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ラストブログ 山﨑純
2019年12月22日 20:00| Comment : 0
『感謝の手紙』

はじめに
2019年も残りわずかとなりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
慶應義塾大学総合政策学部4年の山﨑純と申します。
私は先月にバスケ部を引退したことで、8歳の頃から始まった14年間のバスケ漬けの日々が終わり、久しぶりにボーッとした時間を過ごしています。
そんな中、ついにラストブログの順番が回ってきてしまいました、、笑。
何について書こうか考え、大学バスケ部での4年間を振り返ってみたところ、非常に多くの方々に支えられた4年間でしたので、感謝の気持ちをブログを通して「手紙形式」で伝えさせていただくことにしました。
拙い文章で大変恐縮ですが、最後まで読んでいただけますと幸いです。
先輩方へ
まずは、現役が被っている先輩方。
入部当初から生意気な後輩で本当に申し訳ございませんでした!
同期9人の中でも、一番ご迷惑をおかけした自信があります、、笑。
しかし、そんな自分を寛大な心で受け止め、優しく指導してくださり本当にありがとうございました。
自分は下級生の頃から試合に出させていただいていましたが、何度も試合で足を引っ張ってしまいました。
その度にプレーで引っ張ってくれた選手の先輩方、コート外から励まし支えてくださったスタッフの先輩方、そんな偉大な先輩方と一緒に過ごした日々は、本当にかけがえのないものになりました。
卒業された後も、ことあるごとに連絡をしていただいたり、食事に連れて行っていただいたりと、本当にお世話になりました。
自分は先輩方の後輩だということをとても誇りに思います。
本当にありがとうございました。
後輩へ
次に、後輩たち。
頼りない先輩についてきてくれて、そして支えてくれて本当にありがとう。
14年間続けてきたバスケ人生の唯一の心残り、それは後輩たちを3部に落としてしまったことです。
選手もスタッフもチームのことを一番に考え、試合になかなか出れなくてもチームに尽力してきた後輩たち、そのおかげで早慶戦勝利という最大の目標を達成することができました。
本当にありがとう。
そんな後輩たちに、最後は2部残留という結果で恩返ししたかったです。
本当にごめん。
でも来年、早慶戦勝利、2部昇格という大きな目標を必ず達成できると信じています。
誰よりも応援してます。頑張れ!
同期へ
そして、同期のみんな。
いつも支えてくれてありがとう。
いつも元気をくれてありがとう。
何より4年間、同期でいてくれてありがとう。
大学での4年間、なかなか結果を出すことができなくて、正直本当に苦しい4年間でした。
何度も辞めたいと思ったことがあったけど、みんながいつもそばにいてくれたから、最後まで頑張ることができました。
2019年6月22日、早慶戦で早稲田に勝ってみんなと抱き合ったあの瞬間、バスケをここまで続けてきて本当に良かったと心の底から思いました。
これまでのバスケ人生、日本一を達成することも何度かあったけど、試合に勝ってあんなに泣いたのは初めてです。
みんなとそんな瞬間を共にすることができて、本当に幸せでした。
本当にありがとう。
引退してからも2日に1回のペースで会ってる人もいるけど、とりあえずこれからもよろしく、、笑
OBの皆様、保護者の皆様
OBの皆様、保護者の皆様、4年間バスケ部に多大なるサポートをしていただき本当にありがとうございました。
どんなに負けが続いている状況でも試合に駆けつけて下さり、そして応援して下さり、本当にありがとうございました。
リーグ戦では良い結果を残すことができませんでしたが、おかげさまで最後まで悔いなくやり切ることができました。
来年からは、私もOBの一人としてバスケ部を全力でサポートし、少しでも恩返しができればと思っております。
今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
4年間本当にありがとうございました。
両親へ
最後に、父さん、母さん。
14年間も、これほどまでに本気でバスケを続けさせてくれてありがとう。
ただただバスケが好きだった小学校。
家から一時間半かけて通った中学校。
初めて親元を離れ寮生活をした高校。
そして、憧れだった慶應義塾大学。
この14年間で、最高の思い出と、かけがえのない仲間をたくさん作ることができました。
庭のバスケゴールから始まった14年間のバスケ人生、一片の悔いもありません。
本当にありがとう。

おわりに
最後まで拙い文章を読んでいただき誠にありがとうございました。
寂しい気持ちはありますが、バスケにはここで一区切りつけ、来年からは社会人として新たな人生を歩んでいきたいと思います。
この14年間、バスケを通じて多くの方々に支えられ、多くのことを学び、ここまで成長することができました。
これからは、バスケを通じて学んだことを胸に、新たな夢に挑戦していきたいと思います。
バスケを通じてお世話になったすべての皆様、本当にありがとうございました。
ラストブログ 髙田 淳貴
2019年12月19日 8:00| Comment : 0
感謝

はじめに
誠に僭越ながら自己紹介させていただきます。
私、慶應義塾大学環境情報学部4年ならびに体育会バスケットボール部所属の髙田淳貴と申します。宜しくお願い致します。
ラストブログということで、今回は私がバスケを通じて感じた想いについて書いていきたいと思います。
大学バスケに関しては、ほとんどのことを前回のブログで書かせていただいたので、分量的にはあまり多くならないと思います。
それでも、前回は触れなかった同期への想いなどを中心に振り返っていきますので、どうか最後までお付き合いください。
慶應義塾大学との出会い
前回も書きましたが、私は大学に入学するまでずっと、出身である徳島県でバスケットボールをしていました。
兄の影響もあり、大学進学はなんとなく関東を意識していましたが、慶應義塾大学になど入学できるわけがないと思っていたので、志望校として考えたこともありませんでした。
また、最初はインターハイ終了と同時に引退して受験勉強に集中するつもりだったので、バスケ自体、真剣にやるのは高校が最後になるのだろうなと思っていました。
しかし、高校3年間で様々な強豪校と試合をさせていただき、全国大会でも強豪校に善戦することができた中で、もっと上のレベルでプレーをしてみたいという思いも同時に沸いていました。
そんな時に、高校の顧問の先生から「慶應を受けてみないか?」というお話をいただきました。
目立つような結果を残していたわけでもないため、合格は難しいとはわかっていました。
しかし、憧れである慶應義塾大学だったので、受験を決意しました。
結果的に合格することが出来、慶應義塾大学での生活を歩むことになります。
高校3年生時は、両親や顧問・担任の先生など、本当にたくさんの方々の支えや縁を強く感じました。
本当に感謝しています。
素晴らしいチームメイト
そんなこんなで、前回書かせていただいた激動の大学バスケが始まります。
何回振り返っても、一年一年に異なる葛藤や成長があり、濃い4年間だったなと感じています。
特に最後の1年は、良いことも悪いこともあったシーズンで、早慶戦に勝てたかと思えばリーグ戦では降格を味わいました。
個人としても、悩むことは今までで一番多かったです。
後半は、チームが勝てないことへの焦りも当然ありました。
それでもたくさん悩み、いろいろなことに挑戦したことに悔いはありません。
そして、鈴木がブログでも言っていたように、最後の引退試合に勝利し、笑って終わることができたことは本当に幸せでした。
前回の私のブログで、楽しむことを忘れないようにするというようなことを書いたと思いますが、この1年間はなんだかんだ悩みながらも達成できたんじゃないかなと思います。笑
また、来年以降のチームの活躍を心から期待しています。
自分たち4年生が、最後に後輩たちに何を残すことができたのかは正直わかりませんが、何か感じてくれるものがあったなら嬉しいです。

