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勝ちを追い求めることに愚直になれ -眞尾瞳(主将)
2022年1月27日 19:00
私、慶應義塾大学商学部4年ならびに体育会女子バスケットボール部に所属しております眞尾瞳(CN:メイ)と申します。宜しくお願いいたします。
自分らしく ありのままで 個性を大切に
そんな言葉を毎日のようにどこかで見ます。
何が自分らしいのか、ありのままってなんなのか、難しくないですか。
ただ、“自分らしく“を、強要してきて、結局みんなが”自分らしく”を取り繕ってしまわないのかな。
どうも、こじらせている人です。
このブログでは、私なりに4年間で見つけた”自分”と”自分らしくある”ってなんのかを書いていきたいと思います。※一個人の意見です
結論から言うと、自分らしくあるとは、
今本気で思うことのために、価値を追い求めること
だと思います。
自分語りが長くなりますが、もし宜しければ最後まで読んでみてください。
ジャンケンをしたがらない人
バスケットに出会ったのは小学4年生のときです。
それまではヒップホップダンスを習っていました。
何かスポーツを始めようとしていたとき、母親はダンスを勧めてくれました。
理由は、勝ち負けがないから。(大会には出ず、発表会を定期的にやるようなクラブでした)
私は負けることが大嫌いで、ジャンケンでさえもやりたくないと大泣きしていたそうです。
では、何故勝敗のつくバスケットボールを始めたのか。
理由は、小学校の持久走大会で負けるのが嫌だったから。
いや、矛盾がすごい笑
バスケットボールがどんな競技なのかも理解しないまま、とにかく体力をつけるために“走る”要素のあるスポーツを始めようと、近くの少年団に体験に行き、走り回るのが楽しくて、「やってみたい」と始めることに。
できないことができるようになっていくのが楽しくて、いろんな人に褒められるのが嬉しくて、試合に出たい・もっと上手くなりたいと、1年間の両立の末、7年間続けたダンスをやめようと決断したこと、今でも覚えています。
単純な人
負けたくない
それが私の核です。ジャンケンをしたくないと泣きじゃくっていたあの頃から変わっていません。
それでも、小・中・高とバスケットを続けて、負けたこと、目標達成できないこと、山ほどありました。
悔しくて毎回泣いていたし、辛いことのほうが多かったけれど、バスケットをやめたいと思うことは無かったです。
負けることの怖さから逃げていた幼少期とは違って、(ただ、負けることが怖くなくなった訳では決して無く)私は、勝つために一生懸命になることの楽しさに気づいていきました。

OGだと思われていた人
高校卒業時、大学でもバスケットを続けることを決めていた訳ではありません。
アカペラサークルに入って中庭でボイスパッカーションをやる選択肢もあったし・・・いや無かったな。笑 (誰か一緒にハモネプ目指しませんか)
初めて見学に行った日、未だに覚えています。
入学前に日吉に行く機会があり、ついでに練習を覗いてみようと活動場所を検索。
活動場所に出てきた記念館へ向かうと工事中でした。
どこかの体育館借りてやっているのかな、今日は見られないか――
と思っていたら、ボールケースを押して並木道を上がっていく何人かを遠目に発見。
ダッシュで近づいて声を掛け、急遽、練習を見学させてもらうことに。
並木道で声をかけた人がソラさん(梅田香/R3年卒)達だったのは、後から話すと面白いですね。
「貫禄ありすぎてOGだと思っていた」っていうのは、絶対にうそ。笑
脱線しました、ごめんなさい。
会堂で、初めてバスケ部の練習を見学したとき、真面目にバスケットをしている空間にいるのが久しぶりで、「これこれ」と肌で感じたのを覚えています。
練習中と練習後の雰囲気のオンオフが良い意味ではっきりしていて、「これよこれよ」とうなずいたのを覚えています。
結局、私は、勝つために本気で頑張りたい、負けたくないという思いから、体育会に入部しました。
出会いに恵まれた人
私は、勝ちをいつだって追い求めてきました。
勝つことにしか意味など無い、価値など無い。正直、今でもそう思っています。
しかし、大学4年間でのたくさんの出会いと機会が、私の単純な核をいろんな角度から強く深く大きくしてくれました。
大学1年生
「メイは何も考えずに自由にやればいいよ」
と毎日のように言ってくれました。優しすぎる先輩方に戸惑ったけれど、その意味を自分なりに理解したとき、4年生のために本気で3部昇格したいと思えていました。取り繕うことなく、本気で向き合っていたからこそ、私に伝わったのだと思います。「誰かのために」と心から思えたのは、私の成長でした。
大学2年生
「バスケットが楽しくない」
と口に出してしまったこと、今考えれば本当に恥ずかしいです。自分の弱さと向き合うことから逃げていることに気づかせてくれました。そして、私が向き合うことに、自分のことのように一緒に考えてくれました。
誰かのために努力する。それは自分のために。私の核を尊重し、“チーム”を教えてくれました。

大学3年生
「覚悟」
を持たせてくれました。なにかを盾にすることなく、目の前の成果と向き合うこと。“組織としてあるべき理想“、”持つべき責任感“とか胡散臭いものに囚われがちだった自分から、目が覚めました。「覚悟」というスローガンに覚悟を持って進んだ先に、胡散臭さの無い、真の考えや言葉を得ました。
戸惑い、気づき、責任を持った3年間を通じて、ラストシーズンは今までを象徴する1年間になると考えていました。もうあとは自分らしくあるだけ。そんな風に思っていました・・・
自分を見つけ出した人
『2部昇格』
2021シーズンの目標でした。
結果として、達成することはできませんでした。
どうしたら勝つことができるか。どうしたら2部昇格ができるか。
そのことを常に考えて、チームの勝利にとって最善の決断をすること。
そして、その決断を正解にしていくこと。
主将の役目だと思います。
合宿や練習試合ができず、自分達の取組みが正解なのか確認する作業があまりできないままに迎えたリーグ初戦。チームにとって1つのゴールであり、答え合わせでした。
出た答えは、敗北。
敗北に価値などない。価値があるモノにしていくのは自分達次第。
そんなことは分かっていて、だから冷静に要因を考えなくてはいけないことも分かっていました。
次の試合に向けてどうしていくか、前を向かなきゃいけないことなんて理解していました。
それでも、言葉が出てこなかった。考えることさえもできなかった。
やってきたこと、決断、存在、全てが否定されて、自信なんてかけらも持つことができなくて、正気を保つ事さえもできませんでした。
その日の同期ミーティングで、全く話すことができなかったこと。その日からの円集合で、視線が怖くて、手が震えて、何をどう話したら良いか分からなくなって、綺麗事を並べて取り繕っていたこと。未だに鮮明に覚えています。
勝手にみんなの理想の主将を想像して、バランスのとれた人でいようと、勝手に自分の中で仲間を忖度している自分。
別に誰も私に辛さを共感してもらおうなんて思ってないのに。
みんなの顔色うかがって、当たり障りの無い綺麗事並べて話している自分。
別に綺麗な偽物に心動く人なんていないのに。
そんな自分に自分で気がついて、自分が自分で嫌になりました。
どうしたら2部昇格ができるか、ではなく、どうしたらみんなを傷つけないか
そんな無駄なことばかり考えている自分に腹が立ちました。
それは思い遣りでも何でも無くて、反対に、仲間を裏切っていることになることに気がついて、情けなくなりました。
自分の核・魂を、この手で勝手に売っていることが悲しくなりました。
私は、ただこのチームで2部昇格がしたい。その勝ち(価値)を追い求めるためにやっているんだ。
美しい一瞬一瞬に戻ってこられなかったかもしれない私を救ってくれたのは、紛れもなくチームメイト全員です。
同期が、私の魂を取り戻してくれました。
勝ちたいの一心で突き進む道を作ってくれました。
後輩が、私の魂を奮い立たせてくれました。
誰1人として諦めることなく、チームの勝利へ向かって、それぞれが価値(勝ち)を追い求める姿勢がありました。
私は、自分のことを自分で分かっていませんでした。
そして、仲間のことを分かっていませんでした。
全員が全力で勝利に向き合い、自分の役割に向き合い、全うしてくれていました。
そこには、本当の意味でのチームがありました。
私は、自分がどうとか関係なく、このチームで勝ちたいと心から思っていました。
みんなのために2部昇格がしたい。
心からの言葉に変化が生まれ、今度は偽物ではなく、真のこもった「誰かのため」でした。
改めて、結果はグループリーグ2敗5勝、順位決定リーグ2勝で、3部7位に終わりました。
追い求めてきた価値には届かず、本当に悔しいです。
ラストシーズン、振り返れば、まさに集大成でした。
勝利こそが価値であることを受け入れ続けて3年間で得たヒントを活用し続けられなかった弱さは、私の伸びしろだと、引退して1ヶ月経った今、本気で思えるようになりました。
そして、戸惑い気づき、結果を本気で求めてきたからこそ、今、過程を振り返れば、自分を肯定できなかったあの時期を肯定できる気がします。
過程に価値があるかどうかなんて、全てが終わったときにしか分からないのだと思います。
どうしたら勝つことができるか。どうしたら2部昇格ができるか。
そのことをみんなは常に考えて、私がチームの勝利にとって最善を決断できるように、そして、その決断を正解にしていくために、必死に努力をしてくれました。
私は強くなんかありませんでした。勝ちたいの一心で、強くあろうとしただけです。
そして、強くあろうとし続けられたのは、みんなに救われ支えられたからです。
たとえ2部昇格達成の可能性が無くなっても、勝ち(価値)を追い求めて決断することができました。
最後まで、毎日を全力で戦い、価値を求めて進化することができました。
本当に感謝してもしきれません。
今、本気で思えることのために、勝ち(価値)を追い求めていく過程は本当に楽しかったです。

