、結果を残すためにはチャンスであることに立ち返らせてくれました。
そして、“格上に勝つための姿勢”それは何なのか。その先生は、常に怖いと思う方へ進めと教えてくれます。自粛明けから引退まで6ヶ月しか残っていない中、結果を出すために必要なことはハイリスクハイリターンの原則でした。格上に勝つためには例えリスクがあってもワンチャンスを取りに行く姿勢が大事だと思います。そしてリスクの方に転がったとしても、自分達次第でいくらでも少しずつリターンに変えられる自信もありました。ためらっている間は行動が後手後手になり何も変えることができず、チームは疎か、何も守れないなと思っていました。その色んなフィールドで起こったワンチャンスを物にして積み重ねていったからこそ、残せたものがあると思います。

リーグ戦では目標達成することができました。誰に何を言われても3部ブロックの2位という結果を残せたことを誇りに思っています。結果だけを見ると輝かしいですが、その背景には部員の泥臭くチームの為を想い努力する毎日、不安や葛藤と隣り合わせだった日々があります。
知って頂きたいのは、主将だけ、4年生だけ、スタメンだけ、が頑張った訳ではありません。「覚悟」とは?「全員で戦う」とは?と問いかけ続けましたが。各々が考え実行してくれたからこそ武器にすることができました。誰か一人でも違う方を向いていたら結果は違ったと思います。名脇役とか、陰の立役者とか、縁の下の力持ちとかが賞賛される世の中ですけど、このチームにはそんな人いません。一人ひとりが主役を立派に務めていました。自分なんて…って思うチームメイトがもしかしたらいるかもしれません。チームは、私は、あなたを常に必要としていました。
そしてこのチームにいる限りは、一人じゃないし仲間がいました。テニスをしていた頃、コートに一人きりで最後まで戦わないといけない、自分で勝たないと試合の出場権すら得られませんでした。それが、今は仲間がいる。自分ができないことをしてくれる。自分ができることをしてあげられる。これまでは自分の為に闘っては諦めていましたが、仲間の為に闘い続けられる。シンプルですが、本当に素敵なことだなと自身のスポーツキャリアを通して感じています。
これまで私は、他人を信じることがあまりできない性格でした。人の懐に飛び込むのは得意ですが自分を晒すことは苦手です。でもありのままの自分を、弱い自分を受け容れてくれる23人の信頼できる仲間に出会えました。私を昔からよく知っている友達に驚かれますが“大好きなチーム”そんな言葉を発する日が来るなんて、自分でも思ったことありませんでした。主将として“誰よりもチームを愛する”と言ってきましたが、チームメイトからの愛に救われた1年間でした。苦しかった4年間を乗り越えた先にあった最高の景色は忘れられない思い出だなと思います。全て報われたし幸せです。

<最後に>
先輩方にお伝えしたいことがあります。1年生の頃から無力で何もできなかった私たちでしたが、それぞれの代で作るチームにどうやったら貢献できるか考えてきました。それが空回った時、何もできないどころか迷惑かけてしまった時、それでも私たちと向き合ってくださってありがとうございました。ラストイヤーは先輩方が残してくださったもの、そこから学んだことを結果に繋げることができました。そしてOG会を始めとする、私たち4年生を応援してくださった方々に感謝の気持ちでいっぱいです。悩んでいた時は寄り添って話を聞いてくださりました。今年はお会いする機会が少なかった分、励ましのメールもいただき非常に勇気づけられていました。本当に皆様の支えがあってこのような一年間を乗り越えることができました。本当にありがとうございました。
4年間スタッフの方々にも大変ご迷惑をおかけしました。たくさんぶつかって泣きじゃくりました。生意気なことを言いすぎてしまったこともありました。それでも理解しようとしてくださり、最後まで私たちと共に戦ってくださりました。常に鼓舞し続けてくださり、辛い時はこまめに連絡をくださりました。一緒にチームを運営していく上でこの1年大変なことだらけだったのは学生だけではありません。スタッフの皆様も含めて愛に溢れていたチームだなと思います。本当にありがとうございました。
同期への想いはこの場では書ききれません。ひとつ伝えるなら、早慶戦を見てくれた小学校の先生が「結果の輝かしさではなく、目指すものの純粋さこそが生きる価値を決定づけるのである」という言葉を送ってくれました。4年間部に所属していようが、抜けている期間があろうが、数ヶ月しかいなかろうが、各々もがいてきた学生時代の4年間は価値のある生き方だったんだなと今なら思えます。
問題児と評され、常に感じてきた屈辱の中で必死に生き抜いた4年間。
諦めの悪すぎる愛おしい同期を誇りに思います。色々とごめん、ありがとう。
チーム2020で4年生が発信し続けてきたこと、それが伝わったかどうかは後輩たちが作っていくチームが答えを出してくれることだと思います。何か少しでも財産になってくれれば嬉しいです。そしてまだまだ後輩たちと共に戦っていきたいなと思います。スポーツにおいて才能と努力の比率は7:3と言われています。これをどう捉えるかは人それぞれですが、3割もあると思うことができれば取り組み方次第で、強くなれます。いくらでも結果を変えられます。OGという立場から、その3割に賭けて同志である後輩達の力になれるよう精進してまいります。
4年間、ありがとうございました。
私の4年間 -白藤優果(副将)
2021年1月26日 17:00
慶應義塾大学理工学部4年ならびに体育会女子バスケットボール部に所属しております、白藤優果(CN:ヨウ)と申します。
引退から1ヶ月が経ち、部活の思い出に浸るのをやめ、卒論に本腰を入れなければと心を入れ替えているところです。
この引退ブログに何を書こうかとても悩みましたが、自分が4年間考え続けてきたことについて書きたいと思います。拙い文章ですが、最後までお付き合い頂けたら嬉しく思います。
「私は何のためにこの部活に所属しているのか、自分の存在意義は何か」
体育会女子バスケットボール部に入部してからずっと自分に問い続けてきました。