学生バスケを引退した今思うことは、こんなに1つの勝利や敗北、成功や失敗に一喜一憂できる時間は、今後の長い人生の中でもほとんど無いのではないかということです。
それくらい大学での4年間は、私の中で充実したものでした。
また、そう思えるのは、間違いなく素晴らしいチームメイトが周りにいたからです。
入学後の右も左も分からない状況から、最後の最後まで自分に常に優しくしてくださった先輩方、どんな時でもついてきてくれた後輩たちにも本当に感謝しています。
しかし、やはり同期の存在が一番大きかったです。
中でも他の3人の選手からは色々な刺激を受けて成長することができたと感じています。
純は、高校までは本当に憧れの選手で、入学して同期になってからも、その技術力にいつも驚かされていました。
常に先頭に立ってプレーをしてくれたおかげで、自分も少しでも追いつけるようにと必死に頑張り続けることができました。
工藤と友樹雄は、何人かのブログでもあったように努力量が凄まじい選手でした。
特に上級生になってからは、彼らの意識の高さに引っ張られるようにプレーにも責任感が芽生えていきました。
もちろん他の同期にもたくさん助けられました。
そして、このメンバーでやって来られて本当に良かったです。
ありがとう。

さいごに
スポーツ推薦がなく、キャリアのある選手も少ないこの部活では、「考える」という時間が他の大学の部活に比べて圧倒的に多いです。
そしてこれはとても難しいことです。
何が正解かもわからない状況に何度も陥ると思うし、もっと楽にやりたいと思う人もたくさんいるでしょう。
それでも、自分たちで考えてやっている分、道が開けた瞬間の喜びは何にも変え難いものがあります。
私は、高校でバスケをやめず、慶應義塾体育会バスケットボール部という組織で最後までやり抜いて本当に良かったと心から思います。
大学で何に打ち込むか決まっていない方、これから大学の進路を考えている方、慶應でバスケに取り組むのはいかがでしょうか。
後悔しない4年間を過ごすことができるはずです。
また最後になりますが、4年間良い時も悪い時も常に支え、応援してくださったOBの方々をはじめ、保護者の方々や関係者の皆さまのおかげで素晴らしい期間を過ごすことが出来ました。
この4年間、バスケを通じて得られたもの全てが、私にとっては宝物です。
本当にありがとうございました。
まとまりのない文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
そしてこれからもバスケットボール部の応援をよろしくお願いいたします。
次回は山﨑純(4年生)です!乞うご期待ください!
ラストブログ 鈴木慧
2019年12月14日 19:00| Comment : 0
かけがえのない経験

はじめに
誠に僭越ながら自己紹介をさせて頂きます。
私、慶應義塾大学法学部法律学科4年並びに體育會バスケットボール部所属の鈴木慧と申します。
リーグ最終戦から一か月以上経ち、現在は以前では考えられないような生活を送っております。
初めは引退した実感があまり湧きませんでしたが、友人から「引退おつかれ」とか、「もう明日朝練ないでしょ?」と言われるたびに、「あ、自分ってもう引退したんだ。」と気付かされます。
こういったブログを書ける機会も、もう最後だと思うと少し寂しくなります。
今回はラストブログということで同期達が書いたように、体育会バスケットボール部での4年間を振り返り、私が感じてきたことについて書きたいと思います。
拙い文章ではありますが、どうぞ最後までお付き合いください。
土台
私は体育会バスケットボール部に慶應義塾高校(以下:塾高)の学生コーチとして入部しました。高校3年生の夏に引退後、「塾高でコーチをやらないか」と声をかけていただいたことがきっかけです。
今この先の4年間を決めてしまっていいのだろうかという迷いもありながらも、何かしらの形で母校に恩返しをしたく、そして中学時代にバスケの楽しさを教えてくれた学生コーチの方への憧れもあって、高校3年生の夏の段階で入部を決めました。
そこから大学に入学するまではすべてが新鮮で、あっという間でした。
今までとは違った視点や考え方で部活の練習、試合を見るようになりました。
そしてたまに同じく学生コーチをされていた林さん(2018年卒)に連れられて大学生の練習や試合を観に行かせていただきました。
そこで、組織の熱量の高さやバスケのレベルの高さを目の当たりにして、体育会バスケットボール部に入部することにとてもワクワクしていました。
ただ、いざ大学生活が始まると楽しいことよりも辛いことの方が多かったです。
朝6時半から体育館に行き、授業を受け、15時から夜の22時まで塾高、大学の練習に参加し、これをまた次の日も繰り返す生活でした。
大学1年生ということもあって授業も多く充実していて楽しい反面、体力的、精神的にとても辛かったです。
特に、当時私が見ていた高校生は、私が笛を吹いたらすぐに自分のもとに来て、一生懸命話を聞いてくれて、言ったことを信じてそのままやってくれる、そんな健気で素直な後輩たちでした。
その子たちに、もっと自分がやってあげられることがあったのではないかと、今になっても思います。
大学の練習に行っても、塾高のことばかり考えていて、大学のやっていることへの理解度が低い現状でした。
そんな自分ができることは、ボトルに水を入れたり、タイマーをやったり、最後まで選手のシューティングのリバウンドをするなどで、申し訳なさと情けなさでいっぱいでした。
結局すべてが中途半端になってしまい、部を辞めようと思った時もありました。
でもそこで自分を奮い立たせてくれたのは、ただただ「バスケが好き」という気持ちでした。
たったそれだけだけど、大好きなバスケにずっと高いレベルで関わっていきたい、今はできなくてもいつか自分でこの部でなにかを成し遂げたい、そんな気持ちが私をこれまで支えてくれました。
そして、大学2年生の夏前に塾高の学生コーチを辞めて、大学の学生コーチとなりました。

先輩
先輩のおかげもあって、大学に戻ってきてからは色々ことを任せていただいたり、経験したりすることができました。
それも下級生時の経験があったからこそだと思います。
2年生時に初めて相手のスカウティングに携わらせていただき、大学の分析にかける時間や労力に圧倒され、そしてその重要性に気付かされました。
色んな側面でバスケを見て、分析し戦略を立てていくことがこんなにも楽しいことなのだと気づきました。
当時の学生コーチであった加藤さん(2018年卒)の優しさ(?)もあり、資料作成やセットの分析など色んなことを任せていただき、本当に充実していて楽しかったです。
加藤さん、ありがとうございました。
3年生になって本格的に学生コーチとしてやらせていただいて、当時最上級生であり学生コーチであった小川さん(2019年卒)、宇野さん(2019年卒)と本当にたくさん時間を過ごしました。
どうすればいいチームができるか、どうすれば勝てるのか、ひたすら考える日々でした。
色んなところから情報を持ち寄り、意見を交わし、本当にチームにとっていい選択ができるよう、とことん話し合いました。
生意気な自分の意見をすごく真摯に聞いてくれて、自分がやればやるほどこんなにもチームのためになるのだと、身をもって実感しました。
それでも早慶戦は負けてしまったけれど、4年生の方々が常に引っ張ってくれて、リーグ戦では目標には届かずとも素晴らしい結果を残すことができました。
本当に当時の4年生の方々には感謝してもしきれません。
特に小川さんの存在が自分の原動力であったことは間違いないです。
常にチームのことを考え、人の何倍も努力しているからこそ、すべてのことに説得力があって、「自分も頑張らなきゃ」と、なんなら「この人の努力が報われるためにも絶対に頑張ろう」と自然に思わせてくれる、そんな先輩の存在が今の自分を形成しています。
小川さん、ありがとうございました。
この2年間があったからこそ、部の哲学である、「内的自発性」を真の意味で理解しました。
そしてなにより、本当に自分はバスケが好きなのだと、改めて思いました。

