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勝ちを追い求めることに愚直になれ -眞尾瞳(主将)
2022年1月27日 19:00
私、慶應義塾大学商学部4年ならびに体育会女子バスケットボール部に所属しております眞尾瞳(CN:メイ)と申します。宜しくお願いいたします。
自分らしく ありのままで 個性を大切に
そんな言葉を毎日のようにどこかで見ます。
何が自分らしいのか、ありのままってなんなのか、難しくないですか。
ただ、“自分らしく“を、強要してきて、結局みんなが”自分らしく”を取り繕ってしまわないのかな。
どうも、こじらせている人です。
このブログでは、私なりに4年間で見つけた”自分”と”自分らしくある”ってなんのかを書いていきたいと思います。※一個人の意見です
結論から言うと、自分らしくあるとは、
今本気で思うことのために、価値を追い求めること
だと思います。
自分語りが長くなりますが、もし宜しければ最後まで読んでみてください。
ジャンケンをしたがらない人
バスケットに出会ったのは小学4年生のときです。
それまではヒップホップダンスを習っていました。
何かスポーツを始めようとしていたとき、母親はダンスを勧めてくれました。
理由は、勝ち負けがないから。(大会には出ず、発表会を定期的にやるようなクラブでした)
私は負けることが大嫌いで、ジャンケンでさえもやりたくないと大泣きしていたそうです。
では、何故勝敗のつくバスケットボールを始めたのか。
理由は、小学校の持久走大会で負けるのが嫌だったから。
いや、矛盾がすごい笑
バスケットボールがどんな競技なのかも理解しないまま、とにかく体力をつけるために“走る”要素のあるスポーツを始めようと、近くの少年団に体験に行き、走り回るのが楽しくて、「やってみたい」と始めることに。
できないことができるようになっていくのが楽しくて、いろんな人に褒められるのが嬉しくて、試合に出たい・もっと上手くなりたいと、1年間の両立の末、7年間続けたダンスをやめようと決断したこと、今でも覚えています。
単純な人
負けたくない
それが私の核です。ジャンケンをしたくないと泣きじゃくっていたあの頃から変わっていません。
それでも、小・中・高とバスケットを続けて、負けたこと、目標達成できないこと、山ほどありました。
悔しくて毎回泣いていたし、辛いことのほうが多かったけれど、バスケットをやめたいと思うことは無かったです。
負けることの怖さから逃げていた幼少期とは違って、(ただ、負けることが怖くなくなった訳では決して無く)私は、勝つために一生懸命になることの楽しさに気づいていきました。

OGだと思われていた人
高校卒業時、大学でもバスケットを続けることを決めていた訳ではありません。
アカペラサークルに入って中庭でボイスパッカーションをやる選択肢もあったし・・・いや無かったな。笑 (誰か一緒にハモネプ目指しませんか)
初めて見学に行った日、未だに覚えています。
入学前に日吉に行く機会があり、ついでに練習を覗いてみようと活動場所を検索。
活動場所に出てきた記念館へ向かうと工事中でした。
どこかの体育館借りてやっているのかな、今日は見られないか――
と思っていたら、ボールケースを押して並木道を上がっていく何人かを遠目に発見。
ダッシュで近づいて声を掛け、急遽、練習を見学させてもらうことに。
並木道で声をかけた人がソラさん(梅田香/R3年卒)達だったのは、後から話すと面白いですね。
「貫禄ありすぎてOGだと思っていた」っていうのは、絶対にうそ。笑
脱線しました、ごめんなさい。
会堂で、初めてバスケ部の練習を見学したとき、真面目にバスケットをしている空間にいるのが久しぶりで、「これこれ」と肌で感じたのを覚えています。
練習中と練習後の雰囲気のオンオフが良い意味ではっきりしていて、「これよこれよ」とうなずいたのを覚えています。
結局、私は、勝つために本気で頑張りたい、負けたくないという思いから、体育会に入部しました。
出会いに恵まれた人
私は、勝ちをいつだって追い求めてきました。
勝つことにしか意味など無い、価値など無い。正直、今でもそう思っています。
しかし、大学4年間でのたくさんの出会いと機会が、私の単純な核をいろんな角度から強く深く大きくしてくれました。
大学1年生
「メイは何も考えずに自由にやればいいよ」
と毎日のように言ってくれました。優しすぎる先輩方に戸惑ったけれど、その意味を自分なりに理解したとき、4年生のために本気で3部昇格したいと思えていました。取り繕うことなく、本気で向き合っていたからこそ、私に伝わったのだと思います。「誰かのために」と心から思えたのは、私の成長でした。
大学2年生
「バスケットが楽しくない」
と口に出してしまったこと、今考えれば本当に恥ずかしいです。自分の弱さと向き合うことから逃げていることに気づかせてくれました。そして、私が向き合うことに、自分のことのように一緒に考えてくれました。
誰かのために努力する。それは自分のために。私の核を尊重し、“チーム”を教えてくれました。