1年生。試合はおろか、対人練習にも参加できませんでした。練習の準備や片付け、ビデオ撮りなど仕事でしかチームを支えることが出来ませんでした。
この年チームは4部に降格しました。当時の4年生の皆さんが「1年生は一生懸命チームのために仕事をしてくれたのに、勝利で恩返しできなくてごめん」と私たちに謝ってくださいました。しかし、1年生の仕事は誰でも全うすべき学年としての役割でしかなく、自分がいちプレーヤーとして何一つチームに貢献できていないのに、何のために私は部に所属してるのか、悔しさと申し訳なさがこみ上げてきました。
2年生。対人練習に参加させてもらえる時間は増えたものの、スタメンの選手には歯が立たず、試合前の良い練習相手になることもできませんでした。当然、リーグ戦の大事な試合にコートに立ってチームの勝利に貢献することもできませんでした。
後輩である1年生はチームの仕事をこなし、かつ試合にも出場して勝利に貢献している、それなのに、チームの仕事という学年としての役割もなくなった私がチームにいる意味って何だろう、プレーヤーとして何のために部にいるんだろう、去年から全く成長していない自分に苛立ちました。
この年チームは3部に昇格することが出来ました。当時の4年生の皆さんは泣いて喜んでいました。しかし、私は、自分がコートに立って貢献できなかった不甲斐なさに泣いてしまいました。そして、先輩と同じ喜びの涙を流せていない自分に涙を止めることが出来ませんでした。試合に出ているプレーヤーの背負ってるものを共有できない、チームが向いている方向に私は向いていない。こんな私がチームにいていいのだろうか、そう思いました。
3年生。 「自分のバスケについてとことん考えられる最後の学年、プレーが一番伸びる学年」と監督に言われてこの学年をスタートしました。ここで成長して、プレーヤーとしてコートに立ってチームに貢献したい、そう思い、朝一番にシューティングへ行き、OFFには同期と共に、自主練にも励みました。
夏合宿の練習で初めてスタメンの相手役として最後までプレーできた時の喜びは今でも忘れられません。リーグ戦で、コート上でチームの勝利に貢献することはできなかったものの、試合前練習で仮想敵としてスタメンにいい影響を与えることでチームの勝ちに貢献しようと必死に練習に励みました。
当時の4年生が「ヨウのプレーがあったから相手にも対応することができた」と引退後にくれた手紙に書いてくださり、試合に出られずとも自分がプレーヤーとして部にどう貢献すべきか少しわかったような気がしました。そしてなにより、「ヨウがいたから頑張れた」という先輩からの手紙の言葉によって、自分がいることで全員が前だけを見て突き進むことができる、チームが一丸となれる源になりたいと、3年間自分が問い続けてきた自らの存在意義が少しわかったと思いました。

4年生。こんな1年になるとは全く予想していませんでした。
本当にリーグ戦はあるのか。先が見えない中で私たち4年は何のために何を目標に練習するのか、4年として、一人のプレーヤとして自分はチームに何を残して引退していくのか。4年間で一番自分の存在意義を考えたと思います。
その中でたどり着いたのは、今年のスローガンである「覚悟」を一番にチームにみせるということです。この「覚悟」というスローガンは、シーズンが始まる前の11月、主力メンバーがほとんどいない私たちがチームをどう引っ張っていくのか、何度も何度も同期と話し合って決めました。
試合に出場できないからという甘えを断ち、最上級生としての背中を見せチームを引っ張っていく、4年の覚悟。一人一人が主体的に考え行動し、学年や立場に関係なく全員が同じ熱量で試合や練習に取り組むというチーム全員の覚悟。そしてそんな覚悟を全員が持てるチームをつくっていくという自分自身の覚悟。
この3年間、悔しい、苦しいと、時にはチームとは違う方向を向いてしまうこともあった。様々な立場を経験したからこそ、このすべての「覚悟」を持ってどんな状況になろうともあきらめてはいけない、それをチームに見せることが私がこのチームに所属した意味になると思いました。

監督、スタッフ、OGの方々、学連の方々、全ての方々のご尽力により、世の中ではたくさんの試合が中止になっている中で私達はリーグ戦も、順位決定戦も、六大学戦も、早慶戦も行うことが出来ました。
そんな中で、私はチームが一丸となれる源になるという目標を達成できたか、覚悟を持ち続け、体現し、チームを引っ張り続けられたか、自分がチームにいた意味を残すことが出来たか、引退した今でも考えます。チームの皆に、苦しいことや理不尽なことが沢山あったけれど、このチームで戦えてよかった、今シーズン頑張ってよかったと少しでも思ってもらえたら。私がチームにいた意味が少しでもあったのではないかなと思います。
どんな時でも応援してくださったOGの方々、ずっとあなたたちの味方だからと背中を押し続けてくださった監督やスタッフの方々、強い覚悟を持ち目標達成に導いてくれた後輩たち、そして何よりどんなつらいときでも一緒に戦い続けてくれた同期に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

「自分の存在意義」を見つけ、全うすることは簡単なことではないと4年間を通じて強く実感しました。また、チームが強くなり成長する上で個々が存在意義を考えること、そして考えることを決してやめてはならないことも学びました。私がバスケットボールに出会わなければ、この体育会女子バスケットボール部に入部しなければ、「自分の存在意義」について考えることはなかったと思います。
本当にバスケットボールに出会えてよかった、この部活に入ってよかったと心から思います。4年間体育会女子バスケットボール部で苦しんだこと悩んだこと、そして笑ったこと嬉しかったことすべてが私の財産です。これからも成長できるよう自分と向き合い、精進していきたいと思います。そして、OGとしてバスケットボール部に貢献したいと思います。
長い文章でしたが、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
4年間の感謝を -足立はな(主務)
2021年1月24日 17:00
慶應義塾大学法学部法律学科4年ならびに体育会女子バスケットボール部の足立はな(CN:ノア)です。この度は、このような場を設けて頂いたので、これまでの4年間の体育会生活を振り返らせて頂こうと思います。
もともと、私が体育会という環境でバスケットボールをしようと決心した大きな理由は2つありました。1つは、中学1年生から続けてきたにもかかわらず高校3年生の1年を通してやっとバスケットボールの楽しさに気づけたため、まだまだこれからもこのスポーツを楽しみたいと思ったから。もう1つは、どうせやるのであれば全員が全力で、本気でバスケットと向き合っている環境に身を置きたかったからです。この2つの理由をもって、実はかなり軽い気持ちで入部を決心したため、4年間を通してこれほど沢山の経験をし、沢山のものを得られるとは、当時思ってもいませんでした。
入部当初は、「バスケットボールの楽しさ」など感じている余裕はなく、不安や緊張、挫折など、ネガティブな感情だらけでした。優しくて偉大な先輩方を前に、プレーでもそれ以外の面でも何もできない自分が情けなく、常に悔しく思っていました。そして、4年間を終えた今振り返ると、この時の「情けなさ」「悔しさ」は、「チームの一員として」の私が感じていたことではなく、私個人としての感情であったなと感じます。つまり、「チームや先輩、同期のために何もできない自分」を情けなく思っていたのではなく、「意気揚々と体育会に入部したにもかかわらず全く活躍できない自分」に絶望していただけであったように思います。
2年生になって、初めての後輩ができた私は、後輩にとって支えになれるような先輩になろうと意気込んでいました。不安だらけだった1年生の頃の私にとって、大きな支えとなっていたのが1つ上の先輩方の存在だったからです。いつでも一番近くで見守ってくださり、居場所を作ってくださいました。だからこそ、私は自分もそのような2年生になりたいと強く思い、後輩たちと向き合おうとしました。しかし、1つ上の先輩方が当たり前のようにしてくださっていた数々の優しい気配りや行動は、実はすごくすごく偉大なことで、いざ自分が同じことをしようと思っても、なかなか思う通りにはいきませんでした。自分のことでいっぱいいっぱいになってしまい、「後輩の居場所を作る」なんて大層なことは全くできず、改めて、1つ上の先輩方の偉大さを実感した1年となりました。それと同時に、そんな頼りない先輩を時に頼り、そしてずっと支え続けてくれた1つ下の5人には本当に感謝と敬意しかありません。