体育会の人
自分らしく ありのままで 個性を大切に
そんな風に個が謳われる現代。自己犠牲が正義とされてきた体育会は、もしかしたら現代的では無いのかもしれません。
しかし、私は、体育会での4年間で、それぞれが今本気に思えることを動機に、それぞれが勝ち(価値)を追い求めることが、強いチームをつくると学んだ気がします。
そして、それは、チームであるからこそできることだと思います。
自分らしくあるには、最高な日も最悪な日も、自分の心からの言葉に耳を傾け、そして、その心の声を話すことができる仲間を持つこと。それぞれが今本気で思えることのために、それぞれの価値を追い求めること。
本気で価値(勝ち)を追い求めていくと、出会いと機会に恵まれ、自分が大切にしたい価値が変化していくと思います。
人間の価値観なんて固定しておらず進化していくものだから、今本気で思えることを大切に、それに向き合って、感情を動かしていきたい。
頭ではなく心で語り合える仲間を大切にしたい。
それが本当の強さとなり、進化をもたらすと思う。

何かを本気で思い、価値を追い求めることって本当に辛くて苦しいことだけど、それ以上に
美しいこと楽しいことだと思います。
私は体育会での4年間を、ガラクタにも埃にまみれた宝物にもすることなく、伸びしろに、そしてヒントにして、これからも価値を追い求めていきます。
最後に
コロナウイルスの影響で厳しい社会情勢の中、全力で毎日を戦う抜くことができたことを誇りに思います。
体育会バスケットボール部を通じて関わった全ての皆様、様々な形で応援してくださった皆様に感謝します。
本当にありがとうございました。
今後とも、慶應大学体育会バスケットボール部を宜しくお願いいたします。
4年間の記録 -中島花(副将)
2022年1月25日 19:00
慶應義塾大学環境情報学部4年ならびに体育会女子バスケットボール部の中島花(CN:ルイ)と申します。拙い文章ですが、自分の想いを綴らせていただきます。最後まで読んでいただけると幸いです。
昨年11月、小学6年生から始めたバスケ生活に終止符を打ちました。バスケを始めたきっかけは転校した小学校にバスケ部しかなかったからです。始めは行くのも嫌でサボろうとしていた私が、当時のミニバスのチームの中で唯一バスケを続けている最後の1人になりました。ここまで続けてこられたのはバスケが好きだからという理由一つです。その時バスケの面白さを教えてくださった先生とチームメイトへの感謝もこめてこのブログを始めさせていただきます。
私は9月入学のため、途中入部という形で体育会に入りました。そして、私の大学バスケは前十字靭帯再建手術から始まりました。高校で痛めた膝を治すことからのスタートで、なかなかコートに立つことはできませんでした。
プレーできないにも関わらず4月ではなく9月入学での途中入部を選んだ理由は二つあります。一つは当時の4年生と同じチームになりたいと思ったからです。私が高校3年生の時に見学させていただき、大学バスケに刺激を受け、この方々と一緒にバスケをしたいと思いました。同じチームにいられた時間は短かったですが、チームメイトとして3部昇格の瞬間を共に過ごせたことを心から嬉しく思っています。
もう一つはこの代に入りたかったからです。私はメイ(眞尾瞳/商学部)たちが1年生の時の早慶戦を観客席から見ていました。そのとき既に1年生の2人がスターティングメンバーでプレーしているのを見て、あの子達と同じ代に入れたらどんなに楽しいだろうとワクワクしたのを今でも覚えています。大きな舞台で堂々とプレーする姿は本当にかっこよく、その時からずっと憧れていたんだと思います。
ここからは入部後の話をさせていただきます。
冒頭でもお話ししたとおり途中入部だったので、既に仲が良い同期の輪に飛び込むのはとても勇気のいることでした。特に当時「1年生は仲が良い」と先輩から聞いていたので自分が入ることで乱してしまわないか、受け入れてもらえるのか不安でいっぱいでした。しかし、同じ高校からお世話になっていたソラさん(梅田香/R2卒)ナミさん(小福川莉奈/R2卒)が気にかけてくださり、同期とも少しずつ溶け込めるようになりました。少し異例なケースでの入部を同期は快く受け入れてくれました。簡単に書いてしまいましたが、この時嫌な顔一つみせず迎え入れてくれた同期がいてくれたから今の自分がいると思っています。まだ私のバスケも、私自身のことも知らなかったのにすぐに歩み寄ってくれた同期には感謝してもしきれません。

この4年間私はベストコンディションでバスケをすることができませんでした。怪我を何度も繰り返すというよりは手術した膝の痛みが消えることがなかったからです。そして膝を庇おうとして別のところを痛める、負の連鎖でした。痛い箇所がないことはない。プレイヤーとしては致命傷です。もちろん調子がいい時もありましたが、これからだという時にまた疲労が溜まって大きな痛みになる。その繰り返しでした。全て自己責任なので私の「自己管理不足」の一言に尽きますが、それでもやるせない気持ちは積もるばかりでした。リハビリに通っても注射を打っても痛みがなくならない、思うように動かせない、自分の情けなさに腹が立つと同時にこんな中途半端なやつがコートにいていいのかと自信をなくすことが多くありました。そのたびに、自分がこのチームにいる存在意義を考えるようになりました。
ありがたいことにミニバスから試合に出させていただいていた私はコートに立つことの難しさに直面し、大学2年生の頃バスケをする意味がわからなくなったことがあります。なぜ自分はバスケをしたいのか何のためにバスケをしているのか考えた時、1番に出てきたのはやはり、バスケットボールというスポーツが好きだからでした。しかし、コートに立てないのなら意味がないのではないかと、葛藤する時期もありました。その中で、自分のモチベーションは「誰かのモチベーションになること」だと気づきました。存在意義の話にも繋がりますが、誰かの頑張る糧になることが自分の頑張れる理由になると感じたからです。「ルイが頑張っていたから頑張ろうと思えた」と言われるだけでもっと努力しようと思えました。試合で貢献できない分、練習でどれだけ自分を魅せてチームに貢献できるか考え続けた1年でした。
自分のやることが明確になったことで3年生からはチームへの関わり方が変わりました。練習に取り組む姿勢、そして何よりもバスケを楽しむことを忘れないということを意識してプレーするようになりました。スキルに大きな差はありませんでしたが、気持ちの面でプレーに余裕が出たと感じています。少しずつ周りを見られるようになりました。間違っていると思った時に指摘するのもそうですが、楽しいと思ったことをチームメイトに共有することを特に心がけていました。この楽しい瞬間を忘れてはいけないと思っていたからです。また、誰かに見ていて欲しければまずは自分が人に関心を持って思ったことを伝えなければいけないと思い、とにかく話しかけることを意識していました。考えるだけではなく行動に移すことで成長できた1年だったと思います。
そして4年生、最後の年は濃く、本当にあっという間でした。最後の年もコロナの影響で思い描いていた1年ではありませんでしたが、ここまでどれだけの人に支えられてきたか、どれだけ恵まれていたか、改めて感じることができました。
最上級生になってチームを作る中で役割分担の大切さを再認識できました。個性の違う5人だからこそ作れたチームだと思っています。常に前を走って背中を見せる人、全体のバランスを見ている人、小さな変化に気づく人、雰囲気を作る人、横のつながりを見る人。全員でお互いを支えながら大きく進化できたチームでした。目標には届きませんでしたが、届きそうだったからこそ心から悔しいと思うことができています。4部から始まったチームが2部昇格を目指すまでに成長しました。この進化を自信に変えて来年以降、後輩に託します。

また、今年は副将として主将のサポートはもちろんですが、違うと思ったことをストレートに指摘することを心がけていました。影響力のある主将だったからこそ、私は否定の視点から入ることを意識しました。ストイックで真面目な彼女を指摘することはほとんどありませんでしたが、何でも話せるいい関係を築けたと思っています。そして私自身、後輩の声に救われた1年でした。同じ状況で葛藤する後輩からもらう言葉は私の原動力となりました。最後まで信じてついてきてくれてありがとう。誰1人欠けてはいけないと自信を持って言える同期、後輩に出会えたことを心から幸せに思います。
この4年間を通して体育会女子バスケ部で得たものは思考力と繋がりです。何か課題があげられるたび「なぜ」「どうして」「どうすれば」と細かく分解して考える癖がつきました。これは何度もミーティングを重ねて互いに意見をぶつけてきたからです。自分の意見を突き通すのではなく、自分と考えが違う人はなぜそう思うのかを話し、寄り添いあって結論を出すことができるようになりました。そして歴史ある体育会バスケ部に所属したことでOG・OBの方々と関わる機会をいただいたり、他部活と交流したりすることができました。たくさんの繋がりを提供してくださったバスケ部に感謝しています。

最後にこの場をお借りして感謝とともに尊敬できる同期を自慢させていただきます。ずば抜けたキャプテンシーを持ったメイ(眞尾瞳/商4)は誰よりも責任感が強く妥協を許さないプレイヤーの鏡でした。最初から最後まで先頭に立って走るのは不安でいっぱいだったと思います。それでも堂々と引っ張ってくれて本当にありがとう。副将として隣にいられたことを誇りに思います。誰よりも冷静に物事を判断するハク(武藤怜/商4)にはたくさん助けられました。敏感が故に苦しんだことも少なくないと思います。いつも気にかけてくれて、手を差し伸べてくれて本当にありがとう。ムードメーカーとしてチームを明るくしてくれたリン(西理奈/法4)、同期5人でコートに立つことを信じ続けてくれて本当にありがとう。リンの貪欲さは私に刺激をくれて、バスケに対する熱意を本当に尊敬していました。そしていつでも優しい笑顔で和ませてくれたエマ(ビディンガー美亜/商4)、思うようにバスケができない時、一番近くにいてくれて本当にありがとう。辛い顔をみせず、温かくそばにいてくれたから最後まで走りきれました。最後一緒にコートに立てて嬉しかったです。