大学3年生
「覚悟」
を持たせてくれました。なにかを盾にすることなく、目の前の成果と向き合うこと。“組織としてあるべき理想“、”持つべき責任感“とか胡散臭いものに囚われがちだった自分から、目が覚めました。「覚悟」というスローガンに覚悟を持って進んだ先に、胡散臭さの無い、真の考えや言葉を得ました。
戸惑い、気づき、責任を持った3年間を通じて、ラストシーズンは今までを象徴する1年間になると考えていました。もうあとは自分らしくあるだけ。そんな風に思っていました・・・
自分を見つけ出した人
『2部昇格』
2021シーズンの目標でした。
結果として、達成することはできませんでした。
どうしたら勝つことができるか。どうしたら2部昇格ができるか。
そのことを常に考えて、チームの勝利にとって最善の決断をすること。
そして、その決断を正解にしていくこと。
主将の役目だと思います。
合宿や練習試合ができず、自分達の取組みが正解なのか確認する作業があまりできないままに迎えたリーグ初戦。チームにとって1つのゴールであり、答え合わせでした。
出た答えは、敗北。
敗北に価値などない。価値があるモノにしていくのは自分達次第。
そんなことは分かっていて、だから冷静に要因を考えなくてはいけないことも分かっていました。
次の試合に向けてどうしていくか、前を向かなきゃいけないことなんて理解していました。
それでも、言葉が出てこなかった。考えることさえもできなかった。
やってきたこと、決断、存在、全てが否定されて、自信なんてかけらも持つことができなくて、正気を保つ事さえもできませんでした。
その日の同期ミーティングで、全く話すことができなかったこと。その日からの円集合で、視線が怖くて、手が震えて、何をどう話したら良いか分からなくなって、綺麗事を並べて取り繕っていたこと。未だに鮮明に覚えています。
勝手にみんなの理想の主将を想像して、バランスのとれた人でいようと、勝手に自分の中で仲間を忖度している自分。
別に誰も私に辛さを共感してもらおうなんて思ってないのに。
みんなの顔色うかがって、当たり障りの無い綺麗事並べて話している自分。
別に綺麗な偽物に心動く人なんていないのに。
そんな自分に自分で気がついて、自分が自分で嫌になりました。
どうしたら2部昇格ができるか、ではなく、どうしたらみんなを傷つけないか
そんな無駄なことばかり考えている自分に腹が立ちました。
それは思い遣りでも何でも無くて、反対に、仲間を裏切っていることになることに気がついて、情けなくなりました。
自分の核・魂を、この手で勝手に売っていることが悲しくなりました。
私は、ただこのチームで2部昇格がしたい。その勝ち(価値)を追い求めるためにやっているんだ。
美しい一瞬一瞬に戻ってこられなかったかもしれない私を救ってくれたのは、紛れもなくチームメイト全員です。
同期が、私の魂を取り戻してくれました。
勝ちたいの一心で突き進む道を作ってくれました。
後輩が、私の魂を奮い立たせてくれました。
誰1人として諦めることなく、チームの勝利へ向かって、それぞれが価値(勝ち)を追い求める姿勢がありました。
私は、自分のことを自分で分かっていませんでした。
そして、仲間のことを分かっていませんでした。
全員が全力で勝利に向き合い、自分の役割に向き合い、全うしてくれていました。
そこには、本当の意味でのチームがありました。
私は、自分がどうとか関係なく、このチームで勝ちたいと心から思っていました。
みんなのために2部昇格がしたい。
心からの言葉に変化が生まれ、今度は偽物ではなく、真のこもった「誰かのため」でした。
改めて、結果はグループリーグ2敗5勝、順位決定リーグ2勝で、3部7位に終わりました。
追い求めてきた価値には届かず、本当に悔しいです。
ラストシーズン、振り返れば、まさに集大成でした。
勝利こそが価値であることを受け入れ続けて3年間で得たヒントを活用し続けられなかった弱さは、私の伸びしろだと、引退して1ヶ月経った今、本気で思えるようになりました。
そして、戸惑い気づき、結果を本気で求めてきたからこそ、今、過程を振り返れば、自分を肯定できなかったあの時期を肯定できる気がします。
過程に価値があるかどうかなんて、全てが終わったときにしか分からないのだと思います。
どうしたら勝つことができるか。どうしたら2部昇格ができるか。
そのことをみんなは常に考えて、私がチームの勝利にとって最善を決断できるように、そして、その決断を正解にしていくために、必死に努力をしてくれました。
私は強くなんかありませんでした。勝ちたいの一心で、強くあろうとしただけです。
そして、強くあろうとし続けられたのは、みんなに救われ支えられたからです。
たとえ2部昇格達成の可能性が無くなっても、勝ち(価値)を追い求めて決断することができました。
最後まで、毎日を全力で戦い、価値を求めて進化することができました。
本当に感謝してもしきれません。
今、本気で思えることのために、勝ち(価値)を追い求めていく過程は本当に楽しかったです。