3年生の1年間は、私にとってとてつもなく大切な時間でした。一番色々なことを考え、自分自身が変わったシーズンであったように思います。上級生として、ようやく自分のことだけでなくチームのことを考えられるようになりました。「自分ができるだけ長くコートに立ちたい」「バスケをしたい」ではなく「チームとして勝ちたい」「そのためにどのような形でもいいから何か自分にできることはないか」と無意識に考えるようになっていました。
私の考え方がこのように大きく変わったのは、私自身の成長ではなく、チームメイトの存在ゆえだと感じています。常に「チームのために」という視点でチームを作り、後輩一人一人と接してくださった1つ上の先輩方と、下級生ながら強い責任感を持ってコートに立ちチームの勝利に貢献してくれる後輩、コートの外から本気でチームメイトに声援を送り、仕事という面からチームを支えてくれる後輩、そして何より、立場は色々でしたがそれぞれの立場で最善を尽くそうともがきながら、お互いの立場を尊重しようと関わり合った同期の存在が本当に偉大でした。
この時に、ようやくこれまでの自分の身勝手さと視野の狭さに気が付きました。後になって思えば、自分が1年生だった頃、2年生だった頃の4年生も、間違いなく「チームのために」という視点で、沢山の想いや感情を犠牲にしてチームを作り、引っ張って下さっていました。そんなことにも気がつけず、身勝手に自分のことしか考えられていなかった過去の自分が恥ずかしくなり、もう今からその先輩方に直接何かをお返しすることはできないけれど、チームに沢山迷惑を掛けてきた分、これからは誰よりも「チームのために」行動しようと強く思いました。
そして、4年生になるにあたり、これまでの3年間を改めて振り返りました。自分一人で振り返り、そして同期と一緒にも振り返りました。そこで辿り着いた1つの答えが「チームの全員ができるだけ我慢せずに前向きな気持ちで居られるチームしたい」という自分の想いでした。
20人以上が集まって1つの目標に向かって走る以上、全員の考えや希望を全て等しく尊重することはおそらく現実的に不可能です。それでも、誰かが自分を押し殺して、「あと少しの辛抱だ」と思いながらこのシーズンを過ごすようなことがあって欲しくないと強く思いました。実際にシーズンが終わった今、この目標がどれだけ達成できたのか、正直私だけでは判断できませんが、チームの全員が、何か少しでも、どこか1要素に対してでも、このチームに愛を持てていて、そしてこの1年を通して、何か次に繋げられる自分の役割のようなものを見つけられていたらいいなと感じています。

最後の1年間は、誰も予想していなかった形になりました。練習ができない。試合がなくなる。直接会うことすらできない。なんとか練習を再開できても、朝の自主練習やウェイトトレーニング、部室で皆とダラダラする時間など、これまでは何とも思っていなかった当たり前の時間が全て消えてしまったことが悲しくて、悲観的になり、これまでの3年間は何だったのかと思った日もありました。それでも、体育館に行けば、いつも変わらず明るい同期と後輩がいて、その存在に幾度となく救われました。皆に会うと、毎日練習をできることの有り難みを強く感じ、1日1日を大切にしなくてはいけないと再認識することができました。
そして、無事に「3部1,2位リーグ進出」という目標を達成できたことが、私にとって本当に大きな財産となりました。もちろん、結果が全てではなく、この結果に至るまで、大好きな23人と奔走した全ての時間が私にとってかけがえのない大切なものですが、その最高な時間にさらに結果を伴わせることができたということが本当に幸せです。
また、この1年間は、主務とプレーヤーの兼任という形でチームに関わらせていただきました。それ故に悩んだことや大変だったことも数え切れないほどありました。それでも、最後まで兼任を辞めずやりきることができたのは、チーム内外問わず支えてくださった沢山の方々のおかげです。あと1時間でもいいから練習をさせて欲しいと大学に無理なお願いをし、どうにかあと1名会場に入れさせてもらえないかと学連に無理を言ったりと、沢山の方々に沢山のわがままを言ってしまいました。練習時間や練習場所を度々変更してチームに迷惑をかけ、本当に色々な方にご迷惑をお掛けしながらも、色々な方に支えられて、何とか1年間を終えることができました。この場をお借りして、支えてくださった全ての方に改めて御礼申し上げます。

こうして振り返っていると、いかに「人」に恵まれていたかを実感します。特に最後の1年間は、前述の通り本当に沢山の方の存在に感謝した年となりました。既に長々と書かせていただいておりますが、あと少しだけ、その方々への感謝を書かせて頂こうと思います。
OB・OGの皆様。今年度は、なかなか直接お会いしてお話することができず非常に残念でした。それでも、SNSを通しての激励のお言葉や、個別に頂いたメッセージ、そしてOGの方々にお送りさせて頂いた試合動画の再生回数がどんどん増えている様子などを通して、本当に沢山の方々に支えられ、応援して頂いているのだと実感することができ、大変心強く感じておりました。個人的に、主務という立場を通して、沢山のOB・OGの方とお話することができたことも大変ありがたく、そして嬉しく感じております。本当にありがとうございました。
社会人スタッフの皆様。最後の1年間だけでなく、これまで4年間、本当に沢山のわがままを言ってしまい申し訳ございませんでした。そんな私たちに対して、時には厳しくご指導下さり、そしていつも温かく支えてくださった皆様のおかげで、これほどまでに充実した4年間を過ごすことができました。特に、全てがイレギュラーであったこの1年間は、本当に皆様の支えなしではやりきることができませんでした。いつでも「現役がバスケをできるように」と考え、一番近くでともに歩んでくださり、本当にありがとうございました。いつも大変心強く感じておりました。
これまでチームを作ってくださった先輩方。自分が4年生になり、改めて先輩方の偉大さを痛感致しました。そして、本当に数え切れないほどご迷惑をおかけしたことに対する申し訳なさも改めて強く感じました。まずは、ここまでチームを繋げてくださり、そして沢山の大切な想いや考え方を残してくださり、本当にありがとうございました。先輩方から教えていただいたことを私も少しでも後輩に繋げられていたらいいなと思っております。

3年生。本当にしっかりしていて、あたたかいみんなに何度も何度も進むべき方向を教えてもらいました。みんなとは、立場や考え方など、異なる部分がたくさんあって、だからこそいつも教えてもらうことばかりで、みんながいなかったら今頃どうなっていたのかなと怖くなります。本当に頼りにしていました。いつでも嘘なくまっすぐぶつかってきてくれるみんなが本当に大好きです。次の1年間、見ていて悔しくなるくらい、羨ましくなるくらい、最高のチームを作って欲しいなと思います。誰よりも応援しています。
2年生。ただでさえ人数が多いのにその全員が元気で明るいから、本当にいつもすごいパワーを放っていました。そんなみんなの作ってくれる空気が、今年のチームの中心に流れていたからこそ、こんなに楽しいチームになったように思います。そして、明るいだけではなくそれぞれがチームのことを本当に沢山考えていて、沢山悩んで自分の役割を見つけ、果たそうとするみんなの姿にいつも本当に刺激を受けていました。それと同時に、そんなみんなが本当に大好きでした。一人一人にも伝えた通り、みんながチームに与えている影響はみんなの想像以上に大きいです。その影響力で最上級生を支え、次のチームを一緒に作って行ってほしいです。
1年生。一緒に過ごした時間が1年間にも満たないとは思えないくらい、本当に大好きです。きっと辛い想いも沢山させてしまったと思いますが、何一つ不満を言わずにチームを影で支えてくれて、本当にありがとう。そして、チームに対して沢山の発信をしてくれることがすごく嬉しかったと同時に、本当に頼りにしていました。もっともっと一緒に色々な経験をしたかったなと悲しくも思いますが、引退時期が例年より1か月伸びたおかげで、みんなと少しでも長く一緒にいられて本当に幸せでした。みんながこれからどんな先輩になっていくのかわくわくしています。ずっとずっと応援しています。
そして同期。この4年間を通して、一番怒った相手も、一番助けてくれた相手も、一番感謝したい相手も、一番支えたいと思った相手も、一番一緒に泣いた相手も、一番一緒に笑った相手も全部みんなです。そう思うと変な関係だなと思います。手放しで「大好き!」とか「ありがとう!」とは言えないなと思ってしまいます。だからもう何を言ってもしっくりこないような気がしますが、強いて言うなら、5人と「覚悟」を持って「3部1,2位リーグ進出」を達成できて、本当に本当に幸せです。最後の1年間は、嫌になるくらいみんなと向き合い、嫌になるくらい沢山話したけれど、すでにその時間が懐かしくて恋しいです。最高に充実した4年間を、本当にありがとう。