ここまで長々と書かせていただきましたが、11年間続けてきて結局思うのは「バスケットボールは面白い」ということです。バスケに「絶対」はなく、最後の1秒までどうなるかわからない、ワクワクドキドキする面白いスポーツです。見るのも面白いですが、自分がチームメイトとうまく合わせられた時のあの感覚はたまりません。その一瞬を味わうためにここまでバスケを続けてきたと言っても過言ではありません。それぐらいプレーしていて楽しいスポーツでした。大好きなスポーツを通して繋がれた先輩、後輩、同期、そして経験できた感情、どれも私にとっては一生の財産です。バスケットボールというスポーツに出会えて本当によかったです。最高に楽しいバスケ人生でした。
これからまた新しく熱くなれるものを探し、さらに成長していきます。これまで支えてくださり本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願い致します。今度はOGという立場で慶應バスケ部のサポートをしていきます。これからも慶應バスケ部の応援よろしくお願いします。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
自分とチームと自信 -武藤怜
2022年1月23日 19:00
慶應義塾大学商学部4年ならびに体育会女子バスケットボール部の武藤怜(CN:ハク)と申します。どうぞ宜しくお願い致します。
これまでの4年間、感染症の流行等で先行きが危ぶまれることもございましたが、無事に活動を終えることができました。これらは全てOBOGの皆様・学連をはじめとした関係者の方のご尽力があったからこそだと思います。本当に感謝しております。誠にありがとうございました。
引退して1ヶ月が経ち、これまでのハードな日常とは程遠い生活を送る私ですが、とうとうこのブログを書く時が来たのかと引退をより強く実感しております。これまで多くの先輩方の引退ブログを読み、沢山の刺激を貰っていました。そんな先輩方のように何かを伝えられるようなものになるかは分かりませんが、自分の想いを精一杯綴ってみようと思います。
言葉にすることが下手であるのと、4年間をギュッと詰めた引退ブログということで、拙い文章にはなりますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
私は慶應女子バスケ部での4年間において、「自信を持つことの大切さ」を学びました。
自信を持つとパフォーマンスが安定し、局面で粘り強さに変わる。何を今更、と思う方もいらっしゃるかと思いますが、私の中でこの「自信」こそ1番必要としており、その重要性を強く実感してきました。
私は有難いことに、小学校でバスケットボールを始めてから、中・高・大学と入部してすぐに試合に出場させていただき、物凄く恵まれた環境でバスケットボールをしてきました。中学ではミニバスから一緒に過ごしてきた仲間たちとがむしゃらに上を目指し、高校ではバスケ経験に関係なく全員で楽しみながら勝利を目指し、大学では試合出場の有無に関係なく自分の立場や強みを見つけて目標達成を目指す。「恵まれた環境」という言葉がぴったりな程、私は理想的な形で熱心にバスケットボールに打ち込むことができていました。

特に大学では、サークルに不向きな性格であったことと、色々なご縁があって入部を決めましたが、入部当初から引退する最後まで本質を徹底的に捉えて思考し続ける仲間の姿に圧倒されました。それぞれが強い軸を持ちながらも柔らかさとしなやかさを身につけていて、私は出会った1人ひとりを尊敬しています。自分の努力や結果云々よりも素敵な仲間に出会えたことが私の財産です。
もとより私は謙虚すぎてしまう性格というのでしょうか(自分で言うのも何ですが)、自分に自信を持つことが下手でした。というのも、これまで何かと周囲の期待に応えて物事を上手く進めてきたことが多く、ある程度の努力を費やしていても心から自信を持ってやり切ったと言えることが少なかったのかもしれません。
大学で入部したバスケ部は、先述したとおり自立した頼もしい仲間ばかりで、その一員になったからには先輩方みたいに頑張らないと…、と焦りがありました。また、誰しもがチームのために思考し努力し続けるチームの中で、1年生からスターティングメンバーとして試合に出場することは、チームを背負う大きな責任があり、どうにかしてでもその責任と応援してくれる周囲の期待に応えたいという強い想いがありました。
そのため、大事な試合でシューターなのにシュートを決めきれない時や、仲間に引っ張ってもらってばかりだと実感した時は、「責任を全うできていない」と自分の自信を失ってしまいがちでした。特に3年生のシーズン、「3部1・2位リーグ進出」を懸けたリーグ期では、試合に出なくともチームを牽引する強さを教えてくれた4年生のために同期や後輩がコート内外で奮闘する中、「自分は何も貢献できていないのではないか」と仲間と比較しては不安になり、貰った言葉をネガティブに捉えてしまう程、焦りと葛藤で心が落ちてしまっていました。
今なら「上手くいかない時も楽しめ!」なんてポジティブに思いますが、当時はそれでも精一杯で、振り返ると本当にだめだめなプレイヤーでした。(笑)
そんな3年生のリーグ期が、バスケットボール生活の、いや、人生における発想の転換期になりました。ある日、練習に来てくださったリサさん(梅木理沙/R1卒)が私の様子を見て、言葉をかけてくれました。「もっと自分に自信を持って!ハクはハクだよ。」と。
私は、その言葉に心救われて、周囲の期待や責任を一回置いて、自分がどういうプレイヤーでありたいのかを改めて確認することができました。そこで色々と考えた結果、不足していたのがやはり自信であり、私は自信をつけるために、特に2つのことを意識するようになりました。
1つ目は、「自分の軸をぶらさないこと」です。
シュートが入らない・チームでの立ち位置が分からないなど困難が生じた時に、その目先の困難や課題だけに焦点を当てて、いつしか自分の軸を忘れて理想ばかりを追っていました。だからこそ、自分の理想にそぐわない時はかなり落ち込むし、安定しなかったのだと思います。しかしながら、自分がやるべき最低限のことは常に力を入れ、一定の高いパフォーマンスを維持し続けることで、自分を安定させることができると気づきました。
私の場合は、様々なポジションを経験しようとも、中学生の時から一貫して続けてきた泥臭いデフェンスやルーズボール、チームの盛り上げなど、そういった誰でも出来る部分を誰よりも頑張ることが軸であると気づき、それを全うすることに力を入れてきました。
また、その軸を自分自身が客観的に捉えることも非常に重要だと実感しました。当時の私は、周囲の評価や頑張る仲間と自分を比較することで、自信を失うきっかけを自ら作ってしまっていました。もちろん「チームのための自分の軸」でありその成果を求めることが前提ですが、その軸を改めて自分で捉え直した時にぱっと道が開けて、「これで良いかな…」と出来具合を周囲に委ねるのではなく、「チームのために自分がこれをするのが良い」と自信を持って言えるようになったのです。
これは自分のことに限らず、チームが不安定になった時も同じであると思います。最上級生の私たちは「2部昇格」「全進」という目標とスローガンを掲げて取り組んできた際に、あらゆる判断やルールは全てその軸に基づいていました。いっときの感情や状況に揺さぶられてしまいそうな時も、主将のメイ(眞尾瞳/商4)や副将のルイ(中島花/環境4)を中心とした同期が軸をぶらさなかったことで、ここまで来ることができました。
2つ目は、「良い部分を良い!と言うこと」です。
良くない状況の時は、つい反省点ばかりに目を向けがちで、良かった点を見直すことを忘れてしまいます。これは、自分が上手くいかない時によくあったことで、チームがなかなか上向きにならない時もチーム全体としてネガティブな視点を持ってしまう傾向にありました。ミスが多く雰囲気の悪い練習をしてしまったある日、何人かの後輩が「良くない練習だったけれど、全てが悪かったわけじゃない!」とチームを鼓舞してくれたことがありました。毎日の練習の積み重ねが結果に表れるからこそ、「良い」「悪い」をしっかりと区別して、良かったことも蓄積して自信に変えていくことがとても大事だと実感しました。
私はこの4年間を通じて、チームに良い貢献をするために、自分の自信をつける大切さとその方法を学んできました。これまで試合終了前のラストシュートを打てる自信がなかった私が、引退試合のラストシュートを決め切ることができたのは、大きな進歩だったと感じています。
さて、これまでの話を通じて後輩の皆に何を伝えたかったかというと、「自分の自信を大切にしてほしい」ということです。
チームスポーツをする私たちは、常に変化するチームでの存在意義を問いかけ続ける分、現状の自分を否定的にみることが多いと思います。ただ、皆には変わらない根からの良さがあり、そこにもっと自信を持って欲しい。そして、それを仲間同士で気づかせ合うことが出来るのが、チームスポーツの良さであると思います。
また、自信を持ってプレーすることは、自分を安定させ、最高のパフォーマンスを発揮することに繋がります。それはチームの責任を全うし、仲間を信じることでもあります。くさいことを言うようですが、5人しか立てないコートで自信を持ってプレーすることは、自分に期待してくれているスタッフや仲間の想いを信じることであり、極論仲間の自信を背負っていると言っても過言ではないと思います。
「チームのために自分の自信をつけてきた私」は、なんだか自分勝手で色々と矛盾している気もしますが、それをさせてもらえる恵まれた環境にあったことを改めて感謝するばかりです。
また、私が自信を持つことができた裏には、いつも同期・先輩・後輩沢山の仲間の存在がありました。いつも沢山声をかけてくれて、試合前に絶対に笑わせてくれて、時には厳しい言葉を素直に伝えてくれて。自分が支えられていたことを挙げると本当にキリがないですが、常に支えられていたからこそ、ここまで来ることができました。

引退ブログってこんな内容を書くものだっけ…と思いながらも、自分の話かつ恐らく当たり前な話ばかりしてきました。自信について豪語してきた私ですが、まだまだ未熟で身の引き締まる思いです。
ここで、少しにはなりますが、お世話になった皆様に感謝の気持ちを伝えます。
いつも私たちの活動を温かく見守って沢山ご支援してくださったOGの皆様、物凄くわがままな私たちの意見を常に尊重してくださったスタッフの皆様、私たちが「2部昇格」という高い目標を真っ直ぐ目指すために、常に高い目標を掲げバトンを繋いでくださった先輩方、前を向き続ける私たちのためにと、常に全員で進化し続けコート内外で引っ張ってくれた後輩の皆、チームの魅力を全力発信するために試合期も欠かさず投稿してくれていた広報班、いつも誰よりも応援して支えてくれた家族、本当にありがとうございました。

そして、「2部昇格」という言葉を口にし続け、どんな時も5人で手を取って乗り越えてきた同期、本当にありがとう!これからもよろしく。
4年間を思い返すと、2部昇格という目標を達成できなかったことが本当に悔しいですが、この想いは後輩に託したいと思います。先日の慶関戦で初勝利を掴み取った後輩の姿はとても輝かしくて、とても嬉しかったです。これからは、もっと強いチームを作っていく後輩たちを、私自身も少しでも支えていけるよう努めて参ります。
皆、自信を持って頑張って!精一杯愉しんで!