体育会の人
自分らしく ありのままで 個性を大切に
そんな風に個が謳われる現代。自己犠牲が正義とされてきた体育会は、もしかしたら現代的では無いのかもしれません。
しかし、私は、体育会での4年間で、それぞれが今本気に思えることを動機に、それぞれが勝ち(価値)を追い求めることが、強いチームをつくると学んだ気がします。
そして、それは、チームであるからこそできることだと思います。
自分らしくあるには、最高な日も最悪な日も、自分の心からの言葉に耳を傾け、そして、その心の声を話すことができる仲間を持つこと。それぞれが今本気で思えることのために、それぞれの価値を追い求めること。
本気で価値(勝ち)を追い求めていくと、出会いと機会に恵まれ、自分が大切にしたい価値が変化していくと思います。
人間の価値観なんて固定しておらず進化していくものだから、今本気で思えることを大切に、それに向き合って、感情を動かしていきたい。
頭ではなく心で語り合える仲間を大切にしたい。
それが本当の強さとなり、進化をもたらすと思う。

何かを本気で思い、価値を追い求めることって本当に辛くて苦しいことだけど、それ以上に
美しいこと楽しいことだと思います。
私は体育会での4年間を、ガラクタにも埃にまみれた宝物にもすることなく、伸びしろに、そしてヒントにして、これからも価値を追い求めていきます。
最後に
コロナウイルスの影響で厳しい社会情勢の中、全力で毎日を戦う抜くことができたことを誇りに思います。
体育会バスケットボール部を通じて関わった全ての皆様、様々な形で応援してくださった皆様に感謝します。
本当にありがとうございました。
今後とも、慶應大学体育会バスケットボール部を宜しくお願いいたします。
4年間の記録 -中島花(副将)
2022年1月25日 19:00
慶應義塾大学環境情報学部4年ならびに体育会女子バスケットボール部の中島花(CN:ルイ)と申します。拙い文章ですが、自分の想いを綴らせていただきます。最後まで読んでいただけると幸いです。
昨年11月、小学6年生から始めたバスケ生活に終止符を打ちました。バスケを始めたきっかけは転校した小学校にバスケ部しかなかったからです。始めは行くのも嫌でサボろうとしていた私が、当時のミニバスのチームの中で唯一バスケを続けている最後の1人になりました。ここまで続けてこられたのはバスケが好きだからという理由一つです。その時バスケの面白さを教えてくださった先生とチームメイトへの感謝もこめてこのブログを始めさせていただきます。
私は9月入学のため、途中入部という形で体育会に入りました。そして、私の大学バスケは前十字靭帯再建手術から始まりました。高校で痛めた膝を治すことからのスタートで、なかなかコートに立つことはできませんでした。
プレーできないにも関わらず4月ではなく9月入学での途中入部を選んだ理由は二つあります。一つは当時の4年生と同じチームになりたいと思ったからです。私が高校3年生の時に見学させていただき、大学バスケに刺激を受け、この方々と一緒にバスケをしたいと思いました。同じチームにいられた時間は短かったですが、チームメイトとして3部昇格の瞬間を共に過ごせたことを心から嬉しく思っています。
もう一つはこの代に入りたかったからです。私はメイ(眞尾瞳/商学部)たちが1年生の時の早慶戦を観客席から見ていました。そのとき既に1年生の2人がスターティングメンバーでプレーしているのを見て、あの子達と同じ代に入れたらどんなに楽しいだろうとワクワクしたのを今でも覚えています。大きな舞台で堂々とプレーする姿は本当にかっこよく、その時からずっと憧れていたんだと思います。
ここからは入部後の話をさせていただきます。
冒頭でもお話ししたとおり途中入部だったので、既に仲が良い同期の輪に飛び込むのはとても勇気のいることでした。特に当時「1年生は仲が良い」と先輩から聞いていたので自分が入ることで乱してしまわないか、受け入れてもらえるのか不安でいっぱいでした。しかし、同じ高校からお世話になっていたソラさん(梅田香/R2卒)ナミさん(小福川莉奈/R2卒)が気にかけてくださり、同期とも少しずつ溶け込めるようになりました。少し異例なケースでの入部を同期は快く受け入れてくれました。簡単に書いてしまいましたが、この時嫌な顔一つみせず迎え入れてくれた同期がいてくれたから今の自分がいると思っています。まだ私のバスケも、私自身のことも知らなかったのにすぐに歩み寄ってくれた同期には感謝してもしきれません。