最後の1年
最後のトーナメント、最後の早慶戦、最後のリーグ戦。
最上級生となり、すべてのことに「最後」という言葉がつきました。
最後だからこそ、今まで以上に思い入れはあったし、責任感も大きかったです。
最初の時点では4年生はそこまで大変ではないものだと思っていました。
スケジュールは変わらないし、これまでと同じように進めていけばいいと、そう思っていました。
でもそううまくいくわけなく、たくさんの壁にぶつかり、本当に迷い、考え、なんなら彷徨った1年でした。
昨年のように上に先輩がいて、ただ自分がいいと思った意見を言えばいいわけではなく、最終的に先輩が決めてくれることもなく、圧倒的説得力を持った先輩が的確なアドバイスを隣でしてくれるわけでもない。
最後は4年生である私たちが決めなければならないことに、今までにないくらい大きなプレッシャーを感じ、正直ビクビクしながら毎日を過ごしていました。
自分が選手に示したこと、練習や試合中に言ったこと、その一つ一つが本当に正しいことなのかとても不安でした。
それでも自分だけじゃなく、選手もたくさんの意見をくれて自分の穴を埋めてくれて、みんなが納得して決めてしっかりとコートで体現してくれる。
それが救いでした。
特に同期の選手たちには何度も相談したし、彼らが「いいんじゃない?」と言ってくれることで、自分も自信をもってこれでいいんだと、そう思うことができました。
同期のスタッフには愚痴も含め色々なことを話したし、本当に自分の心の支えでした。
みんな同期に感謝、とか、同期の存在が大きいとブログやSNSで書いていて、とりあえず書いているだけかと読者は思うかもしれません。
しかし本当にその通りで、それはこの体育会バスケットボール部で身をもって実感したし、大切な友です。
後輩たちも、本当にいろんな迷惑をかけてしまったけれどもみんなついてきてくれて(彼らの本心は置いといて)、本当に感謝しかないです。
皆さん、ありがとう。

最後に
引退後、暇な時間がたくさんあるので友人の引退試合を観に行っています。
(とは言ってもそこまでたくさん見れているわけではないです)
そこでは勝ったら現役生活が続けられる、そんな試合で負けて、予期せず引退を迎えてしまい悔しさの余り涙ぐむ。
こういった姿を多く見ます。
そう思うと、結果は3部降格という情けない結果ではあったけれど、最終戦に勝って笑って終われたことは本当に幸せなことなのだと思います。
そんな幸せ者にしてくれたみんなにはいくら感謝してもしきれません。
話はちょっと変わりますが、こんな言葉をSNSで見つけました。
『好き』はパワーになる。
体力的に精神的に辛いことはあったけど、好きだから乗り越えられた。
好きなコト、好きなモノ、好きなヒト
一つでも多くあると夢は叶いやすくなると。
自分の心がハッピーなら、余計なことは気にならないから。
大丈夫。
これは私が最近好きな女子アナのインスタグラムの投稿にあった言葉です。
自分がここまでやってこれたのって、まさにこれだなと思いました。どんなに辛くても、それが好きなことって本当に大切だと思うし、何よりの原動力になると思います。
最近引退した友人も、とても苦しかったし辛かったけれど、やっぱりその競技が好きだと言っていました。
だからこそ、今キツい練習をして一生懸命頑張っている後輩や、この先なにをしようか迷っている人は、『好き』という気持ちを、何よりも大事にしてほしいと思います。
そして、私は社会人という新たなステージで、中学から大学の10年間好きだと思い続けたバスケに代わる何かを見つけ没頭できるよう、必死に頑張っていきたいと思います。
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回は髙田淳貴(4年生)です!乞うご期待ください!
ラストブログ 野田遼太朗
2019年12月13日 8:00| Comment : 0
スポーツが与える3つの宝

はじめに
誠に僭越ながら自己紹介をさせていただきます。
私今年度、慶應義塾大学法学部政治学科4年ならびに慶應義塾体育会バスケットボール部で主務を務めさせていただいております、野田遼太朗と申します。
今回のラストブログでは4年間のバスケ部での生活を振り返って感じたことを書かせていただきます。
拙い文章ではありますが、最後までお付き合いいただけますと幸いです。
一貫校生活
大学のバスケ部に入るきっかけとなった中学〜高校までの一貫校生活について少し振り返ってみたいと思います。
私がそもそもバスケを始めたのは小学5年生でした。
理由は単純で「背が高かった」からです。
小学6年生の頃には身長が170cm近くあり、余った給食を全て食べる、絵に描いたような食いしん坊でした。
その後、中学受験のためスポーツとは遠ざかったものの、慶應義塾中等部に入学後バスケ部に入部しました。
慶應義塾高等学校でもバスケ部に入部し、1年生の夏から試合に絡めるようになりましたが、ベンチメンバーだった工藤(4年・政治)や藤井(3年・政治)がプレイタイムを伸ばし始め、なかなか試合の出場機会に恵まれない時期もありました。(今となっては自分が彼らのシューティングでリバウンドをさせてもらえたのも感慨深いです。)
悔しい気持ちはありましたが、同期や後輩が試合に出れずともチームの勝利に貢献しようとする姿を見て、自分もできることを一生懸命やろうと考え、行動し続けました。
結果、再びプレイタイムを増やしてもらえるようになりました。

中高の6年間で得た、「チームの為に何ができるか?」を考えて行動するという姿勢は大学のバスケ部においての土台となったと思います。
スポーツが与える3つの宝
これからは大学のバスケ部を通じて感じたことを紹介させていただきます。
みなさんは「スポーツが与える3つの宝」という言葉をご存知ですか?
これは慶應義塾の元塾長であり体育会庭球部の部長も務めた小泉信三先生の残した言葉です。
その3つの宝とは
- 「練習は不可能を可能にするという体験」
- 「フェアプレーの精神」
- 「友」
です。
「練習は不可能を可能にするという体験」という言葉は耳にしたことがある方も多いかもしれません。
この3つの宝のうち、これだけが一人歩きしていて残りの2つはあまり知られていないことが多いそうです。
ここからは大学のバスケ部を通じて特に感じた「練習は不可能を可能にするという体験」と「友」について紹介させていただきます。
「練習は不可能を可能にするという体験」
この言葉の意味をご存知でしょうか?
これは「練習をすれば何でもできるようになる」という意味ではありません。
それもそのはずです。
どれだけ明確に目標に向かって努力して逆算できるかのイメージが必要であるかということを4年間で感じました。
もしその言葉通りであれば、皆ダンクシュートができるし、3ポイントシュートをコートの端から打っても全て入るスーパースターだらけになってしまいます。
この言葉の意味は「スポーツにおいて練習を通じて、できなかったことができるようになる体験が大切」ということです。
自分に置き換えて考えてみると、早慶戦が最も当てはまります。
スタッフの自分には早慶戦の勝利はもちろん、個人的な目標がありました。
それは「バスケットボール早慶戦を学生バスケットボールで日本一の大会にすること」です。
この目標に向かって「どうやったら人が集まるのか。観客の満足度を上げられるのか。お金をどうやって集めるのか」と様々な方向から考え、たくさんの人に協力していただきました。
結果、日本一と呼べるかはわかりませんが、あの超満員の会場で応援をしてもらえた独特の雰囲気は最高でした。
このような結果は多くの方のご協力のお陰ですが、困難なことを達成できた経験は自信になりました。