チーム2020、本当に大好きです。本当にあたたかくて愉快で頼りになる、大好きな23人とともに、バスケットボールと、そしてお互いと本気で向き合い走り続けることができたこの1年間は私の生涯の財産です。今後も慶應義塾体育会女子バスケットボール部が、関わる人全てにとって大切なあたたかい場所としてあり続け、そしてどんどん上へ進んでいけるよう、今後はOGという立場からチームのためにできることを考え続けて参ります。そして、これまで支えてくださった全ての皆様に、改めまして心より御礼申し上げます。
最後まで読んで頂きまして、誠にありがとうございました。
「覚悟」の1年間 -小福川莉奈
2021年1月20日 17:00
慶應義塾大学法学部法律学科4年ならびに体育会女子バスケットボール部に所属の小福川莉奈(CN:ナミ)と申します。宜しくお願い致します。
昨年12月に引退し、お正月は実家でゆっくりと過ごしました。毎年食っちゃ寝食っちゃ寝の寝正月です。本来ならば今頃体育館へ足を運び、お正月で鈍った体から抜け出そうという一心で自主練に励む日々を送っていると思います。引退した今、こうして引退ブログを書く時がきたことに感慨深さを覚えています。
この引退ブログでは、主に4年生として過ごした最後の1年間について、想いを綴りたいと思います。同期からは私の日本語は下手だとよく言われており、私自身その自覚もあります。拙い文章になりますが、最後まで読んで頂けたら幸いです。
一昨年(2019年)の12月から私たちが最上級生となるチームの練習を開始しましたが、当時はこのような厳しい1年になるとは想像もしていませんでした。2月から本格的に新チームとして春シーズンに突入した時、これからは全ての出来事に「最後の」が付いて回り、それらを全てやり切って終えるものであると勝手に思っていました。
「最後の春シーズン」、「最後の慶関戦」、「最後の合宿」。新型コロナウイルスの影響で練習や大会の中止が続き、そういった言葉も発せない状況になってしまいました。そんな中で始まったのが、オンライン上での縦割りミーティングやトレーニングでした。こうした大変な時期でも、自分の部屋で平穏な毎日を送ることができたのは、部員の皆んなのおかげだと思います。
自粛が終わり、ついに練習が再開されました。その練習は、参加人数を半分に分け、さらには部員同士の距離を十分に取ったものでした。慣れない状況にどこかやりづらさを感じながらも、バスケットボールができる喜びを噛みしめていました。

しばらく経つと全体練習が可能となり、24人全員が集まってようやくリーグ戦に向かって準備を進めていくことができました。
リーグ戦はどのような形であれ開催されると信じて活動をしていました。しかし、チーム面においての不安は少なからずありました。
春シーズンにきつい練習を乗り越え、チームとしての土台を作る。しっかりと土台を作り万全な状態で1年生を迎え入れ、チームの強み弱みを探る。そして夏合宿を全員で乗り越えることによって得られる一体感を糧に、リーグ戦に一直線に向かっていく。
これが、代替わりした頃に私が思い描いていた1年です。
実際には、春シーズンは途中で終わってしまい、合宿も行うことができませんでした。正直なところ、チームとしての一体感を育むための瞬間や出来事というのは、今年はほとんどなかったと考えています。それでも、日々の練習中の掛け声、外からの指摘やアドバイス、そしてそれぞれがコートの中で切磋琢磨する姿勢がチームを1つにしていったと思います。
この状況を経て、バスケットボールは技術だけではなく、チーム力を磨く上でも日々の積み重ねが大切であると改めて実感しました。
待ち望んでいたリーグ戦は9月から開催され、私たちは無事に公式試合を行うことができました。同じ記念館で練習に励んでいたにも関わらず、リーグ戦が中止となってしまった部活も多くあります。女子バスケットボール部がリーグ戦に出場できたことがどれだけ恵まれていることなのか、そしてどれほどの関係者の方々がご尽力下さったかを実感しています。
また、リーグ戦は無観客試合での開催となり、会場に入場できる人数の制限が設けられたことから、物理的にチーム全員で試合に臨むことはできませんでした。会場に入れなかったメンバー、あるいはベンチに入れなかったメンバー。様々な想いがありますが、試合の勝利や、目標を達成できたことは紛れもなく24人で掴み取ってきたものです。一人も欠かさず戦い抜くことがどれほど重要なものであるか、断言できます。

私個人としては、順風満帆なシーズンを過ごしてきた訳ではありません。
3年時に比べてプレータイムが少なくなり、出場することができなかった試合もたくさんあります。自分が微妙な立ち位置にいると分かっており、どうにか打開しなければならないという思いから、日々の練習も緊張していました。勿論悔しかったです。
課題は分かっているのに、思うように成長できない自分にもどかしさや腹立たしさを感じる時もありました。それでも、後輩がコートに立って奮闘している姿は純粋に嬉しかったです。悔しくはありましたが、不満に思ったことはありません。
また、今シーズンは同期にとても支えられてきました。1年生の頃から、お互い過度に干渉し合う関係性ではありません。それでも、試合に出る時には「ナミ頑張って!」と声をかけてくれたり、試合後に声をかけてくれたり。あるいは練習後に連絡をくれたり、時にはそっと見守っていてくれたり。上手く言葉にはできませんが、同期には本当に支えられました。ありがとう。