この4年間私はベストコンディションでバスケをすることができませんでした。怪我を何度も繰り返すというよりは手術した膝の痛みが消えることがなかったからです。そして膝を庇おうとして別のところを痛める、負の連鎖でした。痛い箇所がないことはない。プレイヤーとしては致命傷です。もちろん調子がいい時もありましたが、これからだという時にまた疲労が溜まって大きな痛みになる。その繰り返しでした。全て自己責任なので私の「自己管理不足」の一言に尽きますが、それでもやるせない気持ちは積もるばかりでした。リハビリに通っても注射を打っても痛みがなくならない、思うように動かせない、自分の情けなさに腹が立つと同時にこんな中途半端なやつがコートにいていいのかと自信をなくすことが多くありました。そのたびに、自分がこのチームにいる存在意義を考えるようになりました。
ありがたいことにミニバスから試合に出させていただいていた私はコートに立つことの難しさに直面し、大学2年生の頃バスケをする意味がわからなくなったことがあります。なぜ自分はバスケをしたいのか何のためにバスケをしているのか考えた時、1番に出てきたのはやはり、バスケットボールというスポーツが好きだからでした。しかし、コートに立てないのなら意味がないのではないかと、葛藤する時期もありました。その中で、自分のモチベーションは「誰かのモチベーションになること」だと気づきました。存在意義の話にも繋がりますが、誰かの頑張る糧になることが自分の頑張れる理由になると感じたからです。「ルイが頑張っていたから頑張ろうと思えた」と言われるだけでもっと努力しようと思えました。試合で貢献できない分、練習でどれだけ自分を魅せてチームに貢献できるか考え続けた1年でした。
自分のやることが明確になったことで3年生からはチームへの関わり方が変わりました。練習に取り組む姿勢、そして何よりもバスケを楽しむことを忘れないということを意識してプレーするようになりました。スキルに大きな差はありませんでしたが、気持ちの面でプレーに余裕が出たと感じています。少しずつ周りを見られるようになりました。間違っていると思った時に指摘するのもそうですが、楽しいと思ったことをチームメイトに共有することを特に心がけていました。この楽しい瞬間を忘れてはいけないと思っていたからです。また、誰かに見ていて欲しければまずは自分が人に関心を持って思ったことを伝えなければいけないと思い、とにかく話しかけることを意識していました。考えるだけではなく行動に移すことで成長できた1年だったと思います。
そして4年生、最後の年は濃く、本当にあっという間でした。最後の年もコロナの影響で思い描いていた1年ではありませんでしたが、ここまでどれだけの人に支えられてきたか、どれだけ恵まれていたか、改めて感じることができました。
最上級生になってチームを作る中で役割分担の大切さを再認識できました。個性の違う5人だからこそ作れたチームだと思っています。常に前を走って背中を見せる人、全体のバランスを見ている人、小さな変化に気づく人、雰囲気を作る人、横のつながりを見る人。全員でお互いを支えながら大きく進化できたチームでした。目標には届きませんでしたが、届きそうだったからこそ心から悔しいと思うことができています。4部から始まったチームが2部昇格を目指すまでに成長しました。この進化を自信に変えて来年以降、後輩に託します。

また、今年は副将として主将のサポートはもちろんですが、違うと思ったことをストレートに指摘することを心がけていました。影響力のある主将だったからこそ、私は否定の視点から入ることを意識しました。ストイックで真面目な彼女を指摘することはほとんどありませんでしたが、何でも話せるいい関係を築けたと思っています。そして私自身、後輩の声に救われた1年でした。同じ状況で葛藤する後輩からもらう言葉は私の原動力となりました。最後まで信じてついてきてくれてありがとう。誰1人欠けてはいけないと自信を持って言える同期、後輩に出会えたことを心から幸せに思います。
この4年間を通して体育会女子バスケ部で得たものは思考力と繋がりです。何か課題があげられるたび「なぜ」「どうして」「どうすれば」と細かく分解して考える癖がつきました。これは何度もミーティングを重ねて互いに意見をぶつけてきたからです。自分の意見を突き通すのではなく、自分と考えが違う人はなぜそう思うのかを話し、寄り添いあって結論を出すことができるようになりました。そして歴史ある体育会バスケ部に所属したことでOG・OBの方々と関わる機会をいただいたり、他部活と交流したりすることができました。たくさんの繋がりを提供してくださったバスケ部に感謝しています。

最後にこの場をお借りして感謝とともに尊敬できる同期を自慢させていただきます。ずば抜けたキャプテンシーを持ったメイ(眞尾瞳/商4)は誰よりも責任感が強く妥協を許さないプレイヤーの鏡でした。最初から最後まで先頭に立って走るのは不安でいっぱいだったと思います。それでも堂々と引っ張ってくれて本当にありがとう。副将として隣にいられたことを誇りに思います。誰よりも冷静に物事を判断するハク(武藤怜/商4)にはたくさん助けられました。敏感が故に苦しんだことも少なくないと思います。いつも気にかけてくれて、手を差し伸べてくれて本当にありがとう。ムードメーカーとしてチームを明るくしてくれたリン(西理奈/法4)、同期5人でコートに立つことを信じ続けてくれて本当にありがとう。リンの貪欲さは私に刺激をくれて、バスケに対する熱意を本当に尊敬していました。そしていつでも優しい笑顔で和ませてくれたエマ(ビディンガー美亜/商4)、思うようにバスケができない時、一番近くにいてくれて本当にありがとう。辛い顔をみせず、温かくそばにいてくれたから最後まで走りきれました。最後一緒にコートに立てて嬉しかったです。