「友」
次に紹介する宝は「友」です。
これは「何でも言い合える友達、何を言い合っても誤解されない友達、喜びも苦しみも分かち合える友達、そして生涯の友達」を指します。
私の主務という立場は他の部員よりも渉外活動や他部とのやりとりをする役割のため、多くの友を得られたように思います。
早慶戦をはじめとして、高い壁にぶつかった時、苦しい時に自分たちの部活の経験から相談相手になってもらえたことや、実際に試合に応援に来て勝利を後押ししてくれる友達ができたことはスポーツを通じて得た宝物です。
自分はシーズンが終わってから、他部の早慶戦や引退試合の応援に多く行っていますが、やはり競技は違えども同じ慶應義塾の仲間として頑張っている友達の姿はとてもかっこいいです。

最後に
こうして4年間支えてくださった社会人スタッフの皆さん。OB・OGの皆さん。慶應義塾体育会のみんな。部員がお世話になっている下田寮近くにある飲食店の「さつまダイニングあんず」の皆さん。
ここでは書ききれないけれどスポーツを通じて関わったすべての人にこの場を借りて感謝申し上げます。
あの時、背が高いからという理由で始めたバスケがここまで自分を豊かにしてくれるものとは思ってもいませんでした。
自分は慶應でスポーツができて本当に幸せです。バスケが大好きです。
そして、この4年間を通じて得られた一番の宝は「バスケ部の同期」です。
どんなに辛い時も、同期のおかげで頑張れました。本当にありがとう。

今後も何らかの形で自分を成長させてくれたバスケには関わっていきたいと思います。
長文となってしまいましたが読んでいただきありがとうございました。
次回は鈴木慧(4年生)です!乞うご期待ください!
ラストブログ 工藤翔平
2019年12月10日 8:00| Comment : 0
下手くそなりの頑張り方

初めに
誠に僭越ながら自己紹介をさせて頂きます。
慶應義塾大学法学部政治学科4年並びに體育會バスケットボール部所属の工藤翔平と申します。
バスケ部を引退してから約1ヶ月が過ぎました。
大学生活のほぼ全てであった部活動を引退して、現在はアルバイト生活の中心となっています。
今回は、ラストブログということで前回のブログでも書かせて頂いたように、バスケ部での4年間の生活を振り返り、私なりに何を感じたのか、書かせていただきます。
拙い文章ではありますが、どうぞ最後までお付き合いください。
大学までの11年間
私は、一貫校である慶應義塾高校から大学に進学しました。
大学生活を振り返る前に、高校までのことについて少し書かせていただきます。
私がバスケを始めたのは小学2年生の時でした。
当時野球をしたかった私を強制的に親がバスケ部に入れたことがきっかけでした。
その後、大学までの11年間は、県大会に出ても2勝できるかどうか、高校最後の大会も地区大会で敗退してしまいました。
しかし、高校バスケ部の生活を振り返ると、あの3年間、大学のために本当に価値のあるものだったのかもしれません。
慶應義塾高校には一般入試を受けて入学し、バスケ部に入部しました。
当時を振り返ると私は身長170㎝で身体能力もなく、受験勉強で長らくバスケを離れ、腕立て伏せも1回が精一杯の何も取り柄がないような選手でした。
高校3年間は、勉強と部活動の文武両道を目標としてバスケに励みました。
幸いにも同期や後輩に恵まれ、身長も13cm伸びたこともありチームの中心選手として活躍することができました。
OBの長命さん(2014年卒)や林さん(2019年卒)、上保さんには、慶應バスケは何なのかを学び、大学でプレーをする上で大事な考えや多くの技術、知識を教わりました。
そして高校を引退したときは、バスケもこれで終わりと考えていました。

大学バスケ部への入部
そんな私が、なぜ大学でもバスケを続けようと思ったのか。
県大会出場も出来ないような選手が、全国で活躍経験のある選手が多くいる大学の体育会に入ることは恐れ多く、入学してからも入部する気は全くありませんでした。
大学では留学もしてみたかったし、いわゆる大学生らしいことを沢山してみたいと考えていました。
しかし、大学の新歓で行ったバスケサークルの空気感が合わず、
四年後に振り返った時、
「多くのものを得られた」
と言うためには、やはりバスケ部に入ったほうがいいのではないかと考え始めた時期がありました。
それでも、バスケ部への入部を踏み出せなかった私が決意したのは、当時の学生コーチに声をかけてもらい練習を見学したことがきっかけでした。
見学に行った際に感じた選手一人ひとりが、自分に厳しくバスケに真摯に取り組む姿、選手ではないスタッフも選手と同じくらいチームのことを考え、選手に厳しく接している姿、チームの一体感や空気感がとにかく魅力的でこのチームの一員にないたいと強く感じました。
入部する時に選手を4年間続けられるか分からないことは、もちろんわかっていましたが選手をやめて、スタッフになってもこの選手たちやチームのためなら頑張れると思い、先輩方にあこがれて大学バスケ部に入部しました。
大学バスケ
今、振り返ると、あの時バスケ部に入って本当に良かったと思っています。
入部した1年生の時は、体力的にめちゃくちゃしんどかったことを覚えています。
朝は5時に起き、夜は23時に家に着く生活が毎日のように続き、当時勉強も頑張りたいと思っていた私ですが、授業中も眠さに耐える日々を送っていました。
入部してから1年間は、練習にさえ参加できなかったので、ウエイトトレーニングを他の選手よりも多く取り組んだり、シュート練習もAチームのいない試合前後や朝練習の早い時間、練習後に取り組んでいました。
この年はとにかく全国レベルのプレーを多く見て沢山学んだ1年間でした。
そしてこの1年間は練習ができることのありがたさやチームを下から支える人がどれだけいるかを強く感じた1年間でした。
バスケに対する貪欲さはこの時期に身についた気がしています。
2年生、3年生になってからは、どうすれば試合に出て全国レベルの相手と戦うかを真剣に考えました。
そんな中で、当時学生コーチの小川翔平さん(2019年卒)や澤近さん(2019年卒)には大変お世話になりました。
そして、何とかチームのために試合に出て活躍するためのプレースタイルを確立していきました。
自分の弱みを克服するよりも強みを伸ばすことにフォーカスしながら、試合にでたら何かしてくれる、そう思われるような選手を目指して頑張りました。
最後に今年1年間を振り返ってみたいと思います。
最上級生として迎えた今シーズン、昨年のチームの主力メンバーである4年生が抜けて自分がインサイド陣の中心となりました。
シーズンを通じて自分の不甲斐ないプレーのせいでチームが負ける試合も多くありました。
リーグ戦期間は自分がチームに貢献できず勝てない試合が続き、とてもきつかったです。
それでも自分にやれることをやるしかないと思って自分が出来る最高の準備をやり続けました。
オフェンスリバウンド、スティール、ルーズボールなど自分の強みを活かすプレーをリーグ戦を通じて意識して戦い抜きました。
この1年間。春は早慶戦優勝、秋は3部降格、ある意味成功と失敗という体験をしました。
今年1年間は4年間で一番苦しく、同時に最高の1年間だったのかもしれません。
同期へ
まずは、4年間本当にありがとうございました。
チームには迷惑ばかりかけましたが四年間続けることができたのはみんなのおかげです。
純(4年・総合)と淳貴(4年・環境)はプロになってもおかしくないくらい上手いし、試合中自分の弱気なミスですごい迷惑をかけてしまったけれど、その度に厳しい言葉をかけてくれて、最後まで自分とプレーしてくれてありがとう。
友樹雄(4年・経済)はこの前のブログで「工藤がいなかったらここまで頑張ることができなかった」って書いてたけど、それは俺も同じで、友樹雄がいなかったらここまで頑張れなかったと思います。
いつも自分に厳しくてチームのためにできることをストイックにやっている、そんな姿を見て俺ももっと頑張ろうと思えました。
本当にあの時友樹雄と一緒に部活に入ってよかったと思っています。
他の同期のみんなにも感謝しています。
ここでは書ききれなくなってしまうので今度直接言わせてください笑