コロナ禍でも1年をやり切って引退できたことを嬉しく思います。そして、バスケットボールができる環境があることを感謝する大切さを、身を持って痛感した1年でした。社会人になりスポーツをやめてから気づくのではなく、この現役時代に心からそう思えたことはとても良かったと思っています。
また、自分の中で納得のいく1年を過ごすことができました。
今年の1年間は、過去の3年間があったからこそやり遂げられたと思います。怪我をした年、思うようにいかず苦しんだ年、振り返れば嬉しいことも辛いことも蘇ります。学年としては多方面にたくさんのご迷惑やご心配をおかけしてきたと思います。しかし、私たち4年生が各々過去に感じてきたこと、そして先輩方が残してきたものを反映させて「覚悟」というスローガンを掲げ、3部1、2位進出という目標を立てて活動してきました。今となっては過去の3年間も、そして最後の1年も、自分にとって欠かせない経験です。
苦しかったのは、私たち4年生だけではありません、今年度は後輩にとっても苦しい年だったと思います。1年生はチームに合流するまで期間が空いてしまいましたし、2年生も初めての春シーズンは途中で終わり、最後の新人戦は出来ず仕舞いでした。3年生も最終学年に上がる手前の、良い意味でプレッシャーがなく沢山のことを吸収できる最後の1年が削れた形になりました。
そのため、バスケットボール部として今年が後輩にとって「最高な1年」になったとは思っていません。むしろ、来年、再来年以降ステップアップするための踏み台と捉えられても構わないくらいの気持ちでいます。しかし、このように引退して最後に振り返ったとき、こういう1年も必要だったなと感じてもらえていたら嬉しいです。まだまだ不安定な状況が続いていますが、これから後輩たちにとって満足のいく1年になることを願っています。

引退した今でも、やはりバスケットボールがやりたくなります。もちろん大学に入学する前からバスケットボールは好きでしたが、こんなに恋しくなるほど好きになるとは思ってもいませんでした。それは、大好きなチームで最後までバスケットボールができたからだと思います。後輩、そして同期には本当に感謝しています。
最後になりますが、体育会バスケットボール部を通じて関わった全ての皆様、そしてこの1年間、対面することが難しいなか様々な形で応援してくださった皆様に感謝いたします。
今後はOGの立場として、体育会バスケットボール部を見守り続けたいと思います。
ありがとうございました。
学んだこと -柴田祥子
2021年1月19日 17:00
慶應義塾大学経済学部4年ならびに体育会女子バスケットボール部に所属しております、柴田祥子(CN:アコ)と申します。どうぞ宜しくお願いいたします。
引退してから約1ヶ月が経ち、バスケがしたくてうずうずしている日々を過ごしています。
まず、私は途中入部、かつ復帰という異例な立場であり、愚直で諦めが悪く、不器用な性格、多くの迷惑をかけたであろうにもかかわらず、最後まで一緒にバスケをしてくれたチームメイト、応援してくださった周りの方々に本当に感謝します。ありがとうございます。
引退ブログとして何について書こうかと思った時に、大学バスケ部での出来事や自分の抱いていた思いは書ききることができないので、すべて自分の話になってしまいますが、私が部活をする上で一番大切にしていた軸と、部活を通じて学んだことについて書こうと思いました。
大切にしていた軸は、プレーヤーである以上、常にバスケを上手くなりたいという気持ちを持ち、心からバスケを楽しむことです。
これを読んでいる人は何を当たり前のこと言っているんだと思うと思いますし、当たり前のことしか書かないつもりです。波瀾万丈以上であったにもかかわらず、私がここまで部活を続けられたのはただバスケが大好きだからで、バスケがやりたいからに尽きます。だからこそ、大学生活もバスケができて、バスケに関われて本当に楽しかったです。

さかのぼると私は、周りが全員経験者であった高校から、初心者一人でバスケ部に入部し、バスケを始めました。高校からバスケを始める事は稀であり、私も生まれ変わったら幼い頃からバスケをやりたいなと思います。
ミニバスや中学生から部活をやっている周りについていくためには、成長していくためには、試合で活躍しチームに貢献するためにはどうすればいいのか、常に上を追い求め続けました。コーチがいた高校時代に対し、体育会バスケ部は学生主体であり、全て自分たちで考えることが求められています。どうすればもっと自分が上達することができるのか、相手を強くさせることができるのか、必要な存在・戦力になれるのか、強いチームにしていけるのか、それ自体も自分自身に委ねられており、自分次第で何でも変わる環境です。
ただ頑張るのではなくて、どんな行動にも意味を持ち、試行錯誤して体現していくことや、周りの仲間と切磋琢磨することの楽しさと、上手くなればなるほど奥が深くなっていくバスケというスポーツが本当に楽しくて、その為に毎日部活に行っていました。楽なことばかりではありませんでしたが、それ以上にレベルの高い仲間とバスケができることが本当に楽しく、毎日が新鮮で学びの連続でした。
自分は少ししか試合に出れないかもしれないし、出れる時間帯が全く与えられない状況だとしても、どんな状況でもまっすぐバスケに向き合い、考えました。
プレーヤー目線になってしまいますが、一番当たり前な考えであるからこそ、全員が全員強くなりたい、勝ちたいという同じ気持ちをもって、同じ方向を向いてそれを体現していく姿勢を持てば、チームとして格段にレベルアップできると思っています。だからこそ、同期全員にも最後まで諦めてほしくなかったし、プレーヤーである以上、せめて少しでもこの気持ちを持ち、最後まで突っ走ってほしいと思っていました。
話は変わりますが、バスケ生活の集大成となる、最後の試合、引退試合である早慶定期戦において、コートに立てるチャンスを生かし、想いを体現しチームに貢献できたこと、また、4年生全員で出場した時間に、4年生として早稲田に対して点数を取って終わることができたので本当に良かったし嬉しかったです。私たちの代になってからのリーグ、早慶戦等多くの試合を通じてずっと思っていたのは、同期のプレーヤーは、諦めなければもっと力を発揮できることがたくさんあるし、チームで活かせるところがあるということです。それを存分に活かせなかったことは本当に悔しい思いです。沢山の苦楽を共にした大切に思う同期だからこそ余計に思いが強かったです。

自分はこうあるべきという概念にとらわれすぎて限界や視野を狭めてしまうのは違いますが、組織の中での常識や他人の期待に応えようと良い人になろうとして、本来の自分自身の良さを押さえこんでしまうのは、とてももったいないことだと思います。そこで疲れてしまうより、自分の本来の姿や意見をさらしだし、チーム作りをしていくべきだと思いました。
それこそが、様々な性格や価値観を持つ人がいる中でコミュニケーションをとり、補いあっていくというチームスポーツの醍醐味であると思います。とても難しいけれど、でもそこで同じ方向を向けたらチームメイトの能力を100%還元出来、チームとして格段にレベルアップでき、更なる楽しさに繋がるところだと思います。