ここまで長々と書かせていただきましたが、11年間続けてきて結局思うのは「バスケットボールは面白い」ということです。バスケに「絶対」はなく、最後の1秒までどうなるかわからない、ワクワクドキドキする面白いスポーツです。見るのも面白いですが、自分がチームメイトとうまく合わせられた時のあの感覚はたまりません。その一瞬を味わうためにここまでバスケを続けてきたと言っても過言ではありません。それぐらいプレーしていて楽しいスポーツでした。大好きなスポーツを通して繋がれた先輩、後輩、同期、そして経験できた感情、どれも私にとっては一生の財産です。バスケットボールというスポーツに出会えて本当によかったです。最高に楽しいバスケ人生でした。
これからまた新しく熱くなれるものを探し、さらに成長していきます。これまで支えてくださり本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願い致します。今度はOGという立場で慶應バスケ部のサポートをしていきます。これからも慶應バスケ部の応援よろしくお願いします。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
自分とチームと自信 -武藤怜
2022年1月23日 19:00
慶應義塾大学商学部4年ならびに体育会女子バスケットボール部の武藤怜(CN:ハク)と申します。どうぞ宜しくお願い致します。
これまでの4年間、感染症の流行等で先行きが危ぶまれることもございましたが、無事に活動を終えることができました。これらは全てOBOGの皆様・学連をはじめとした関係者の方のご尽力があったからこそだと思います。本当に感謝しております。誠にありがとうございました。
引退して1ヶ月が経ち、これまでのハードな日常とは程遠い生活を送る私ですが、とうとうこのブログを書く時が来たのかと引退をより強く実感しております。これまで多くの先輩方の引退ブログを読み、沢山の刺激を貰っていました。そんな先輩方のように何かを伝えられるようなものになるかは分かりませんが、自分の想いを精一杯綴ってみようと思います。
言葉にすることが下手であるのと、4年間をギュッと詰めた引退ブログということで、拙い文章にはなりますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
私は慶應女子バスケ部での4年間において、「自信を持つことの大切さ」を学びました。
自信を持つとパフォーマンスが安定し、局面で粘り強さに変わる。何を今更、と思う方もいらっしゃるかと思いますが、私の中でこの「自信」こそ1番必要としており、その重要性を強く実感してきました。
私は有難いことに、小学校でバスケットボールを始めてから、中・高・大学と入部してすぐに試合に出場させていただき、物凄く恵まれた環境でバスケットボールをしてきました。中学ではミニバスから一緒に過ごしてきた仲間たちとがむしゃらに上を目指し、高校ではバスケ経験に関係なく全員で楽しみながら勝利を目指し、大学では試合出場の有無に関係なく自分の立場や強みを見つけて目標達成を目指す。「恵まれた環境」という言葉がぴったりな程、私は理想的な形で熱心にバスケットボールに打ち込むことができていました。