最後に
大学4年間、OBの方々をはじめ多くの方々にお世話になりました。
本当にありがとうございました。
15年間のバスケ人生を振り返ると楽しいときよりも、つらい時の方が多かったし苦しいことがたくさんありました。
でもそのつらい時や苦しい時間がなかったらこんなに成長できなかったと思っています。
高校生の時に阪口さんに言われた
「辛い道か楽な道があったら辛い道を選ぶべきだ」
自分は常にこの言葉を頭に入れながら練習を取り組んできました。
こうした辛さがなければ、試合に勝った時やチームに貢献したときの嬉しさもなかったと思っています。
「とにかく何とかなる」よく周りから根拠もないし辞めろと言われるんですが、自分はこの気持ちをもってこれからも頑張ろうと思っています。
何かしら意味があると思って、まずは前向きに取り組んでみる。
これはバスケットをこれだけ長くつづけたからこそ分かったことです。
自分はたまたま小学校から大学生まですべてのポジションを経験しました。
個人的に、大学で活躍できたのは、その経験があったからだと思っています。
また、自分は決して器用じゃないし、身体能力も高くないですが地道に続けてきたことが本当によかったと思いました。
つらい時こそ自分が一番成長していると思ってやっていけば必ず自分に還元される何かがあるはずです。
頑張っていてもどっかでやめてしまえばそれまでだし、それは頑張ったことにはならないと思っています。
頑張っていれば必ずチャンスは来ます。
ただそのチャンスをものにできるかどうかは自分次第です。
そのチャンスはいつ来るか分からないので常に最高の準備をして頑張り続けることが大事だと感じました。
そして自分ではどうしようもなくなったときには素直に誰かに相談することです。
相談できる同期や先輩と出会えたこの部活がほんとに大好きです。
四年前に戻っても必ずバスケ部に入っていると思います。
そのくらいこの4年間で学んだことは多かったし、学生生活最後の大学生になって部活動をやることの意味は入ってみないとわからないことばかりです。
自信はなくてもなんとかなると思って頑張り続ければ、自ずとと道は開けてくると思います。
ちょっとでもバスケ部に興味がある方は、一度体験に来てバスケ部の空気感を体感してみてください。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回は野田遼太朗(4年生)です!乞うご期待ください!
ラストブログ 片桐俊哉
2019年12月7日 19:00| Comment : 0
支えられてきた4年間

はじめに
誠に僭越ながら自己紹介をさせていただきます。
私、本年度慶應義塾大学経済学部4年ならびに体育会バスケットボール部所属の片桐俊哉と申します。
今年度2回目のブログ投稿になります。
私より前に書いている3人のラストブログを読み、みんなの思いに感動しました。
私も彼らのような内容の濃いブログが書けるかとても不安ですが、今まで自分が思ってきたこと、考えてきたことを正直に書こうと思います。
前回の内容と重複する部分が多々あるかとは思いますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
うぬぼれていた自分
大学入学まで大きな挫折もなく、順風満帆な人生を送ってきました。
自分で言うのもなんですが、今までどんなことも平均以上に出来ていました。
幼少期からサッカー、テニス、水泳、バイオリンなど多くの習い事をさせてもらっていましたが、どれもほとんど練習せず、しかしそこそこに結果を出せていたため、それで満足をしていました。
中学生になり何となくテニス部に入り、何となく練習に取り組んでいました。
そんなある日体育の授業でバスケをし、バスケ部に入らないかと声を掛けられたのがきっかけでバスケ部へと転部しました。
初心者しかおらず、中高一貫校の一期生であったため先輩も指導者もいない中、手探りでメニューを考え日々練習に明け暮れていました。
弱小校ではありましたが全員が手を抜かず泥臭く必死にプレーし、試合でも勝てるようになりさらにバスケという競技にのめり込んでいきました。
そこで大学では、レベルの高い環境に身を置きバスケがしたいと思い体育会に入部を決意しました。
苦しい1年
体育会に入り、私は自信を一気に無くしました。
全国経験者がたくさんおり、また高校では大きいほうでしたが、大学では身長が低い部類になってしまいました。
さらにバスケIQが皆とても高く、バスケ部にはすべてにおいて私より上回っている選手しかいませんでした。
当時関東リーグ1部に所属しており、レベルがかなり高いことを覚悟はしていましたが、あまりの差に愕然としました。
今まで必死で練習に取り組んできたつもりでしたが、自分の甘さを痛感しました。
それから1年、同期に追いつき試合に出ることを目標に練習に励みましたが、なかなか差は埋まりませんでした。
同期が練習に参加していく中で、自分は練習最初のウォーミングアップと最後のインターバル(ラントレーニング)のみに参加する日々が続き、自信を無くしました。
自分がやっていること全てが間違っていて、チームからも必要とされていないと感じるようになり部活をやめたいという気持ちになりました。
正直なところ、今まで通り何とかなるという甘い気持ちがあったと思います。
選手から学連派遣
そんな時に声をかけてくださったのがスタッフで学連派遣の服部さん(2018年卒)でした。
服部さんも選手からスタッフに転向しており、ご自身の体験や学連派遣という役職について教えていただきました。
それまでは自分のことでいっぱいになっており、自分がチームに求められていること、できることまで考えられていなかったことに気づかされました。
前回のブログで泉も言っていましたが、「チームに必要な存在になりたい」と思うようになりました。
しかし選手からスタッフに転向することをなかなか決断することはできず、悩み、練習にも身が入らない日々が過ぎていきました。
どこかでスタッフは裏方でかっこ悪いと思っていたのかもしれません。
選手とスタッフ、どちらが偉いとかはない
12月に服部さんと同じく学連派遣の山本さん(2018年卒)にインカレの運営の体験をさせていただきました。
それまでは大会の裏側のことを全く知りませんでしたが、選手が当たり前のように試合が出来ているのも、学連派遣の地道な努力があってこそ成り立っていることを痛感しました。
入学当初に阪口ヘッドコーチが仰っていた「選手、スタッフに偉い偉くないはない」という言葉の意味が理解できました。
この体験後に私はスタッフ転向を決意し、学連派遣としてチームに携わっています。
尊敬できる先輩との出会い
学連派遣になり、財務部にて山本さん(2018年卒)の直属の後輩として仕事をしました。
私の今があるのは、山本さんのおかげです。
山本さんとは選手時代ほとんどお話したことがなく、とても怖い人というイメージがありました。
しかし学生派遣の仕事を学んでいく中で、山本さんの偉大さを感じずにはいられませんでした。
同じ部活、同じ部署ということもあり、山本さんと行動することがとても多かったのですが、仕事だけでなく、人として大事なことやお酒の場での振る舞い方まで学ばせていただきました。
山本さんの下では1年間しか仕事ができませんでしたが、人生で最も濃い時間だったと思っています。
同期への感謝
学連派遣になり、私は練習にあまり参加出来ず、チームでいる時間が減ってしまいました。
バスケ部が楽しそうにしている動画をインスタグラムで見たり、自分が写っていない集合写真を見たりして、学連派遣をやめてチームに戻りたいと思うことが多々ありました。
またチームが私抜きで回っていくことに、自分はチームのためになれていないのではという疑念にとらわれることもありました。
しかしそんな思いを払拭してくれたのが同期の存在でした。
大会では1部会場にいることが多かったのですが、1・2部同会場の際は差し入れを買ってきてくれ、「朝早くからお疲れ」と声を掛けてくれ、ほとんど練習に顔を出すことが出来ず行っている仕事を理解してくれていました。
また同期の選手たちが厳しい練習に耐え怪我などを乗り越え試合で活躍した話しを聞き、私も頑張らなければと勇気をもらっていました。
特に私と同じように選手からスタッフに転向しマネージャーとしてチームで頑張っていた𠮷岡や、トレーナーとして最後までめげずに選手に寄り添っていた小祝の存在はとても大きかったです。
練習に久しぶりに行き、愚痴を言い合い、ふざけ合い、励まし合った時間のおかげで私は最後まで部活動を続けることが出来ました。
彼らがいなければ私は確実にこのブログを書く前に辞めていたと思います。
私は本当に同期に恵まれたと思います。
4年生最後の試合で、コートで最後まで走り続ける同期や、コート外で選手をサポートする同期を見られたこと、そして試合後同期と一緒に写真を撮れたことは本当に嬉しく、ここまで辞めずに続けてきて良かったと思いました。