それからこれは完全に余談ですが、他学年の意見より、外部の友達の意見より、まずは同期の意見を最優先することが大切だと感じました。一緒にチームを作っていくのは同期であり、乗り越えてきたのも同期であり、長い時間を過ごしてきたのも同期であり、言葉だけではなく本気で同期のことを考えて行動し、それでこそいいチームができると思います。
最後に、私はバスケットボールを通して、想像以上の矛盾と戦うことが多く、やるせない思いを沢山経験しました。しかし社会には、矛盾や理不尽はたくさん存在していることだと思うので、これが現実だと向き合って受け入れ、自分の実力を磨く為に時間を投資することの大切さを学ぶことができた事は本当に良かったです。
今までいかに恵まれた環境にいたのか、身に染みて感じたとともに、このまま社会に放り出されるのではなく、学生最後に困難や失敗を通じてたくさんの人間関係のあり方、様々な価値観のあり方を学べる環境に身を置くことができたことに感謝します。これからも時間を忘れバスケに没頭したような「好き」や「熱量」をどこかで発揮し、自分の組織を愛して、同志と共に、たくさん夢を叶えていきたいです。
抽象的であり、当たり前のことしか書いていない、内容のない文章でしたが最後まで読んでいただき、ありがとうございました。またいつか同期と一緒にバスケがしたいです。
我が生涯に -吉岡絢子(学生コーチ)
2021年1月18日 17:00
慶應義塾大学商学部4年ならびに體育會女子バスケットボール部に所属しております吉岡絢子(CN:アヤコ)と申します。宜しくお願いいたします。
———————————————————————-
「悔いを残さないのではなく、残った悔いをどう昇華させていくか」
小学生時代、親と喧嘩してお弁当も持たずに家を飛び出し試合に向かったことがあります。心がモヤモヤして、その試合はまるでダメでした。喧嘩してしまったことも、情けなく鳴るお腹を満たす手段が無いことも、気持ちを引きずってバスケットのパフォーマンスに影響させてしまったことも、すべて後悔して、もう一度朝からやり直したいと思っていたら、涙が溢れて止まりませんでした。その時、尊敬する恩師からかけてもらったことばです。当時のわたしは「昇華」の意味すら知らず、家に帰って辞書で調べてもピンとこないような有り様でした。
「悔いの残らないように」
人生において、特にスポーツが絡むと、よく聞くセリフです。わたしの周りでスポーツに邁進している様々な人たちを見ても、やはり原動力のひとつには「後悔をしたくない」という思いがあるようです。
わたしはと言えば、後悔だらけのバスケットボール人生でした。
小学生の時はジャンケンで決まったキャプテンを任されましたが、これといってなんの成果も得られませんでした。中学の時は身長やミニバス時代のアドバンテージから努力を怠って、途中でスタメンを外れてしまい、高校では膝の怪我のためろくにプレーに打ち込むことができませんでした。
大学に入り高校のコーチとしてバスケットボールに携わり続けることを決めましたが、目標を達成できずに敗退したり、または引退させてしまったりするたびに、どうしようもない自責の念に襲われ、たらればで物事を考えてばかりでした。
昨年の7月から、ご縁があってこの体育会バスケットボール部で、学生コーチとしてこのスポーツと向き合ってきました。しかし、ここでも同じく後悔だらけでした。毎日の練習内容や、練習中にプレイヤーに向かって発した一語一句、練習ゲーム中の細かい判断など、もっとこうしておけばよかった、こうするべきだったと後から後からアイディアや発想が溢れてくるのです。

練習中のみならず、公式戦という大舞台でも同じくです。リーグ戦では例年通りの形ではありませんが、それでも目標を達成することが出来ました。しかし、試合内容として良いものばかりではありませんでした。自分たちの実力を出し切れなかったり、勝っている試合でアクセルを踏み続けられなかったり、相手の欠員に助けられたこともあり、そのたびにわたしは深く後悔しました。六大学では格上の学校相手にバラエティ豊かな敗北を喫しましたが、もっとうまくできたんじゃないか、体育会のOBOGの方々に対して誠意のある試合ではなかったのではないか、そう考えては枕に突っ伏していました。
4年生の引退試合となった早慶戦。圧倒的な実力差を前にプレイヤーのガッツが光る場面や、ベンチが盛り上がり一体感を見せられた場面がありました。しかし、学生コーチとしては、もっと食らいつきたかったし、もっとプレイヤーの良さを引き出したかった。もっと良いところを応援してくださる方々に見せたかったし、もっと足掻きたかった。そういった後悔ばかりが渦巻きました。

ここまで書いてきたように、わたしは10年を超えるバスケットボール生活において、ほとんど後悔しかしていません。それでも諦め悪く、学生生活最後までバスケットボールに携わり続けた理由はただ一つ、最初に記した恩師のことばがあるからです。もう一度書いても良いですか?
「悔いを残さないのではなく、残った悔いをどう昇華させていくか」
わたしはこのことばと人生の半分以上向き合ってきて、自分なりに咀嚼し、解釈してきました。
「悔い」をまったく残さずに清々しい気持ちで試合を終えたり引退するというのは、全国優勝でもしない限りかなり難しいことだと思います。むしろ、一日一日を悔いなく終えるとか、”試合に負けてしまったけど悔いはありません”とか、わたしにとってそういうのは綺麗ごとのように感じられてしまって、自分の中やチームの中に確かに存在するネガティブで繊細な感情を、無情にも押し殺してしまっているのではないか、とすら思うこともあります。ならばいっそ、後悔をするということは現状に満足せず自らの伸び代を信じられている、という風に開き直って、その自分に対する信頼を結果としてアウトプット出来るようにまたもがき続けるという方が良い。そう言い聞かせてバスケットボールに取り組んできました。文字に起こすと、少し自分に甘い感じもしますよね(笑)。
極論を言えば、わたしは後悔することが好きなのです。成長する余地がまだ残されていると思えるし、自分や仲間に対する期待や希望の証であると思うからです。

そして、体育会での5か月間は、今までで一番後悔の多い日々でした。前述したような後悔のみではありませんでした。異例ともいえる時期に体育会に入ったことで、輪を乱してしまったり、悪影響を与えてしまったりしていないか。元々教えていた高校生たちは道半ばで引退し、バスケが出来ていないのに、自分だけ体育会に所属して毎日体育館に通うことが彼女たちに対する裏切りになってしまうのではないか。そういった考えが毎日頭の中を駆け巡り、自らの選択を後悔するたびに、その気持ちを翌日の成長の糧にしようと努力しました。
しかし、そうは言っても簡単なことではありません。後悔するという行為は心を疲弊させ、その沈んだ感情を翌日には原動力に変えていなければいけないので、かなりのエネルギーを必要とし、私一人では到底できない作業です。
ここでようやく、この冗長な文章は月並みな引退ブログに落ち着きます。わたしは心から、同期や後輩、社会人スタッフの方々、支えてくださるOBOGの方々、応援してくれる友人、そして今まで高校で教えてきた高校生、大学生たちに感謝しています。毎日毎日、わたしとバスケットボールに関わる全ての人たちに、後悔の海から救い上げてもらっていました。練習内容やコーチングについて、わたしが後悔するたびに、チームメイトはたくさんのフィードバックをくれました。時には弱さを認めてくれ、時には驕りを咎めてくれました。大人の方々にはたくさんのご指摘やアドバイスを頂きました。友人たちは朝まで電話に付き合ってくれ、叱咤激励してくれました。高校生たちは…彼女たちの存在はそれだけでわたしを奮い立たせてくれました。そして、応援してくださる人たちの熱い気持ちもまた同様でした。