長々と拙い文章を失礼いたしました。最後までお付き合いいただいた皆様、これまで支えてくださった皆様、本当にありがとうございました。
次シーズンも慶應女子バスケ部の応援をよろしくお願いいたします!
4年間の記憶 -西理奈
2022年1月21日 18:48
慶應義塾大学法学部政治学科4年並びに体育会大学女子バスケットボール部の西理奈と申します。11月末に引退し、はや1ヶ月が経ちました。そして、現役の頃から恐れていた引退ブログの順番が回ってきました。自分の4年間をどのように綴ろうか、書き始めた今でもよくわかっていませんし、前回のブログで諸々を書き切ってしまいました。ですので、確実に拙い文章になります。最後までお付き合いいただけると幸いです。
4年間を綴るにあたって、私の感情ベースの話になるので、チームとは別軸のものだと捉えていただきたいです。
私の4年間は、無駄な劣等感と「どうにかなる」という根拠のない自信で全て説明ができます。というよりかは、劣等感しかなかったから、根拠のない自信がないとやっていけなかったと表現するほうが正確かもしれません。
私が、大学でバスケ部に入部しようと思った理由は、他の部員のように早慶戦に憧れてとか、自分を成長させたくてといった崇高な理由があったわけではありません。中学のときに1番下手くそで、ただそれが悔しかったからです。同じ理由で、高校も大学もバスケを続けました。下手くそだからです。「リバウンド以外ボールを触るな。」と言われ続け、それを引きずっていましたが、今考えるとそれは真理でした笑
そんな理由で入部し、1年生を過ごします。私のモチベーションは悔しさなのですが、大学でその悔しさになるものは、1年生の時の入れ替え戦でした。
ありがたいことに、1年生の頃から試合に絡むことができ、入れ替え戦も交代選手として経験しました。同期の2人がスタートとして活躍する中で、私は交代としてコートに立ち、何もできずにベンチに戻りました。無事入れ替え戦に勝利し、目標であった3部昇格を果たしチームが歓喜に包まれる中、私は自分のことしか考えられず、勝利を素直に喜ぶことができませんでした。コートで全く使い物にならなかった悔しさと、4年生がずっと望んできた勝利を素直に喜べない申し訳なさでいっぱいで、涙が止まりませんでした。試合に全く出られなかった中学時代より余裕で悔しかったです。側から見ると、大したことではないですが、私はこの悔しさを2度と味わいたくないと本気で思いました。チームと一緒に喜びたいと思いました。

だからこそ、2年生のリーグでスタートとして起用してもらったことは、自分の中ではすごく大きなことでした。ですが、やはり大事な場面で頼りなく、頑張りかたも分からず、たくさん迷惑をかけました。結局、自分のことでいっぱいいっぱいで、誰にも気を使えず、周りに助けられっぱなしで、周りに甘えっぱなしの、弱さしか見えない1年でした。
ここまでを読み返すとすごく私はネガティブな人間だなと思うのですが、私は窮地(?)に立つとなぜか急に余裕が出てきます。勉強していない教科の試験前に出てくる謎の自信に近い余裕です。おそらく開き直っているだけなのですが、2年生のシーズンが終わったあたりで突然「もう自分苦手なことしかないんだから、得意なことだけすれば良くね?」となり、できないことにフォーカスを置くことを辞めました。
もちろん、できないことをできるようになろうとする努力を辞めるわけではありません。ですが、「できることを誰よりもすれば、それはそれでいいんじゃないか」と開き直りました。今考えると、本当に無責任な考えで、自分に割と引いているのですが、個人的には自分の得意なことに目を向けるようになったのは、大きなターニングポイントだったのではないかと思います。

3年生のシーズンも至らない点ばかりでしたが、部に対する考え方や視野が変わった一年でした。今までの自分がどれだけ未熟で、どれだけ自己中心的だったかを改めて感じ、恥ずかしくなりました。
勝利のために、チームのために、4年生のために、何がベストなのか、たくさん考えました。そして、たくさん生意気なことを4年生に言いました。それでも、私たちを受け入れてくれて、信じてくれて、4年生の覚悟の大きさに圧倒されないように、結果を出すことに拘りました。先輩方の思いを知っていたからこそ、結果を求めました。4年生が信じてくれたから、初めて自信を持って勝利のために、自分はどうするのかを体現できた1年でした。目標達成した時に、チームの感情と自分の感情が同じで、私はこのチームに本当にいたんだなと、感じました。

「全進」のスローガンの下で、2部昇格を掲げ、最後のシーズンが始まりました。嫌というほどミーティングを繰り返しました。正直、4年生は死ぬほど長かったです。試合に出ることが怖かったし、大好きなはずのバスケをしたくない瞬間もたくさんありました。
でも、部員の誰かを思い浮かべると、頑張れない理由が分からないくらい、「全進」していました。それくらいみんなの熱量がすごくて、全員が頼もしかったです。だから、結果が残せなかったのは申し訳ないし、本当に悔しいです。
4年間を振り返り、1・2年生の頃は表に劣等感があり、それを埋め合わせるための投げやりで他人任せな持つべきでない自信に縋り付いていました。ですが、3・4年生の時の自信は、実際どうだったかは別として、自分でどうにかできるという、自分主体の自信だったと思います。その奥に劣等感があり、チームが勝つために自分がしないといけないという、自分を動かす力になっていました。考え方を変えられたのは、今まで関わってきてくださった方々がいたからです。本当にありがとうございます。
私は捻くれているので、信じるべき人を信じなかったり、頼るべき人に頼らなかったり、自分は1人で頑張らないといけない人だと思って、意地を張っていたり、そんなことばかりでした。だから、もっと周りを巻き込めたんじゃないかとか、もっと上手くできたんじゃないかとか、たくさんのたらればが出てきます。それがたくさんの後悔になるのが怖くて、引退してからは自分の引退試合のビデオも写真も見返していません。これは決して自分の4年間が満足じゃなかったわけでも、不満だったわけでもないです。むしろ、部活に入ってよかったとしか思わないし、本当に充実した4年間でした。
これは本当に人に恵まれたからだと思います。関わってくださった方々には、どれだけ感謝しても、感謝しきれないです。私は全く器用ではありません。その代わりに、脚力だけは誰にも負けたくないと思っていました。この不器用さを面白がってくれた、同期や先輩・後輩には感謝しかないです。ありがとうございました。
シーズンが始まる頃は「2部いけたらまじいけてね」など、調子に乗ったことを話していました。ですが、結果は2部には果てしなく遠い結果でした。
嬉しいことに「いいチームだった」と言っていただく機会が多くありました。ですが、結果を残せなかった事実は変わりません。どんなに良いチームだったと言われても、それ以上に結果が残せなかった悔しさが大きく、引退後に結局自分たちは何を残せたのかと考えることもありました。どんなにいいチームだったと言っていただいても、自分達の結果が悔しくて満足できない、負けず嫌いで結果に妥協のない同期が同期で本当によかったです。
何を考えても、結局は同期に出会えたことに落ち着くことに気付きました。同期への感謝は、たくさんあるのでまた今度直接言わせてください。
引退後に、多くの友人に言われて気付いたのですが、多分私はバスケと、バスケを好きな人が好きなのだと思います。先程下手くそだからとか色々書きましたが、結局はバスケが好きで部活に入ったのだと思います。私は、大学に入るまで人に頼ることが苦手でした。ですが、大学に入ってからは、本当にたくさんの人の優しさに甘え、たくさんの人に助けられ、4年間を乗り越えることができました。いつでも頼らせてくださる器の大きすぎる先輩方や、いつでも頼もしい同期、そして、だる絡みしても許してくれる後輩に出会えたことは、本当に人生の財産だと強く思います。経験した4つのチーム、どのチームもほんっとうに大好きでした。