最後に
ここまで長々とまとまりのない文章を書いてきましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
結局何が言いたいかというと、先輩、同期、後輩、そして部活動を通して関わってきた方々全員に感謝をしています。
この部活に所属できたことは本当に良かったと自信をもって言えます。
このブログを通して4年間を振り返るいい機会となりました。
正直に言うと、皆のブログを読んだとき、そして同期への思いを綴っているとき泣いていました(笑)
私は12月9日から行われるインカレに向け学連派遣のメンバーと日々準備をしています。
学連派遣としての集大成となるため、悔いの残らないよう頑張ります。
皆さん是非会場に足を運んでいただけますととても嬉しいです。
次回は工藤翔平(4年生)です!乞うご期待ください!
ラストブログ 泉友樹雄
2019年11月30日 19:00| Comment : 0
チームに必要な存在とは

はじめに
誠に僭越ながら自己紹介をさせていただきます。
私、本年度慶應義塾大学経済学部4年ならびに体育会バスケットボール部所属の泉友樹雄と申します。
早いもので引退から約1ヶ月がすぎました。
小学校3年生から14年間続けたバスケ中心の生活が終わり、味気のない非常につまらない時間を過ごしています。
私は前回のブログリレーで大学4年間を振り返ったものを書かせていただきました。
私の4年間のほとんどを書いてしまったため、正直ネタ切れです。
非常に困っています。
ですので思ったことをそのまま書かせていただきます。
どうかお付き合いください。
慶應バスケとの出会い
私は高校を選ぶ際に、勉強もバスケもレベルの高いところに身をおきたいと思っていました。
兄の公式戦を応援しに行った時、慶應志木のバスケを見てレベルが高く、この人とバスケがしたいと思える人に出会いました。
また、中学時代から憧れていた一つ上の先輩も慶應志木にいるということで、それから慶應志木でバスケがしたいという熱が湧き上がりました。
慶應志木は勉強のレベルが非常に高く、自分は全く合格のレベルに達していませんでした。しかし、慶應志木でバスケがしたいという単純な思いだけで必死に勉強し続けました。
努力が実りなんとか一般入試で合格することができ、バスケットボール部に入部しました。
入学後1年生ながら練習試合などにも出させていただき、入学して最初の大会でユニフォームをいただいた時は非常に嬉しかったです。
ただそれ以上に加藤さん(2018年卒)に言われた「宇野(2019 年卒)がベンチに入っていないことをよく考えろ」という言葉がとても印象的でした。
当時の私は自分の方が上手いから当たり前だろ、と今考えるととても恥ずかしい事を思っていました。
チームの中で
「試合に出れない選手が必死にボールを追いかけているのに、試合に出る選手がボールを追いかけないわけにはいかない。試合に出る選手にはその責任がある。」
という考え方がバスケ部には浸透していました。
それを1番に体現していたのが宇野さんだったのです。
宇野さんのブログにもあるように
“上手い人より、1秒でも早く動く、1秒、1cmきついことをする、そう考えてがむしゃらに動きました。シュートで敵わなかったら、技術より気持ちが大事なリバウンドやルーズボールに徹しよう。そう考えてがむしゃらにコートを走り、飛び込みまくりした。努力は裏切らないと言いますが、考えない努力には裏切られます。”
こういう考え方を宇野さんだけでなく先輩方全員が持っていて、試合に出ているメンバーにプレッシャーと危機感を持たせようと必死に練習に取り組んでいました。
しかし入部して間もない私はチームについていくのに必死で自分以外に目を向けられず、ただがむしゃらにバスケをしていました。
余裕ができて周りに視野を広くしてみると、試合に出れない先輩方が必死に努力していて、練習中でもがむしゃらにボールを追いかける姿を目にしました。
この時、加藤さんのあの言葉の意味と重みを理解しました。
試合に出れていることのありがたさ、責任感を感じ、チームを代表して出ている以上、何事にも全力で、自分のためでなく先輩方のために頑張ろうと思うようになりました。
バスケの面白さとチームスポーツの良さを感じた高校バスケだったと思います。
例え自分が試合に出られずとも、何かしらの形でチームに貢献するという考え方は高校時代に教えていただいたものです。
私のバスケットボールの原点はここにあります。