一人では何もできないわたしが何とか毎日悔恨から這い上がり、それを昇華させるべく前を向けたのは、わたし以外のすべての人たちのおかげです。
語弊を承知で言います。たくさん後悔させてくれて本当にありがとうございました。悔やんでも立ち直れる、立ち直らせてくれるという自信が無ければ、後悔することは叶わなかった。そして後悔が無ければ、成長も無かったと思うからです。
後悔してはその原因を探り、突き止め、トライする。ダサくてみっともないかもしれないですが、これがわたしのバスケットボールに対する向き合い方でした。そして、慶應義塾体育会女子バスケットボール部という最高なチームに対する、精いっぱいの向き合い方でした。
最後に、チームメイト、特に同期のみんな、最後の5か月だけという短い期間、仲間としてチームに入れてくれて本当にありがとう。みんながいなければこの貴重で最高で後悔だらけの5か月間は、怠惰で陳腐で何一つ後悔の無いつまらない日々だったと思う。本当に感謝してます。
あ、最後の後悔である早慶戦を昇華させるのは後輩たちに託します。
背番号4番を背負うとは -梅木 理沙
2020年1月25日 13:00
誠に僭越ながら自己紹介させていただきます。
私、慶應義塾大学経済学部4年ならびに體育會女子バスケットボール部に所属しております梅木理沙と申します。よろしくお願いいたします。
女子バスケットボール部の引退ブログも第5弾にして、最後となりました。
第1~4弾全てを読んでくださった方、数回の方、このブログが初めての方…最後までお付き合いしていただけたら嬉しく思います。
昨年度、男子バスケットボール部の1つ上の先輩方が卒業ブログを書いていらっしゃいました。この1年間、そのブログを何度も読み返しながら、私自身、勇気づけられていました。
そんな先輩方のように伝えられる自信も経験もありませんが、自分なりに、さらけだして、想いを綴ってみようと思います。
慶應義塾のバスケットボールとの出会い
小学校4年生の時、人数が足りず試合に参加することができない!ということで、近所のミニバスのチームに、とりあえずは1日限定というお誘いで参加しました。それが、私がバスケットボールを始めたきっかけでした。
その後、内部進学だったこともあり、小学校5年生から部活として慶應義塾バスケットボール部に関わることとなりました。
小学校6年生の時、キャプテンになり、監督から頂いた言葉があります。
「4番のユニフォームに誇りを持ちなさい。そして、似合う人間になりなさい。」
バスケットボールにおいて、キャプテン・主将が4番のユニフォームを着ていることが多くあります。小学生の私には、誇りを持つ持たないほどのものでも、似合う似合わないなど考えるほどのものでもありませんでした。
それから、特別バスケットボールが上手いわけでもなく、突出したリーダーシップがあるわけでもなく、ただただ、いろんな偶然が重なって、中学・高校、そして大学と4度の主将を任せていただきました。
それ以降、学年が上がるたび、4番のユニフォームを着る誇りとは何か、似合う人間とはどんな人なのか、考えるようになりました。

大学バスケットボール
入学当初、どの組織で、どの立場から、バスケットボールに関わるのか、悩む時もありました。あの時、なぜ體育會という組織を、なぜ選手という立場を選択したのか、明確な理由は、今でもわかりません。引退してみて、振り返る中で、組織や立場などは重要ではなく、この選択をしたことで出会えた人たちがいて、それだけで私はよかったのだと心から思います。
大学1年生。
高校生の時から、憧れていた先輩のいるチームでバスケをすることができました。辛いことや悔しいことよりも、一瞬一瞬も見逃したくなくて、追いかけるので精一杯だったのを覚えています。
大学2年生。
結果どうこうよりも、主将のために、4年生のために、頑張りたい、何か少しでも肩代わりしたい、力になりたい。そんな気持ちでコートに立ち、何もできない無力さを実感しました。私の中では、想いの詰まった1年間でした。
大学3年生。
怪我の多い1年間でした。出場することができたのは、1年間で、たった3試合でした。
どこからが無理をしていて、どこからがサボっているのか。無理をするのはチームのためなのか、ただの自己満足なのか。痛いのか、動けるのか。
線引きをするのがすごく難しく、何でいつも自分なんだろう、何で今なんだろう、なんて思う時期もありました。そのように考えてる時点で、いつまでも成長しないのになあ、なんて今では思うことができています。
それでも、比べものにならないくらい、怪我で悔しい思いをしている先輩もいらっしゃいました。その人のためなら、そして、3年間お世話になった4年生のためなら、悔しいことも受け入れて、4年生には昇格することだけに集中できる環境をつくれるよう、全てをやろう、そう思いました。

大学4年生。ラストシーズン。
この1年間を語る上で、あらかじめお伝えしたいことがあります。
こんなに苦しかった、辛かった、もう嫌だ。
という話ではありません。
こんなにも、「学生最後の伸びしろ」に出会えて、恵まれた環境で、最高の1年間だった。
ということを伝えたくて、そのためにも、飾らず、あえて全てをさらけ出してみようと思います。
話は少し変わりますが、私は、映画館での映画鑑賞が大好きです。
少し季節はずれにはなりますが、好きな映画は『クリスマスキャロル ロンドンに奇跡を起こした男』という映画です。ファンタジーで何度も気軽に観ることができる素敵な物語です。
その映画の題材になっているクリスマスキャロルの作者チャールズ・ディケンズはこんな言葉を残しています。
「病気や悲しみも人にうつるが、笑いと上機嫌ほど、うつりやすいものもこの世にない。」
この言葉が今シーズンの私のモットーでした。
どんな時も、追い込まれても、笑顔で、上機嫌で、明るくい続ける。悲しむなら、まず先に上機嫌でいる。そんなことを心に決めていました。
しかしながら、そんな簡単にうまくはいきません。もちろんずっと笑っていられても怖いですし。
それ以降、練習後、最寄り駅から自宅までの十数分間に必ず自分自身に問いかけるようになりました。
「自分が主将で良かったのか、誇りを持つとは、似合うとは、なんなのか。」
答えの出ない問いを自分自身に投げかけては、勝手に落ち込む毎日でした。
今となっては、主将というのは、ただの役職の名前で、誰にでもできる役職だったなあとしみじみ思います。
誰にでもできるからこそ、自分らしい形も模索して、当たり前のことを1番やりきらなければならない、ということに気がつかされました。