支離滅裂な文章となりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。散々、弱音も愚痴も言いまくっていましたが、この4年間で経験した苦しさも悩みも、楽しかったことも、悔しかったことも全部財産です。1つ1つがあってこそ、今の自分がいます。
そして、周りの人たちがいなければ、乗り越えられなかったことばかりです。社会人スタッフの方々をはじめ、O B・O Gの方々、先輩方、部活を通し関わってくださった方々への感謝はどれだけしても、足りません。これからは、この気持ちをO Gとしてバスケットボール部に返していきたいと思います。本当にありがとうございました。
4年間を通じて –ビディンガー美亜
2022年1月19日 19:20
慶應義塾大学商学部4年ならびに体育会女子バスケットボール部のビディンガー美亜(CN:エマ)です。引退ブログというものが2年前に始まって以来、自分には何が書けるのか、何が残せるのかということを考え続けてきました。もうあっという間に自分の番になったと思うと感慨深いです。4年間の振り返りを自分なりに綴ってみたいと思います。
拙い文章にはなりますが、お付き合いいただけると幸いです。
4年間、私は人に支えてもらってばかりいました。4年間どの瞬間を振り返っても、誰かの言動に影響され、支えられてきました。
まず、大学受験を頑張れたのは、同じ地区で戦ってきた中等部バスケ部の人々への憧れがあり、慶應にいきたいという気持ちが強かったからでした。また、体育会に入ると決めたのも、練習を見学して全員が本気で取り組んでいる姿に魅了されただけでなく、当時1年生だった私に4年生の先輩が声をかけてくださり体育会の良さを説得してくださったからでした。中学高校と6年間怪我に悩まされたこともあり、マネージャーとして入部したのですが、やはりバスケがしたいと考えていたときに「バスケやりなよ」とずっと憧れてきた先輩や練習に来てくださった社会人の方々に声をかけていただき、入部して3ヶ月後にプレイヤーへ転向することを決心しました。
このようにして大学のバスケ生活が始まったのですが、始まってからも沢山の人の姿を見て多くのことを学んできました。苦しさを見せず自分のやるべきことを全うしチームを率いる先輩。怪我による長期離脱で複雑な想いを抱えながらもチームを第一に考えて様々な方面からチームに貢献する先輩。一番上手い人が一番努力している組織はおかしいと言い自主練に励む先輩。チームのためにと学年も立場も関係なく意見をぶつけ合う姿。いろんな姿を見て、「体育会とはこうあるべきなんだ」と学んだと同時に、〇〇さんはこうしていたから私もこう頑張る、と勇気づけられていました。
では、自分はどんな姿を先輩、後輩、同期に見せられていただろうか。
私はというと、4年間の中で、私が全体練習に混ざれたのは21ヶ月間でした。プレイヤーになり全体練習に2回参加したのち、完治8ヶ月の怪我をしました。復帰してから半年後になっても、「まだ足が不安定だから試合には出せない」と言われました。やっと怪我を気にせずプレーできると感じられた頃に肉離れを起こし、その上全体練習に復帰予定の前日に違う部分を骨折し、復帰が遠のいたこともありました。
「自分は何故こうなってしまうのだろう」「本当にプレイヤーになってよかったのだろうか?」と何度も悩みました。3年ぶりのスタッフとして入部したこともあって、自分がプレイヤーになった時点でチームに迷惑をかけているのに、プレーができない自分には価値があるのだろうか、と考えていました。
そんな私を救ってくれたのは、先輩方の姿、そして支え続けてくれた同期の存在、一緒にバスケがしたいと声をかけてくれる後輩の存在でした。プレーができなくてもプレイヤーとして貢献することができると示してくれた先輩方に感謝しています。コートの外から声をかけ続けること、プレイヤーとしてリハビリやトレーニングに専念すること。何をすることがチームのためになるのか、常に照らし合わせながら行動し続けるようになりました。後輩であった私が沢山意見しても耳を傾けてくださった先輩方には本当に感謝しています。

また、体育会であるということ自体も私を救ってくれていたと思います。どんなことがあろうとやるべきことは目標のために努力するだけ、という事実が、よそ見をせずに前を向けた理由だと思います。コートから離れ、皆からも自分が離れていく感覚が怖くても、やるしかない、と思わせてくれた環境、そして組織があったことが救いでした。
このようにして1年生から3年生の間は、前を向き続けることができました。間違っていると思ったものには正面からぶつかり、周りに助けてもらい、正しいと思えるものを模索し続けていました。
自分にとって偉大であった先輩方が引退し、とうとう自分たちの代に変わってすぐ、自分に異変を感じました。同期にも様子がおかしいと指摘され、3年の2月に病院に行くと、鬱病であると診断されました。新型コロナウイルスの影響で2月はオンラインでミーティングやトレーニングをしており、3月から対面での練習が再開されたのですが、自分がどうなっていくのか不安でした。人前では普通でいられると思い、練習も通常通り参加することで後輩には知られないだろうと思い、同期のサポートの中で参加していました。しかし上手くはいかず、練習中に自分に何か言われているのに聞こえない、頭が動かない、練習が怖いという状態で、練習中にパニックに陥ることもありました。薬を減らせるようになるまでの半年間は、朝起きて、ひとしきり泣いて落ち着いてから練習に向かう、という習慣がついていました。
こんな状態だったのにも関わらず、バスケをしていない自分が怖い、という自分本位な理由で続けていたのですがやはり周りには迷惑しかかけておらず、4年間で初めて部活を辞めようか悩みました。2021年度はチームとして思考するバスケを掲げていたこともあり、自分は頭が使えないのならここにいる資格はない、2部昇格という目標の邪魔になるだけだと思っていました。
しかし、そのままの自分でいいと言い続けてくれた同期の存在や、こんな形で終わらせたくない、先輩方のように私も何か残したい、という気持ちから留まることを決めました。そして、一年生の頃から試合に出続けている同期のように結果で責任を負うことはできないし、サポートしてくれている人が沢山いるからこそ、自分はただ愚直にプレイヤーとしての役割を全うしよう、バスケに本気で取り組んで本気で楽しむという人になろうと決心しました。

ここで、上記の疑問に戻ります。私は、どんな姿を見せられたのだろうか。どんな役割を果たせたのだろうか。果たして1から3年生のうちでどのくらい成長して、最後4年生として意地を見せられたのだろうか。
どうだったかはわかりませんが、何かポジティブな影響を周りに与えられていたらと思うばかりです。
ここまでずっと自分自身の話をしてきました。差し出がましいですが、後輩に伝えたいことが二点あります。
まず自分がもった感情を大事にし、それを周りに共有してください。以前三年生とのミーティングで「極論勝つためには私たちの感情は邪魔で、やるしかない」という話をしました。体育会である以上結果が全てなので、それは正しいと思っています。しかし、いろんな感情がモチベーションになるのも事実です。嬉しさ、悔しさ、怒り、憧れ、絶望、焦り、期待、後悔。挙げたらきりがないですが、そういう感情がエネルギーになると思います。感情やエネルギーは周りに伝播するからこそ、ポジティブな感情を共有することが大事であると同時に、いかにしてネガティブな感情を消化させるか、それを前向きなエネルギーに変換させていけるかが大事だと思っています。自分の感情を押し殺すことなくきちんと受け入れて、エネルギーにしていって欲しいと思います。そして、責任、辛さ、悔しさなどを、みんなで背負うことができるのがチームの良いところだと思います。例えば、怪我に苦しんだ経験を持つ人はチームに沢山います。練習中コートの外で自分を惨めに感じながらするリハビリよりも、コートを走り回るきついメニューをする方が何倍もラクで楽しいことを知っている人が何人もいます。苦しさを共有することで、前を向けるようになったりと救われることがあると思います。そのために、周りに共有することをして欲しいと思います。
そして、チームを愛してください。愛すだなんて大袈裟な、と思うかもしれませんが、それがチームが強くなる道だと思います。いろんなモチベーションがあっていい、という話を何度もしてきましたが、「チームのために」というモチベーションが一番強いと思っています。「チームのために」、努力し続け、周りに声をかけ続け、正しいことを褒め合い、間違っていることを指摘し合い、鼓舞し合い、行動し続ける。自分が成長するということは勿論結果的にチームのためではありますが、何か行動するときの理由が「自分が成長するため」ではなく「チームのために自分が成長するため」であって欲しいと思います。そうすることで全員が逃げることなく同じ方向をむき、良いチームを形成していけると思います。「チームのために」を素直に思えないとき、自分もしくは組織が間違っています。そういう時は、勇気をもって周りに伝え、正面から向き合って欲しいと思います。
偉そうに書いてしまいましたが、私が4年間を通じて感じてきたことです。2021年度、2部昇格という目標は果たせなかったけれど、そのために何が必要なのかは見えてきたと思います。そして、リーグ戦を通してどんどん成長していくみんなをすごく誇りに感じていました。今年得たものと悔しさをしっかり次に繋げ、みんなで声を掛け合い、支え合い、信頼しあって強くなっていくチームを目指していって欲しいと思います。

最後にはなりますが、ここで感謝を綴らせてください。まず、言葉や行動で、多くのことを教えてくださった先輩方、窮屈に感じていたかもしれないけど4年生を信じてついてきてくれ、サポートしてくれた後輩たちのおかげでここまで本気でバスケに取り組めていたと思います。
また、沢山の時間を費やしてくださった社会人スタッフの皆様、OGOBの皆様本当にありがとうございました。いつも期待の言葉をかけてくださったことが、私のモチベーションになっていました。特に伊藤先生には感謝してもしきれません。私とコートの外で一緒にトレーニングしてくださった時間や、プレーのことチームのことを話していた時間がなければ、ここまで頑張ることはできなかったと思います。自分にとって本当に大切な時間でした。大変お世話になりました。
私が苦しいときに話を聞いてくれて、外に連れ出してくれたり、いつでも応援してくれた友人たち、大切な人たち、本当にありがとう。
そして最後に、同期のみんな。私がプレイヤーになりたがった理由は、同期のみんなと一緒にバスケがしたいと思ったのが大きくて、それが果たせて本当に嬉しかった。どんな時でも、励まし合って、悪いことはきちんと話し合って指摘しあって、本気でぶつかって、4年間を過ごしてきた。4年間チームのためということを掲げ続けられたのも同期のおかげだし、何より同期みんなのおかげで頑張り続けることができたと思う。どんな時でも踏ん張って、チームのために体現し続ける同期四人ともが、本当に誇りで、大好きです。書ききれないので、この辺りにしておきます。
長くなってしまいましたが、慶應義塾体育会に携わり、バスケを本気で取り組める環境にいられて幸せでした。本当に人に支えてもらってばかりで、濃い4年間でした。
これで14年間のバスケ人生は終わりますが、今後はOGとしてチームをサポートする立場になりたいと思います。
今まで関わってきた皆様、応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。
今後とも、女子バスケットボール部をよろしくお願いいたします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
真価 -梅田香(主将)
2021年1月28日 17:00
慶應義塾大学環境情報学部4年ならびに体育会大学女子バスケットボール部の梅田香(CN:ソラ)と申します。どうぞ宜しくお願い致します。
引退してから現役時代を振り返ることを避けてきました。実のところ、それくらい燃え尽きてしまったというのが本音です。
昨年は応援してくださる皆様のお顔を拝見する機会もなく、主将を務めた梅田香がどんな人間なのかご存知ない方も多いと思います。この機会に自分について少しお話させて頂ければと思います。
<バスケに出会うまで>
3歳の頃から週末は親にテニスを教えて貰うような幼少期でした。通っていたクラブチームでは当時全日本優勝が数人、関西上位ばかりで必死に追いつこうとする日々でした。その中でも慶應庭球部のエースである佐藤南帆選手が印象に残っています。その環境に身を置き、「好き」と「体現できる」は違うことを痛感します。
慶應NY学院に入学し、中学3年生の頃テニスコートでコーチに誘われバスケットボールを始めました。そこでサエさん(豊村沙恵・H31年卒)、ナミ(小福川莉奈・法法4)に出会います。当時リバウンドの意味すら知らなかった私は戸惑ってばかりいましたが、サエさんが練習外の時間にも自主練習に付き合ってくれました。
その後3年間同じクラスだったナミとともにダブルキャプテンとしてチームを引っ張るようになります。初めてチームスポーツの壁にぶつかり「全員が同じベクトルでチームの夢に向かって全力を尽くせる集団」を作るにはどうすればいいのか模索する日々でした。悔しい結果で引退を迎え、次こそは、絶対にチームの夢を叶えたいと思いました。何よりも自分が追い求めてきたチーム像が力量差のある相手であろうとも勝てる集団であるという瞬間を目の当たりにしたかったのです。
今思うと、憧れていたサエさん、そして悔しい瞬間を共に味わったナミ、ルイ(中島花・環境3)、リョク(井手友美・理工2)とまた大学というステージで共に戦えたこと、リベンジできたことが本当に奇跡であり、幸せでした。