特に大学では、サークルに不向きな性格であったことと、色々なご縁があって入部を決めましたが、入部当初から引退する最後まで本質を徹底的に捉えて思考し続ける仲間の姿に圧倒されました。それぞれが強い軸を持ちながらも柔らかさとしなやかさを身につけていて、私は出会った1人ひとりを尊敬しています。自分の努力や結果云々よりも素敵な仲間に出会えたことが私の財産です。
もとより私は謙虚すぎてしまう性格というのでしょうか(自分で言うのも何ですが)、自分に自信を持つことが下手でした。というのも、これまで何かと周囲の期待に応えて物事を上手く進めてきたことが多く、ある程度の努力を費やしていても心から自信を持ってやり切ったと言えることが少なかったのかもしれません。
大学で入部したバスケ部は、先述したとおり自立した頼もしい仲間ばかりで、その一員になったからには先輩方みたいに頑張らないと…、と焦りがありました。また、誰しもがチームのために思考し努力し続けるチームの中で、1年生からスターティングメンバーとして試合に出場することは、チームを背負う大きな責任があり、どうにかしてでもその責任と応援してくれる周囲の期待に応えたいという強い想いがありました。
そのため、大事な試合でシューターなのにシュートを決めきれない時や、仲間に引っ張ってもらってばかりだと実感した時は、「責任を全うできていない」と自分の自信を失ってしまいがちでした。特に3年生のシーズン、「3部1・2位リーグ進出」を懸けたリーグ期では、試合に出なくともチームを牽引する強さを教えてくれた4年生のために同期や後輩がコート内外で奮闘する中、「自分は何も貢献できていないのではないか」と仲間と比較しては不安になり、貰った言葉をネガティブに捉えてしまう程、焦りと葛藤で心が落ちてしまっていました。
今なら「上手くいかない時も楽しめ!」なんてポジティブに思いますが、当時はそれでも精一杯で、振り返ると本当にだめだめなプレイヤーでした。(笑)
そんな3年生のリーグ期が、バスケットボール生活の、いや、人生における発想の転換期になりました。ある日、練習に来てくださったリサさん(梅木理沙/R1卒)が私の様子を見て、言葉をかけてくれました。「もっと自分に自信を持って!ハクはハクだよ。」と。
私は、その言葉に心救われて、周囲の期待や責任を一回置いて、自分がどういうプレイヤーでありたいのかを改めて確認することができました。そこで色々と考えた結果、不足していたのがやはり自信であり、私は自信をつけるために、特に2つのことを意識するようになりました。
1つ目は、「自分の軸をぶらさないこと」です。
シュートが入らない・チームでの立ち位置が分からないなど困難が生じた時に、その目先の困難や課題だけに焦点を当てて、いつしか自分の軸を忘れて理想ばかりを追っていました。だからこそ、自分の理想にそぐわない時はかなり落ち込むし、安定しなかったのだと思います。しかしながら、自分がやるべき最低限のことは常に力を入れ、一定の高いパフォーマンスを維持し続けることで、自分を安定させることができると気づきました。
私の場合は、様々なポジションを経験しようとも、中学生の時から一貫して続けてきた泥臭いデフェンスやルーズボール、チームの盛り上げなど、そういった誰でも出来る部分を誰よりも頑張ることが軸であると気づき、それを全うすることに力を入れてきました。
また、その軸を自分自身が客観的に捉えることも非常に重要だと実感しました。当時の私は、周囲の評価や頑張る仲間と自分を比較することで、自信を失うきっかけを自ら作ってしまっていました。もちろん「チームのための自分の軸」でありその成果を求めることが前提ですが、その軸を改めて自分で捉え直した時にぱっと道が開けて、「これで良いかな…」と出来具合を周囲に委ねるのではなく、「チームのために自分がこれをするのが良い」と自信を持って言えるようになったのです。
これは自分のことに限らず、チームが不安定になった時も同じであると思います。最上級生の私たちは「2部昇格」「全進」という目標とスローガンを掲げて取り組んできた際に、あらゆる判断やルールは全てその軸に基づいていました。いっときの感情や状況に揺さぶられてしまいそうな時も、主将のメイ(眞尾瞳/商4)や副将のルイ(中島花/環境4)を中心とした同期が軸をぶらさなかったことで、ここまで来ることができました。
2つ目は、「良い部分を良い!と言うこと」です。
良くない状況の時は、つい反省点ばかりに目を向けがちで、良かった点を見直すことを忘れてしまいます。これは、自分が上手くいかない時によくあったことで、チームがなかなか上向きにならない時もチーム全体としてネガティブな視点を持ってしまう傾向にありました。ミスが多く雰囲気の悪い練習をしてしまったある日、何人かの後輩が「良くない練習だったけれど、全てが悪かったわけじゃない!」とチームを鼓舞してくれたことがありました。毎日の練習の積み重ねが結果に表れるからこそ、「良い」「悪い」をしっかりと区別して、良かったことも蓄積して自信に変えていくことがとても大事だと実感しました。
私はこの4年間を通じて、チームに良い貢献をするために、自分の自信をつける大切さとその方法を学んできました。これまで試合終了前のラストシュートを打てる自信がなかった私が、引退試合のラストシュートを決め切ることができたのは、大きな進歩だったと感じています。
さて、これまでの話を通じて後輩の皆に何を伝えたかったかというと、「自分の自信を大切にしてほしい」ということです。
チームスポーツをする私たちは、常に変化するチームでの存在意義を問いかけ続ける分、現状の自分を否定的にみることが多いと思います。ただ、皆には変わらない根からの良さがあり、そこにもっと自信を持って欲しい。そして、それを仲間同士で気づかせ合うことが出来るのが、チームスポーツの良さであると思います。
また、自信を持ってプレーすることは、自分を安定させ、最高のパフォーマンスを発揮することに繋がります。それはチームの責任を全うし、仲間を信じることでもあります。くさいことを言うようですが、5人しか立てないコートで自信を持ってプレーすることは、自分に期待してくれているスタッフや仲間の想いを信じることであり、極論仲間の自信を背負っていると言っても過言ではないと思います。
「チームのために自分の自信をつけてきた私」は、なんだか自分勝手で色々と矛盾している気もしますが、それをさせてもらえる恵まれた環境にあったことを改めて感謝するばかりです。
また、私が自信を持つことができた裏には、いつも同期・先輩・後輩沢山の仲間の存在がありました。いつも沢山声をかけてくれて、試合前に絶対に笑わせてくれて、時には厳しい言葉を素直に伝えてくれて。自分が支えられていたことを挙げると本当にキリがないですが、常に支えられていたからこそ、ここまで来ることができました。