勝手に落ち込む毎日の中で、自分自身に変化が起こり始めました。
夜、布団に入り目をつぶっても、寝られなくなりました。
やっと、眠りにつけても、15分程で目が覚める。起きていても、漠然とした不安が押し寄せる。
運よく眠りにつけても、夢をみるようになりました。
追いかけても追いかけても追いつかず、先輩が暗闇に消えていく夢。
後輩に、もっと楽しくバスケがしたかったと言われ、突き落とされる夢。
何度話しかけても、同期に声が届かない夢…。
そんな夢をみては、ハッと目を覚まし、時計をみると15分しか経っていない。
そんな毎日を続けていると、耳鳴りと目まいが続くようになり、ある時、左耳が聞こえなくなりました。
もう一度確認させてください。
逃げ出したかったとか、苦しかった、という話ではありません。
心の底から、成長できたな、良い経験だったなと胸を張って言うことができます。
私の友人は、え、嘘でしょ、悩みなんてあったの!って、思うかもしれません(笑)
私自身も、こんなにもキャパが狭くて、自分の感情をコントロールするのが下手だとは思いませんでした(笑)
頑張れ、とか、大丈夫?とか、そんな愛のある言葉が、その時の私には最も怖い言葉だった気がします。
あと何を頑張れば良いのか、大丈夫じゃなくなっていることを突き付けられている気がして。
そんな私を、誰よりも理解してくれていた同期のみんなには感謝を伝えても、伝えきれません、何をしても、足りません。
誰よりも4年間努力をし続けて、部員全員の気持ちになろうとしてくれるニコ、理解して、もう頑張らなくていいよって、一緒に頑張るよって言ってくれて、そばにいてくれて、ありがとう。
我慢と葛藤の連続だったと思うけど、部の顔として、目標だった応援されるチームに最も貢献してくれたスイ、いつも味方でいてくれて、人に頼るのはへたっぴなくせに頼ってねって言ってくれて、ありがとう。
熱い闘志は隠しつつも、冷静に状況を見て、思ったことをしっかり言ってくれる沙樹、何も言わず一緒にいてくれて、安心させてくれて、いつも沙樹の存在に救われてました、ありがとう。
板ばさみになったり、嫌われ役になったり、抱え込むものも大きかったカイ、負担と感じていたことを一緒に背負ってくれて、ありがとう。
この時期のわたしはモットーに反して、不機嫌を伝染させるような人間だったと思います。
そんな私を温かく広い心で受け止めてくれて、その優しさに救われて、もう一度だけ、最後に頑張ってみようと思うことができました。
どうしても同期の話が多くなりますが、後輩のみんなにも感謝の気持ちでいっぱいです。
それぞれが、各々角度で葛藤していたと思います、我慢していたと思います、模索する毎日だったと思います。
それでも、チームのために行動し続けてくれたこと、支えられて、救われ続けていました。
こんなにもかわいくて、大事で、大切な後輩に出会えると思ってもいませんでした。
現役中に恩返ししたかったけど、しきれなかったから、引退してから、少しずつでも、何か返していけたらと思っています。何度も言ってるけど、これからも絶対的な味方でいます。そして、心の底から、応援してます。

長々と失礼いたしました。最後までお付き合いいただきありがとうございます。
小学校6年生の時から問い続けた「4番の似合う人になれていたか」は分かりません。
それでも、たくさんの人の支えのおかげで、「4番に誇りを持つ」ことはできたような気がします。
最後になりますが、遠方より会場まで足を運んでくださった方、応援してくださった方、支えてくださった方、関わってくださった皆様、本当にありがとうございました。
慶應義塾バスケットボール部に12年間携わり、やっと、ほんの少しだけ、意義や強みが分かったような気がします。これから、少しでも恩返しできるよう、自分自身と向き合い、成長し続け、精進してまいります。
ありがとうございました。
チームに必要とされるために -重増 志保
2020年1月21日 13:00
慶應義塾大学環境情報学部4年ならびに体育会女子バスケットボール部に所属しております、重増志保と申します。
この度は、卒業ブログということで何を書くべきなのか最後まで悩んでいたのですが、ようやく引退を実感しつつある今、感じていることを素直に書かせて頂きました。
拙い文章ですが、最後までお付き合い頂けたら嬉しく思います。
「あなたはチームのためになってない」大学2年生の夏合宿、監督にそう言われました。
「チームは良くなっているのに、あなたはそこにいない」
はっきり言って心外でした。
合宿を通してチームは団結し、一体感が強まっていきましたが、それに反比例して私は対人練習から外され、コートの外にいる時間が長くなっていました。
それでも、なんとかチームのために頑張ろうと必死だったからです。
その2ヶ月後、私たちは4部に降格しました。
当時の4年生が、「皆に3部を残してあげられなくてごめん」と頭を下げて私たちに謝りました。そして、4年生は声をあげて泣きました。
私も、悔しくて泣きました。
お世話になった大好きな4年生に恩返ししたいと思っていたのに、1番苦しい思いをさせて引退させてしまった。
この人たちのためなら何だってできる。そう思っていたのに何もできなかった。
こんなに悔しい思いは、もう二度としたくないと思いました。
2年生のリーグ戦は、私に大切なことを教えてくれました。
毎朝1番に朝練に行ったこと。オフの日の放課後、午前練習があった日の夜、試合の後、何度も一人で体育館に行ったこと。トレーニングコーチの授業に通ったこと。
たくさん自主練習をしていた私を認めてくれた同期や先輩もいましたが、それは実力不足の選手が当たり前のことをしていただけです。
朝練なんてしなくても実力のある選手の方が、よっぽどチームの役に立てます。
力になりたいと思っている人たちの、力になれます。
私は、疲れてなくても、痛いところがなくても、ベンチから応援し続けることしかできない。
1分でも休ませることもできない。背負ってるものを共有できない。
それは、自分が選手として無力だからだと思っていました。どれだけ頑張っても、練習しても何もできないんだと思いました。
でも、そのうちにベンチで仲間を支えられるような言葉すら出てこない自分に気づきました。
自分は、チームに存在する者として、無力でした。今この瞬間にチームのために必要なことを、試合に出ている人と同じぐらいできていなかったと気づきました。
ベンチにいる立場から一緒に戦うことができなかったのは、チームと同じ想いや覚悟を背負っていなかったからだと思いました。
コートで戦う人の苦しみがわからなかったからだと思いました。
だから、私はコートに立ってチームを支え、試合に出られない人を引っ張れるようになりたいと思いました。
3年生は、自分ではなくチームのために、ようやく気付いた当たり前のことをひたすら取り組み続けた1年でした。そして、自分のために頑張っていた2年間よりも、見えてくるものや得られるものが大きく変わり、プレーも少しずつ伸びていきました。そして、リーグ戦から試合に出してもらうようになりました。

4年目、最後の1年間については、何と言えばいいのか正直分かりません。
私が試合に出るようになった裏で、選手を諦めた同期がいました。
コートに入るのと入れ替わりに、怪我してコートに立てなくなった仲間がいました。
ベンチに入れてあげられない後輩が何人もいました。
その中で、コートに立つことが与えられた。
その重みを忘れたことは一瞬もありません。
だからこそ、チームの後輩、同期のために、果たさなければならなかったことがありました。
たくさん叱って下さったスタッフの方々に、見せたかったものがありました。
それでも、体現できなかったこと、返せなかったことが本当に沢山あります。
どんな言葉も言い訳にしか聞こえませんが、私自身が越えるべき壁を越えられなかったからだと思います。
それでも、こんな私を最後まで支えてくれたチームの皆に本当に感謝しています。
一緒に戦ってくれた後輩たち、最後まで見捨てずに信じ続けてくれて、託し続けてくれた同期、本当にありがとう。
チームのために多くの時間を費やし、常に最善を尽くして下さったスタッフの皆様、どんなに遠い会場にも駆けつけ、声をかけ続けて下さったOGOBの皆様、言葉で、背中で、沢山のことを教えて下さった先輩方、本当にありがとうございました。
こんなにも大切な仲間を得ることができたことが、4年間積み上げてきたことの全てだと思います。

チームにとって必要な存在になれなければ、コート上で必要な選手にはなれない。
コートに立っても、それができなければチームに必要な存在にはなれない。
だから、チームのため、仲間のために頑張ること、信頼を築くことは一番大切であること、それと同時に自分が成長するための努力は何があっても絶対に諦めてはいけないこと。
4年間を通して、学んだことです。
今後は、OGとして現役チームをサポートし、応援する立場からしっかり支えて参ります。
また、来シーズンも、体育会女子バスケットボール部を宜しくお願い致します。
長い文章でしたが、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。