<大学に入ってから>
チームにおける自分の存在意義を探し続け3年が経ち、ラストイヤーを迎えました。引退前日に同期から「この4年間にも必ず終わる瞬間が来るんだなっていう不思議な気持ちでいる」と言われたときに心から共感できる程、もがき続けた日々でした。主将になってからの話は正直まだ心に留めておきたい気持ちが強いですが、同期も引退ブログを書いていると思うので自分なりに感じたことを書きたいと思います。
主将になり先輩方が背負ってきた重圧の重みを初めて知りました。
当初は自分には務まるとは思えませんでした。1年生の時に降格し、その時の4年生の姿を忘れることができなかったからです。それは、“結果に対する責任”について深く考えさせられた出来事でした。決して自分たちの代だけで完結する訳ではなく、それよりも前から先輩方が繫げてきてくれたものを最高の形で後輩たちに渡すことが使命だと考えていました。物語に例えるとただの1ページにしかすぎません。されど1ページです。
その1ページの初めに「覚悟」というスローガンを掲げ、目標である「3部1・2位リーグ進出」に向けて全力で駆け抜けた1年間だったと思います。
私にとっては、“チームが勝つために最善の選択をし続けること”、これが覚悟でした。
そして“全員で戦う”、これこそが私たち最上級生一人ひとりが4年間をかけて求めてきた共通項でした。

私は典型的なリーダーとか背中で引っ張るとかそういう気質ではないです。チームの構成や、自分の個性=キャプテンシーをどう生かすかを考えた結果、飾らずありのままでいることで、皆と同じ目線で話し合えたしフラットなチーム作りができたと思います。その中でもたくさん弱みを見せてしまったと思います。
異例のシーズンとなった2020年。リーグがあったら間に合うのだろうか、なくなったら何も残せずに終わってしまうのかという不安。葛藤や不安が小さいものから大きいものまで積もり積もって、何が辛いとか具体的に言える状態ではなかったです。明日ミスをしてしまったらどうしよう、負けたらどうしよう、感染者が出たらどうしよう、緊張して寝られない日々が続きました。主将に求める理想は人によって異なっていて、どこに応えればいいか分からないこともありました。自分の発する言葉が頭から次々と抜けて、1秒前に言った言葉も分からず人前で話すことが恐怖になった時もありました。チームの前では泣かないと決めていたので、多摩川あたりから電車の中で涙が止まらなくなった毎日も懐かしいです。
でも同期も後輩も同じ不安、緊張感を味わっていたのも知っています。私だけではありません。全員が本気でした。後輩に手紙を書き、同期含め一人ひとりを振り返った時に”本当によく頑張ったね”と心から思いました。上から目線で他人行儀の言葉ですが、本当に全員が壁にぶつかりそれを乗り越えて成長していました。チームといえど“個”が集まった集団です。チームを誰よりも知るには個を知る必要があると思っていました。敢えて知ろうと思わなくとも自然と知りたいと思える存在でした。一人ひとりと向き合って、それぞれの葛藤の先に「チームの為に」があったこと、嬉しかったです。

そして、チームメイトは私という個にも向き合ってくれました。立場関係なく自分に指摘をし続けてくれました。手をさしのべてくれて、一緒に考えてくれる同期もいました。一人じゃないなって思うことができた瞬間でもあります。しんどくても明るく前向きな仲間がいて気づけば笑っていました。本当にありがとう。
思えば仲間とぶつかることもありました。一つの方向から物事を見て、正解を決め付けていいのか?自分が正解だと思ったこと、それが相手からしたら間違っていることがあります。私は、自分の正義だけで決断を下すことが怖いと感じてしまう性格です。それを優柔不断だという人もいます。しかし、相手のことを思うほど正義を押し付けてしまい、思う気持ちが強くなるほど相手を否定してしまうことがありました。そうやって人は対立していくこと、けれど相手を認めて話し合うと奥深いところに愛があることを学びました。そういう時こそ単語だけで事象を片付けるべきではないと思います。
「価値観」「一体感」「チーム」
それはそもそも何なのか、答えは複数あるし定義も人によって様々です。けれど考え続けることで型が形成され、共有することで擦り合わせることができると思います。何も解決されない様な“価値観の違い”なんて言葉に逃げたくないなと思います。そんな想いが私自身簡潔に話すことが苦手な理由の一つでもあります。
私を支えてくれる言葉がありました。
「勝負の世界で何よりも大きな武器は“不幸”ということである。これは“何が何でも勝たねばならぬ”というエネルギーを生み出す力になる。」
高校時代の恩師から試合前にもらった手紙の中の言葉です。特にラストイヤーはこの言葉に救われた瞬間が多くあります。
日常を奪われ、練習時間を奪われ、行動に制限がかかり、何度もつまずきました。上位校とは違い、全国経験のある選手も僅かです。今年は人数制限があり、試合会場に入れない仲間もいました。挙げればキリがないですが、いかにこの不幸や不自由であるという気持ちを原動力に変えるかが勝つために必要で、結果を残すためにはチャンスであることに立ち返らせてくれました。
そして、“格上に勝つための姿勢”それは何なのか。その先生は、常に怖いと思う方へ進めと教えてくれます。自粛明けから引退まで6ヶ月しか残っていない中、結果を出すために必要なことはハイリスクハイリターンの原則でした。格上に勝つためには例えリスクがあってもワンチャンスを取りに行く姿勢が大事だと思います。そしてリスクの方に転がったとしても、自分達次第でいくらでも少しずつリターンに変えられる自信もありました。ためらっている間は行動が後手後手になり何も変えることができず、チームは疎か、何も守れないなと思っていました。その色んなフィールドで起こったワンチャンスを物にして積み重ねていったからこそ、残せたものがあると思います。

リーグ戦では目標達成することができました。誰に何を言われても3部ブロックの2位という結果を残せたことを誇りに思っています。結果だけを見ると輝かしいですが、その背景には部員の泥臭くチームの為を想い努力する毎日、不安や葛藤と隣り合わせだった日々があります。
知って頂きたいのは、主将だけ、4年生だけ、スタメンだけ、が頑張った訳ではありません。「覚悟」とは?「全員で戦う」とは?と問いかけ続けましたが。各々が考え実行してくれたからこそ武器にすることができました。誰か一人でも違う方を向いていたら結果は違ったと思います。名脇役とか、陰の立役者とか、縁の下の力持ちとかが賞賛される世の中ですけど、このチームにはそんな人いません。一人ひとりが主役を立派に務めていました。自分なんて…って思うチームメイトがもしかしたらいるかもしれません。チームは、私は、あなたを常に必要としていました。
そしてこのチームにいる限りは、一人じゃないし仲間がいました。テニスをしていた頃、コートに一人きりで最後まで戦わないといけない、自分で勝たないと試合の出場権すら得られませんでした。それが、今は仲間がいる。自分ができないことをしてくれる。自分ができることをしてあげられる。これまでは自分の為に闘っては諦めていましたが、仲間の為に闘い続けられる。シンプルですが、本当に素敵なことだなと自身のスポーツキャリアを通して感じています。
これまで私は、他人を信じることがあまりできない性格でした。人の懐に飛び込むのは得意ですが自分を晒すことは苦手です。でもありのままの自分を、弱い自分を受け容れてくれる23人の信頼できる仲間に出会えました。私を昔からよく知っている友達に驚かれますが“大好きなチーム”そんな言葉を発する日が来るなんて、自分でも思ったことありませんでした。主将として“誰よりもチームを愛する”と言ってきましたが、チームメイトからの愛に救われた1年間でした。苦しかった4年間を乗り越えた先にあった最高の景色は忘れられない思い出だなと思います。全て報われたし幸せです。