大学バスケ
大学でバスケ部に入部した直後、私は衝撃を受けました。
試合に出ているメンバー、高校時代に全国大会に出場した先輩方、全国優勝を経験している人たちが誰よりも努力していました。
いままで私がしてきたものを「努力」と言うのが恥ずかしいほど
自分を追い込みただひたすらにバスケに打ち込んでいました。
こういう人たちに囲まれていたからこそ私は、例え試合に出れなくともチームのために尽くし、何かしらの形でチームに貢献しようと考え流ことができました。
スタッフでいる時も、怪我をしていてプレーができない時も、Bチームにいる時も
その時その時で自分にできる事を探し最大限に努力してきました。
そんな日々を過ごしていたある日、こんな言葉に出会いました。
「goodはgreatの敵である」
良好、良い状態であることに満足していたら決して偉大にはなれない。
この言葉を先輩から教えていただいた時にとても深い言葉だと感じました。
私はチームに貢献することで満足していました。
怪我をしていた時期には、スカウティング班としてできることを探しました。
もちろんそのときに自分ができることを、最大限の力を尽くしてきました。
そうすることでチームに貢献できていたと私は思っていたのです。
私はそこで満足していた。
ある時自分が目指すところはそこで良いのかと考えるようになりました。
おこがましいことではあるかもしれないが、「チームに貢献している」でなく
チームに必要な存在になりたいと。
それからまた自分がチームにもたらすことができるのは何か。
自分にしかできないことは何か。
必死に考え模索し続けました。
同期は、特に自分以外のプレーヤーの3人はチームに欠かせない存在となっていました。
だからこそ3年生のシーズンは個人的にとても苦しかったのかもしれません。
自分も同じようにチームに欠かせない存在となりたいと。
これは最後のリーグ戦中もずっと考えていました。
しかしこの気持ちが空回りしていた気がします。
純(4年・総合政策)、淳貴(4年・環境情報)、工藤(4年・法学政治)は4年生になる前から試合に出て経験を積み、
チームに欠かせない存在としてプレーしていました。
その3人にどこか置いていかれたような感覚を持っていました。
リーグ戦中も試合に出させていただいていましたが
正直自分は出ない方がいいんじゃないか、
あんなにも試合に出たい、純、淳貴、工藤と肩を並べたいと思っていたのに
試合に出ることが怖いと思ったこともありました。
チームとしても結果が出ず、降格がかかった試合で初めてスターティングメンバーとして試合に出せせていただきました。
4年生としての意地を見せるどころか、やはり気持ちが空回りして何もできないまま試合が終わったのを覚えています。
苦しんだ末の
そしてリーグ最終戦。
自分だけでなく4年生のほとんどがバスケ人生で最後の試合になるかもしれない。
絶対に勝ちたいと思っていました。
この試合もスターティングメンバーとして出させていただき、3Qまでお互いに譲らない試合展開でした。
4Q残り5分で10点離れた時は正直負けたと思いました。
自分がスタートとして出させてもらった試合で一つも結果を残せず終わってしまうと思っていました。
4年生として自分は最後まで何も残すことができないのかと。
しかしそこから4年生の意地で逆転しさらに点差が離れていく。
試合中は涙を堪えるのに必死でした。
最後まで自分がチームに欠かせない存在になれたかは分からない。
ただこの時は正直どうでも良くて、
憧れ続けたユニフォーム。
いつもベンチから応援することしかできず、いつか一緒にコートに立って戦いたいという想い。
そうした想いが叶い、試合に勝つことができる。
あの時の時間、一分一秒が本当に楽しくて、こんなにも終わって欲しくないと思った試合は初めてでした。
本当に同期のプレーヤーと肩を並べコートに立った時は、胸にこみ上げてくるものがありました。
意外と他の3人は特に気にしなかったですとあっさりしていましたが(笑)
同期のみんなへ
本当に同期には感謝してもしきれません。
正直、私が1番同期の中で迷惑をかけたと思っています。
自分は大学4年間、本当に苦しかったです。
その苦しさを周りにぶつけ迷惑をかけたかもしれない。
でもそれを正面から受け入れてくれた同期がいたからこそ今の自分がいると思っています。
特に工藤はぼくにとってとても大きな存在でした。
同じ内部校出身の選手としてお互いに切磋琢磨してきました。
試合後に体育館に行き2人でシューティングしたり、一緒にウエイトトレーニングをしたり、本当にお互いが良い影響を与えていたのではないかと思います。
入部したときに2人で「自分が試合に出れるとは思っていない。もちろん選手として努力するし、例えスタッフになったとしてもチームに尽くして頑張る。自分に才能がないのはわかっている。だから人一倍努力しなければいけない。必死に食らいついていこう。」と話していたのを覚えています。
私は3年時、チームの勝利を素直に喜ぶことができなかったし、応援もできていなかったかもしれません。
でも、Bチームとして練習してきたからこそ辛さや葛藤を理解しているし、工藤のこうした思いや人並外れた努力をそばで見てきたから、工藤の活躍を喜ぶことができました。
そして何よりも自分のことを1番認めてくれている気がしていました。
お前はもっとできるだろうと信用してくれていて、それが1番嬉しかったし、自分の活力の一つになったのは間違いありません。
工藤がいなかったら私はここまで体育会で頑張ることができなかったと思います。

終わりに
私の14年間のバスケ人生に関わってくれたすべての人に感謝したいと思います。
特に大学4年間でお世話になった方々には感謝してもしきれません。
当たり前のことですが、人は1人では生きていけないんだと。
それをバスケを通して強く実感しました。
辛いこと、苦しいこと沢山ありました。
練習だって死ぬほど苦しかったし何度も投げ出したくなりました。
それでも支えてくれる仲間がいたから乗り越えられたし、成長することができました。
楽しいこと、嬉しいことも沢山ありました。
それは決して1人では味わうことのなかった経験です。
そして、それを共有できたからこそ真に喜びを感じられたのではないかと思います。
こんなにも人を成長させ、多くの人に感動を与え、すばらしい仲間に出会わせてくれた
バスケって最高のスポーツだなと感じました。
慶應バスケに出会い、バスケを通して学んだこと、経験したこと、
尊敬する先輩に出会えたこと、誇りを持てる後輩に出会えたこと
そして最高の同期に出会えたこと。
これら全てが私の一生の財産です。
次回は片桐俊哉(4年生)です!乞うご期待ください!
ラストブログ 吉岡慶一郎
2019年11月26日 19:00| Comment : 0
題名:一は全、全は一