引退ブログってこんな内容を書くものだっけ…と思いながらも、自分の話かつ恐らく当たり前な話ばかりしてきました。自信について豪語してきた私ですが、まだまだ未熟で身の引き締まる思いです。
ここで、少しにはなりますが、お世話になった皆様に感謝の気持ちを伝えます。
いつも私たちの活動を温かく見守って沢山ご支援してくださったOGの皆様、物凄くわがままな私たちの意見を常に尊重してくださったスタッフの皆様、私たちが「2部昇格」という高い目標を真っ直ぐ目指すために、常に高い目標を掲げバトンを繋いでくださった先輩方、前を向き続ける私たちのためにと、常に全員で進化し続けコート内外で引っ張ってくれた後輩の皆、チームの魅力を全力発信するために試合期も欠かさず投稿してくれていた広報班、いつも誰よりも応援して支えてくれた家族、本当にありがとうございました。

そして、「2部昇格」という言葉を口にし続け、どんな時も5人で手を取って乗り越えてきた同期、本当にありがとう!これからもよろしく。
4年間を思い返すと、2部昇格という目標を達成できなかったことが本当に悔しいですが、この想いは後輩に託したいと思います。先日の慶関戦で初勝利を掴み取った後輩の姿はとても輝かしくて、とても嬉しかったです。これからは、もっと強いチームを作っていく後輩たちを、私自身も少しでも支えていけるよう努めて参ります。
皆、自信を持って頑張って!精一杯愉しんで!

長々と拙い文章を失礼いたしました。最後までお付き合いいただいた皆様、これまで支えてくださった皆様、本当にありがとうございました。
次シーズンも慶應女子バスケ部の応援をよろしくお願いいたします!
4年間の記憶 -西理奈
2022年1月21日 18:48
慶應義塾大学法学部政治学科4年並びに体育会大学女子バスケットボール部の西理奈と申します。11月末に引退し、はや1ヶ月が経ちました。そして、現役の頃から恐れていた引退ブログの順番が回ってきました。自分の4年間をどのように綴ろうか、書き始めた今でもよくわかっていませんし、前回のブログで諸々を書き切ってしまいました。ですので、確実に拙い文章になります。最後までお付き合いいただけると幸いです。
4年間を綴るにあたって、私の感情ベースの話になるので、チームとは別軸のものだと捉えていただきたいです。
私の4年間は、無駄な劣等感と「どうにかなる」という根拠のない自信で全て説明ができます。というよりかは、劣等感しかなかったから、根拠のない自信がないとやっていけなかったと表現するほうが正確かもしれません。
私が、大学でバスケ部に入部しようと思った理由は、他の部員のように早慶戦に憧れてとか、自分を成長させたくてといった崇高な理由があったわけではありません。中学のときに1番下手くそで、ただそれが悔しかったからです。同じ理由で、高校も大学もバスケを続けました。下手くそだからです。「リバウンド以外ボールを触るな。」と言われ続け、それを引きずっていましたが、今考えるとそれは真理でした笑
そんな理由で入部し、1年生を過ごします。私のモチベーションは悔しさなのですが、大学でその悔しさになるものは、1年生の時の入れ替え戦でした。
ありがたいことに、1年生の頃から試合に絡むことができ、入れ替え戦も交代選手として経験しました。同期の2人がスタートとして活躍する中で、私は交代としてコートに立ち、何もできずにベンチに戻りました。無事入れ替え戦に勝利し、目標であった3部昇格を果たしチームが歓喜に包まれる中、私は自分のことしか考えられず、勝利を素直に喜ぶことができませんでした。コートで全く使い物にならなかった悔しさと、4年生がずっと望んできた勝利を素直に喜べない申し訳なさでいっぱいで、涙が止まりませんでした。試合に全く出られなかった中学時代より余裕で悔しかったです。側から見ると、大したことではないですが、私はこの悔しさを2度と味わいたくないと本気で思いました。チームと一緒に喜びたいと思いました。