<最後に>
先輩方にお伝えしたいことがあります。1年生の頃から無力で何もできなかった私たちでしたが、それぞれの代で作るチームにどうやったら貢献できるか考えてきました。それが空回った時、何もできないどころか迷惑かけてしまった時、それでも私たちと向き合ってくださってありがとうございました。ラストイヤーは先輩方が残してくださったもの、そこから学んだことを結果に繋げることができました。そしてOG会を始めとする、私たち4年生を応援してくださった方々に感謝の気持ちでいっぱいです。悩んでいた時は寄り添って話を聞いてくださりました。今年はお会いする機会が少なかった分、励ましのメールもいただき非常に勇気づけられていました。本当に皆様の支えがあってこのような一年間を乗り越えることができました。本当にありがとうございました。
4年間スタッフの方々にも大変ご迷惑をおかけしました。たくさんぶつかって泣きじゃくりました。生意気なことを言いすぎてしまったこともありました。それでも理解しようとしてくださり、最後まで私たちと共に戦ってくださりました。常に鼓舞し続けてくださり、辛い時はこまめに連絡をくださりました。一緒にチームを運営していく上でこの1年大変なことだらけだったのは学生だけではありません。スタッフの皆様も含めて愛に溢れていたチームだなと思います。本当にありがとうございました。
同期への想いはこの場では書ききれません。ひとつ伝えるなら、早慶戦を見てくれた小学校の先生が「結果の輝かしさではなく、目指すものの純粋さこそが生きる価値を決定づけるのである」という言葉を送ってくれました。4年間部に所属していようが、抜けている期間があろうが、数ヶ月しかいなかろうが、各々もがいてきた学生時代の4年間は価値のある生き方だったんだなと今なら思えます。
問題児と評され、常に感じてきた屈辱の中で必死に生き抜いた4年間。
諦めの悪すぎる愛おしい同期を誇りに思います。色々とごめん、ありがとう。
チーム2020で4年生が発信し続けてきたこと、それが伝わったかどうかは後輩たちが作っていくチームが答えを出してくれることだと思います。何か少しでも財産になってくれれば嬉しいです。そしてまだまだ後輩たちと共に戦っていきたいなと思います。スポーツにおいて才能と努力の比率は7:3と言われています。これをどう捉えるかは人それぞれですが、3割もあると思うことができれば取り組み方次第で、強くなれます。いくらでも結果を変えられます。OGという立場から、その3割に賭けて同志である後輩達の力になれるよう精進してまいります。
4年間、ありがとうございました。
私の4年間 -白藤優果(副将)
2021年1月26日 17:00
慶應義塾大学理工学部4年ならびに体育会女子バスケットボール部に所属しております、白藤優果(CN:ヨウ)と申します。
引退から1ヶ月が経ち、部活の思い出に浸るのをやめ、卒論に本腰を入れなければと心を入れ替えているところです。
この引退ブログに何を書こうかとても悩みましたが、自分が4年間考え続けてきたことについて書きたいと思います。拙い文章ですが、最後までお付き合い頂けたら嬉しく思います。
「私は何のためにこの部活に所属しているのか、自分の存在意義は何か」
体育会女子バスケットボール部に入部してからずっと自分に問い続けてきました。

1年生。試合はおろか、対人練習にも参加できませんでした。練習の準備や片付け、ビデオ撮りなど仕事でしかチームを支えることが出来ませんでした。
この年チームは4部に降格しました。当時の4年生の皆さんが「1年生は一生懸命チームのために仕事をしてくれたのに、勝利で恩返しできなくてごめん」と私たちに謝ってくださいました。しかし、1年生の仕事は誰でも全うすべき学年としての役割でしかなく、自分がいちプレーヤーとして何一つチームに貢献できていないのに、何のために私は部に所属してるのか、悔しさと申し訳なさがこみ上げてきました。
2年生。対人練習に参加させてもらえる時間は増えたものの、スタメンの選手には歯が立たず、試合前の良い練習相手になることもできませんでした。当然、リーグ戦の大事な試合にコートに立ってチームの勝利に貢献することもできませんでした。
後輩である1年生はチームの仕事をこなし、かつ試合にも出場して勝利に貢献している、それなのに、チームの仕事という学年としての役割もなくなった私がチームにいる意味って何だろう、プレーヤーとして何のために部にいるんだろう、去年から全く成長していない自分に苛立ちました。
この年チームは3部に昇格することが出来ました。当時の4年生の皆さんは泣いて喜んでいました。しかし、私は、自分がコートに立って貢献できなかった不甲斐なさに泣いてしまいました。そして、先輩と同じ喜びの涙を流せていない自分に涙を止めることが出来ませんでした。試合に出ているプレーヤーの背負ってるものを共有できない、チームが向いている方向に私は向いていない。こんな私がチームにいていいのだろうか、そう思いました。
3年生。 「自分のバスケについてとことん考えられる最後の学年、プレーが一番伸びる学年」と監督に言われてこの学年をスタートしました。ここで成長して、プレーヤーとしてコートに立ってチームに貢献したい、そう思い、朝一番にシューティングへ行き、OFFには同期と共に、自主練にも励みました。
夏合宿の練習で初めてスタメンの相手役として最後までプレーできた時の喜びは今でも忘れられません。リーグ戦で、コート上でチームの勝利に貢献することはできなかったものの、試合前練習で仮想敵としてスタメンにいい影響を与えることでチームの勝ちに貢献しようと必死に練習に励みました。
当時の4年生が「ヨウのプレーがあったから相手にも対応することができた」と引退後にくれた手紙に書いてくださり、試合に出られずとも自分がプレーヤーとして部にどう貢献すべきか少しわかったような気がしました。そしてなにより、「ヨウがいたから頑張れた」という先輩からの手紙の言葉によって、自分がいることで全員が前だけを見て突き進むことができる、チームが一丸となれる源になりたいと、3年間自分が問い続けてきた自らの存在意義が少しわかったと思いました。

4年生。こんな1年になるとは全く予想していませんでした。
本当にリーグ戦はあるのか。先が見えない中で私たち4年は何のために何を目標に練習するのか、4年として、一人のプレーヤとして自分はチームに何を残して引退していくのか。4年間で一番自分の存在意義を考えたと思います。
その中でたどり着いたのは、今年のスローガンである「覚悟」を一番にチームにみせるということです。この「覚悟」というスローガンは、シーズンが始まる前の11月、主力メンバーがほとんどいない私たちがチームをどう引っ張っていくのか、何度も何度も同期と話し合って決めました。
試合に出場できないからという甘えを断ち、最上級生としての背中を見せチームを引っ張っていく、4年の覚悟。一人一人が主体的に考え行動し、学年や立場に関係なく全員が同じ熱量で試合や練習に取り組むというチーム全員の覚悟。そしてそんな覚悟を全員が持てるチームをつくっていくという自分自身の覚悟。
この3年間、悔しい、苦しいと、時にはチームとは違う方向を向いてしまうこともあった。様々な立場を経験したからこそ、このすべての「覚悟」を持ってどんな状況になろうともあきらめてはいけない、それをチームに見せることが私がこのチームに所属した意味になると思いました。

監督、スタッフ、OGの方々、学連の方々、全ての方々のご尽力により、世の中ではたくさんの試合が中止になっている中で私達はリーグ戦も、順位決定戦も、六大学戦も、早慶戦も行うことが出来ました。
そんな中で、私はチームが一丸となれる源になるという目標を達成できたか、覚悟を持ち続け、体現し、チームを引っ張り続けられたか、自分がチームにいた意味を残すことが出来たか、引退した今でも考えます。チームの皆に、苦しいことや理不尽なことが沢山あったけれど、このチームで戦えてよかった、今シーズン頑張ってよかったと少しでも思ってもらえたら。私がチームにいた意味が少しでもあったのではないかなと思います。
どんな時でも応援してくださったOGの方々、ずっとあなたたちの味方だからと背中を押し続けてくださった監督やスタッフの方々、強い覚悟を持ち目標達成に導いてくれた後輩たち、そして何よりどんなつらいときでも一緒に戦い続けてくれた同期に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

「自分の存在意義」を見つけ、全うすることは簡単なことではないと4年間を通じて強く実感しました。また、チームが強くなり成長する上で個々が存在意義を考えること、そして考えることを決してやめてはならないことも学びました。私がバスケットボールに出会わなければ、この体育会女子バスケットボール部に入部しなければ、「自分の存在意義」について考えることはなかったと思います。
本当にバスケットボールに出会えてよかった、この部活に入ってよかったと心から思います。4年間体育会女子バスケットボール部で苦しんだこと悩んだこと、そして笑ったこと嬉しかったことすべてが私の財産です。これからも成長できるよう自分と向き合い、精進していきたいと思います。そして、OGとしてバスケットボール部に貢献したいと思います。
長い文章でしたが、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
4年間の感謝を -足立はな(主務)
2021年1月24日 17:00
慶應義塾大学法学部法律学科4年ならびに体育会女子バスケットボール部の足立はな(CN:ノア)です。この度は、このような場を設けて頂いたので、これまでの4年間の体育会生活を振り返らせて頂こうと思います。
もともと、私が体育会という環境でバスケットボールをしようと決心した大きな理由は2つありました。1つは、中学1年生から続けてきたにもかかわらず高校3年生の1年を通してやっとバスケットボールの楽しさに気づけたため、まだまだこれからもこのスポーツを楽しみたいと思ったから。もう1つは、どうせやるのであれば全員が全力で、本気でバスケットと向き合っている環境に身を置きたかったからです。この2つの理由をもって、実はかなり軽い気持ちで入部を決心したため、4年間を通してこれほど沢山の経験をし、沢山のものを得られるとは、当時思ってもいませんでした。
入部当初は、「バスケットボールの楽しさ」など感じている余裕はなく、不安や緊張、挫折など、ネガティブな感情だらけでした。優しくて偉大な先輩方を前に、プレーでもそれ以外の面でも何もできない自分が情けなく、常に悔しく思っていました。そして、4年間を終えた今振り返ると、この時の「情けなさ」「悔しさ」は、「チームの一員として」の私が感じていたことではなく、私個人としての感情であったなと感じます。つまり、「チームや先輩、同期のために何もできない自分」を情けなく思っていたのではなく、「意気揚々と体育会に入部したにもかかわらず全く活躍できない自分」に絶望していただけであったように思います。
2年生になって、初めての後輩ができた私は、後輩にとって支えになれるような先輩になろうと意気込んでいました。不安だらけだった1年生の頃の私にとって、大きな支えとなっていたのが1つ上の先輩方の存在だったからです。いつでも一番近くで見守ってくださり、居場所を作ってくださいました。だからこそ、私は自分もそのような2年生になりたいと強く思い、後輩たちと向き合おうとしました。しかし、1つ上の先輩方が当たり前のようにしてくださっていた数々の優しい気配りや行動は、実はすごくすごく偉大なことで、いざ自分が同じことをしようと思っても、なかなか思う通りにはいきませんでした。自分のことでいっぱいいっぱいになってしまい、「後輩の居場所を作る」なんて大層なことは全くできず、改めて、1つ上の先輩方の偉大さを実感した1年となりました。それと同時に、そんな頼りない先輩を時に頼り、そしてずっと支え続けてくれた1つ下の5人には本当に感謝と敬意しかありません。