初めに
誠に僭越ながら自己紹介をさせていただきます。
私、慶應義塾大学商学部4年ならびに体育会バスケットボール部の吉岡慶一郎と申します。
4年間あった大学生活も残すところあと4ヶ月となりました。本当にあっという間の大学生でした。
人に恵まれ、たくさんの人に支えられてきた僕の想い出話をしていこうと思います。
少しだけお時間をいただけると幸いです。
”選択とは正しいか正しくないかではなく、正しくするための行動が一番重要である。”
慶應の東門に憧れ、本気で入学を目指したのは10歳の頃でした。
当時は、その門がどれだけ高く、重いものなのか分からず、ただ通いたいという一心で中学受験を決意しました。
そこからは毎日のように必死に勉学に励みました。
小学生の僕には慶應ボーイってかっこいいな!そんな思いだけで勉強をする理由は十分でした。
日々の努力が実りなんとか合格することができました。
そして待ちに待った三田での生活は、毎日が驚くほど刺激的で充実したものでした。
経験したことのないスポーツをやりたいという理由でバスケットボール部に入り、のめり込んでいきました。
中学一年生の時、大学の早慶戦を応援しに行く機会がありました。
人のバスケを観るよりも自分がプレーをしていたいと思っていた生意気な中学生は少しだけめんどくさそうに会場へ向かいました。
しかし、そこでの景色は僕に衝撃を与え、人生を変えていったのです。
当時の慶應大学のバスケ部は日本一に手が届くほど強く、高校で名を馳せた選手も多く在籍していました。強靭な筋肉、見上げるほどの身長、中学生からしたらこんなにかっこいい人たちがいるのかと衝撃を受けました。
伝統の一戦に全身全霊をかける選手。そしてそれを全力で支えるスタッフ。
早慶戦の伝統の重みがわかっていなかった僕は、たかが一試合なのにどうしてここまで熱くなれるんだろうと不思議に思っていました。
その日の試合は息もつかせぬほどの接戦でした。
慶應が決めると、早稲田が決め返す、そんな拮抗した時間は試合終了残り1分まで続いていました。
残り数秒までわからなかった試合も終盤で慶應がリードし見事勝利を収めました。
そして試合終了直後、アリーナを埋め尽くすほどの慶應の観客は立ち上がり、いきなり肩を組み始めました。
一体となった観客達は会場が揺れるほどの声で一斉に若き血を歌い始めたのです。
当時の僕はそんな大事な歌すらうろ覚えで、その雰囲気に驚くことで精一杯でした。
そんな一瞬にも感じた出来事は、伝統ある早慶戦の偉大さを再認識させました。そしてそれと同時に僕の中にある大きな夢ができました。
絶対にあの舞台に立つ、立てなくてもこの若き血を応援席から歌ってやる。
そんな夢を抱えた僕は、叶うまで自分の胸に秘めておこうと決め体育館を後にしました。
一生懸命やっていたはずの中学バスケもなかなか思うように結果が出せずいつのまにか終わりを告げました。
そして当たり前のように高校でもバスケ部に入り、何も考えずバスケだけをしていた僕は、勉学につまづき退部を余儀なくされました。
それでも諦めきれなかった僕は親の反対を押し切りもう一度大学でバスケすることを決意しました。
そこからの生活は簡単に言葉で表せるほど単純なものではありませんでした。
ドリブル、シュート、リバウンド。
スポーツとは上手い人がやるほど簡単そうに見えるものだと思います。
そこがスポーツの面白さであり怖さでもあります。
高校生活のほとんどをバスケに費やしてきた人の群れの中に一度リタイアした下手くそな人間が入るということはその人達に対して侮辱になってしまうのではないだろうか。
そんな恐怖を感じながら入部しました。
もちろんリタイアしたのは自分のせいです。
それは重々わかっているつもりでした。自分がバスケをすることは誰かに迷惑をかけているのではないかという思いを拭えずに大学一年生が過ぎていきました。
何を考えればいいのか自分でもわからず、相談することすらも怯えていた僕はいつのまにか同期とも話せなくなっていました。
今思い返すと自分は本当に甘えていました。
同期が頑張っていることに目を背け自分はどういう立場なのかという大切なことが見えずにいました。
そんな時、僕の同期が選手をやめスタッフに転向するミーティングが開かれました。
その彼は、他の同期の誰よりも足が早く、ウエイトトレーニングを他の誰よりも真剣に取り組んでいました。
こんな僕にも唯一寄り添ってくれた同期でした。自分のことしか考えられずチームから目を背けていた僕は、大切な同期の悩みも聞いてあげられていませんでした。
大学でバスケをする決断だって、彼の中で本当に大きなものだったと思います。そんな自分のことよりも組織のことを考え、出した彼の決断にもっと親身になれたのではないかと今でも後悔しています。
そこから僕は徐々に組織に目を向けていくことができました。
そうやって一人一人がチームのことを考え行動することが結果として生み出され自分に返ってくることを理解していきました。そしていつのまにか僕が点数を決めるよりも同期や後輩が決める点数の方が喜べるようになっていきました。
そこから僕は選手からマネージャーとなることを決意しました。
2019年6月22日
大学4年生の夏が始まろうとする頃、僕の代の早慶戦がやってきました。
前日まで心臓が出そうなくらい緊張していた僕も当日になるとそんなことを考える暇も無いくらい追われていました。
試合が近づくにつれ観客も増え、いよいよ始まるなという思いで選手がアップをするコートを見つめていました。
中学一年生の時に描いた夢が今ここで叶うかもしれない。
そんなことを思い出せるくらい試合直前は、変に気持ちは落ちついていました。毎朝何百本ものシュートを打ち、自分よりも重い重量を挙げ続けてきた選手。
どれだけ選手が努力をしてきたか僕らが一番分かっていたからでしょう。
試合直前、一番緊張しているはずの選手の顔は誰よりも勇ましく、雄々しいものでした。
試合は試合終了まで接戦でした。
残り40秒、30秒と減っていくタイマー。
あんなに数秒が長く感じたことはありません。
ずっとそばで支え続けてきたスタッフ、声を枯らしながら全力で応援し続けてくれた観客の思いは選手達の手によって最後の最後で実を結び勝利することができました。
念願の勝利で胸を躍らせている僕たちの上から若き血は突然聞こえてきました。観客総立ちで皆んなが肩を組みコートの僕たちに向け地面が揺れるほどの声で歌っていました。
それに応えるように僕らも肩を組み勝利を噛みしめました。
中学一年生から描いた夢は想像していたよりも遥かに大きく一生忘れられない景色でした。

終わりに
人生で降りかかるたくさんの選択と決断は、時に突然で、大きなものだったりします。
これまでの僕の人生でもたくさんの選択をしてきました。
その時にはどちらが正しいかなんてわかるはずもありません。
どちらが正しいか否かを深く考えるのではなく、正しくするためにはどういう行動をすべきなのかを考える方が重要であることを部活動から教わりました。
僕はバスケが好きです。
でもそれは今まで関わってくれた沢山の人がそう思わせてくれました。
尊敬できる先輩方、今でもそばにいてくれる同期、支えてくれた後輩、あげればキリがないですが僕にとってはどれもかけがえのない財産です。本当にありがとうございました!
何もすることがなくなった今、あんなに辛かった朝練も今となっては尊く思い、少し寂しい気もします。
同期で過ごした当たり前の時間も今では遠い昔の思い出に感じます。
残念ながら来年三部でやらせることになってしまった後輩には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
でもこれだけは忘れないでほしいと思います。
みんなバスケが大好きでやっていること。
そして何か悩んでいる部員がいたら絶対ひとりにしないこと。
それから今を大切にしてください。
そしてまた最高の景色を見せてください。
後輩たちなら必ずやり遂げてくれると信じています。
偉そうなことばかり言っていますがそろそろ終わりにします。
長くなりましたが読んでくださった方、ありがとうございました。
次回は泉友樹雄(4年生)です!乞うご期待ください!