3年生の1年間は、私にとってとてつもなく大切な時間でした。一番色々なことを考え、自分自身が変わったシーズンであったように思います。上級生として、ようやく自分のことだけでなくチームのことを考えられるようになりました。「自分ができるだけ長くコートに立ちたい」「バスケをしたい」ではなく「チームとして勝ちたい」「そのためにどのような形でもいいから何か自分にできることはないか」と無意識に考えるようになっていました。
私の考え方がこのように大きく変わったのは、私自身の成長ではなく、チームメイトの存在ゆえだと感じています。常に「チームのために」という視点でチームを作り、後輩一人一人と接してくださった1つ上の先輩方と、下級生ながら強い責任感を持ってコートに立ちチームの勝利に貢献してくれる後輩、コートの外から本気でチームメイトに声援を送り、仕事という面からチームを支えてくれる後輩、そして何より、立場は色々でしたがそれぞれの立場で最善を尽くそうともがきながら、お互いの立場を尊重しようと関わり合った同期の存在が本当に偉大でした。
この時に、ようやくこれまでの自分の身勝手さと視野の狭さに気が付きました。後になって思えば、自分が1年生だった頃、2年生だった頃の4年生も、間違いなく「チームのために」という視点で、沢山の想いや感情を犠牲にしてチームを作り、引っ張って下さっていました。そんなことにも気がつけず、身勝手に自分のことしか考えられていなかった過去の自分が恥ずかしくなり、もう今からその先輩方に直接何かをお返しすることはできないけれど、チームに沢山迷惑を掛けてきた分、これからは誰よりも「チームのために」行動しようと強く思いました。
そして、4年生になるにあたり、これまでの3年間を改めて振り返りました。自分一人で振り返り、そして同期と一緒にも振り返りました。そこで辿り着いた1つの答えが「チームの全員ができるだけ我慢せずに前向きな気持ちで居られるチームしたい」という自分の想いでした。
20人以上が集まって1つの目標に向かって走る以上、全員の考えや希望を全て等しく尊重することはおそらく現実的に不可能です。それでも、誰かが自分を押し殺して、「あと少しの辛抱だ」と思いながらこのシーズンを過ごすようなことがあって欲しくないと強く思いました。実際にシーズンが終わった今、この目標がどれだけ達成できたのか、正直私だけでは判断できませんが、チームの全員が、何か少しでも、どこか1要素に対してでも、このチームに愛を持てていて、そしてこの1年を通して、何か次に繋げられる自分の役割のようなものを見つけられていたらいいなと感じています。

最後の1年間は、誰も予想していなかった形になりました。練習ができない。試合がなくなる。直接会うことすらできない。なんとか練習を再開できても、朝の自主練習やウェイトトレーニング、部室で皆とダラダラする時間など、これまでは何とも思っていなかった当たり前の時間が全て消えてしまったことが悲しくて、悲観的になり、これまでの3年間は何だったのかと思った日もありました。それでも、体育館に行けば、いつも変わらず明るい同期と後輩がいて、その存在に幾度となく救われました。皆に会うと、毎日練習をできることの有り難みを強く感じ、1日1日を大切にしなくてはいけないと再認識することができました。
そして、無事に「3部1,2位リーグ進出」という目標を達成できたことが、私にとって本当に大きな財産となりました。もちろん、結果が全てではなく、この結果に至るまで、大好きな23人と奔走した全ての時間が私にとってかけがえのない大切なものですが、その最高な時間にさらに結果を伴わせることができたということが本当に幸せです。
また、この1年間は、主務とプレーヤーの兼任という形でチームに関わらせていただきました。それ故に悩んだことや大変だったことも数え切れないほどありました。それでも、最後まで兼任を辞めずやりきることができたのは、チーム内外問わず支えてくださった沢山の方々のおかげです。あと1時間でもいいから練習をさせて欲しいと大学に無理なお願いをし、どうにかあと1名会場に入れさせてもらえないかと学連に無理を言ったりと、沢山の方々に沢山のわがままを言ってしまいました。練習時間や練習場所を度々変更してチームに迷惑をかけ、本当に色々な方にご迷惑をお掛けしながらも、色々な方に支えられて、何とか1年間を終えることができました。この場をお借りして、支えてくださった全ての方に改めて御礼申し上げます。

こうして振り返っていると、いかに「人」に恵まれていたかを実感します。特に最後の1年間は、前述の通り本当に沢山の方の存在に感謝した年となりました。既に長々と書かせていただいておりますが、あと少しだけ、その方々への感謝を書かせて頂こうと思います。
OB・OGの皆様。今年度は、なかなか直接お会いしてお話することができず非常に残念でした。それでも、SNSを通しての激励のお言葉や、個別に頂いたメッセージ、そしてOGの方々にお送りさせて頂いた試合動画の再生回数がどんどん増えている様子などを通して、本当に沢山の方々に支えられ、応援して頂いているのだと実感することができ、大変心強く感じておりました。個人的に、主務という立場を通して、沢山のOB・OGの方とお話することができたことも大変ありがたく、そして嬉しく感じております。本当にありがとうございました。
社会人スタッフの皆様。最後の1年間だけでなく、これまで4年間、本当に沢山のわがままを言ってしまい申し訳ございませんでした。そんな私たちに対して、時には厳しくご指導下さり、そしていつも温かく支えてくださった皆様のおかげで、これほどまでに充実した4年間を過ごすことができました。特に、全てがイレギュラーであったこの1年間は、本当に皆様の支えなしではやりきることができませんでした。いつでも「現役がバスケをできるように」と考え、一番近くでともに歩んでくださり、本当にありがとうございました。いつも大変心強く感じておりました。
これまでチームを作ってくださった先輩方。自分が4年生になり、改めて先輩方の偉大さを痛感致しました。そして、本当に数え切れないほどご迷惑をおかけしたことに対する申し訳なさも改めて強く感じました。まずは、ここまでチームを繋げてくださり、そして沢山の大切な想いや考え方を残してくださり、本当にありがとうございました。先輩方から教えていただいたことを私も少しでも後輩に繋げられていたらいいなと思っております。

3年生。本当にしっかりしていて、あたたかいみんなに何度も何度も進むべき方向を教えてもらいました。みんなとは、立場や考え方など、異なる部分がたくさんあって、だからこそいつも教えてもらうことばかりで、みんながいなかったら今頃どうなっていたのかなと怖くなります。本当に頼りにしていました。いつでも嘘なくまっすぐぶつかってきてくれるみんなが本当に大好きです。次の1年間、見ていて悔しくなるくらい、羨ましくなるくらい、最高のチームを作って欲しいなと思います。誰よりも応援しています。
2年生。ただでさえ人数が多いのにその全員が元気で明るいから、本当にいつもすごいパワーを放っていました。そんなみんなの作ってくれる空気が、今年のチームの中心に流れていたからこそ、こんなに楽しいチームになったように思います。そして、明るいだけではなくそれぞれがチームのことを本当に沢山考えていて、沢山悩んで自分の役割を見つけ、果たそうとするみんなの姿にいつも本当に刺激を受けていました。それと同時に、そんなみんなが本当に大好きでした。一人一人にも伝えた通り、みんながチームに与えている影響はみんなの想像以上に大きいです。その影響力で最上級生を支え、次のチームを一緒に作って行ってほしいです。
1年生。一緒に過ごした時間が1年間にも満たないとは思えないくらい、本当に大好きです。きっと辛い想いも沢山させてしまったと思いますが、何一つ不満を言わずにチームを影で支えてくれて、本当にありがとう。そして、チームに対して沢山の発信をしてくれることがすごく嬉しかったと同時に、本当に頼りにしていました。もっともっと一緒に色々な経験をしたかったなと悲しくも思いますが、引退時期が例年より1か月伸びたおかげで、みんなと少しでも長く一緒にいられて本当に幸せでした。みんながこれからどんな先輩になっていくのかわくわくしています。ずっとずっと応援しています。
そして同期。この4年間を通して、一番怒った相手も、一番助けてくれた相手も、一番感謝したい相手も、一番支えたいと思った相手も、一番一緒に泣いた相手も、一番一緒に笑った相手も全部みんなです。そう思うと変な関係だなと思います。手放しで「大好き!」とか「ありがとう!」とは言えないなと思ってしまいます。だからもう何を言ってもしっくりこないような気がしますが、強いて言うなら、5人と「覚悟」を持って「3部1,2位リーグ進出」を達成できて、本当に本当に幸せです。最後の1年間は、嫌になるくらいみんなと向き合い、嫌になるくらい沢山話したけれど、すでにその時間が懐かしくて恋しいです。最高に充実した4年間を、本当にありがとう。

チーム2020、本当に大好きです。本当にあたたかくて愉快で頼りになる、大好きな23人とともに、バスケットボールと、そしてお互いと本気で向き合い走り続けることができたこの1年間は私の生涯の財産です。今後も慶應義塾体育会女子バスケットボール部が、関わる人全てにとって大切なあたたかい場所としてあり続け、そしてどんどん上へ進んでいけるよう、今後はOGという立場からチームのためにできることを考え続けて参ります。そして、これまで支えてくださった全ての皆様に、改めまして心より御礼申し上げます。
最後まで読んで頂きまして、誠にありがとうございました。