だからこそ、2年生のリーグでスタートとして起用してもらったことは、自分の中ではすごく大きなことでした。ですが、やはり大事な場面で頼りなく、頑張りかたも分からず、たくさん迷惑をかけました。結局、自分のことでいっぱいいっぱいで、誰にも気を使えず、周りに助けられっぱなしで、周りに甘えっぱなしの、弱さしか見えない1年でした。
ここまでを読み返すとすごく私はネガティブな人間だなと思うのですが、私は窮地(?)に立つとなぜか急に余裕が出てきます。勉強していない教科の試験前に出てくる謎の自信に近い余裕です。おそらく開き直っているだけなのですが、2年生のシーズンが終わったあたりで突然「もう自分苦手なことしかないんだから、得意なことだけすれば良くね?」となり、できないことにフォーカスを置くことを辞めました。
もちろん、できないことをできるようになろうとする努力を辞めるわけではありません。ですが、「できることを誰よりもすれば、それはそれでいいんじゃないか」と開き直りました。今考えると、本当に無責任な考えで、自分に割と引いているのですが、個人的には自分の得意なことに目を向けるようになったのは、大きなターニングポイントだったのではないかと思います。

3年生のシーズンも至らない点ばかりでしたが、部に対する考え方や視野が変わった一年でした。今までの自分がどれだけ未熟で、どれだけ自己中心的だったかを改めて感じ、恥ずかしくなりました。
勝利のために、チームのために、4年生のために、何がベストなのか、たくさん考えました。そして、たくさん生意気なことを4年生に言いました。それでも、私たちを受け入れてくれて、信じてくれて、4年生の覚悟の大きさに圧倒されないように、結果を出すことに拘りました。先輩方の思いを知っていたからこそ、結果を求めました。4年生が信じてくれたから、初めて自信を持って勝利のために、自分はどうするのかを体現できた1年でした。目標達成した時に、チームの感情と自分の感情が同じで、私はこのチームに本当にいたんだなと、感じました。

「全進」のスローガンの下で、2部昇格を掲げ、最後のシーズンが始まりました。嫌というほどミーティングを繰り返しました。正直、4年生は死ぬほど長かったです。試合に出ることが怖かったし、大好きなはずのバスケをしたくない瞬間もたくさんありました。
でも、部員の誰かを思い浮かべると、頑張れない理由が分からないくらい、「全進」していました。それくらいみんなの熱量がすごくて、全員が頼もしかったです。だから、結果が残せなかったのは申し訳ないし、本当に悔しいです。
4年間を振り返り、1・2年生の頃は表に劣等感があり、それを埋め合わせるための投げやりで他人任せな持つべきでない自信に縋り付いていました。ですが、3・4年生の時の自信は、実際どうだったかは別として、自分でどうにかできるという、自分主体の自信だったと思います。その奥に劣等感があり、チームが勝つために自分がしないといけないという、自分を動かす力になっていました。考え方を変えられたのは、今まで関わってきてくださった方々がいたからです。本当にありがとうございます。
私は捻くれているので、信じるべき人を信じなかったり、頼るべき人に頼らなかったり、自分は1人で頑張らないといけない人だと思って、意地を張っていたり、そんなことばかりでした。だから、もっと周りを巻き込めたんじゃないかとか、もっと上手くできたんじゃないかとか、たくさんのたらればが出てきます。それがたくさんの後悔になるのが怖くて、引退してからは自分の引退試合のビデオも写真も見返していません。これは決して自分の4年間が満足じゃなかったわけでも、不満だったわけでもないです。むしろ、部活に入ってよかったとしか思わないし、本当に充実した4年間でした。
これは本当に人に恵まれたからだと思います。関わってくださった方々には、どれだけ感謝しても、感謝しきれないです。私は全く器用ではありません。その代わりに、脚力だけは誰にも負けたくないと思っていました。この不器用さを面白がってくれた、同期や先輩・後輩には感謝しかないです。ありがとうございました。
シーズンが始まる頃は「2部いけたらまじいけてね」など、調子に乗ったことを話していました。ですが、結果は2部には果てしなく遠い結果でした。
嬉しいことに「いいチームだった」と言っていただく機会が多くありました。ですが、結果を残せなかった事実は変わりません。どんなに良いチームだったと言われても、それ以上に結果が残せなかった悔しさが大きく、引退後に結局自分たちは何を残せたのかと考えることもありました。どんなにいいチームだったと言っていただいても、自分達の結果が悔しくて満足できない、負けず嫌いで結果に妥協のない同期が同期で本当によかったです。
何を考えても、結局は同期に出会えたことに落ち着くことに気付きました。同期への感謝は、たくさんあるのでまた今度直接言わせてください。
引退後に、多くの友人に言われて気付いたのですが、多分私はバスケと、バスケを好きな人が好きなのだと思います。先程下手くそだからとか色々書きましたが、結局はバスケが好きで部活に入ったのだと思います。私は、大学に入るまで人に頼ることが苦手でした。ですが、大学に入ってからは、本当にたくさんの人の優しさに甘え、たくさんの人に助けられ、4年間を乗り越えることができました。いつでも頼らせてくださる器の大きすぎる先輩方や、いつでも頼もしい同期、そして、だる絡みしても許してくれる後輩に出会えたことは、本当に人生の財産だと強く思います。経験した4つのチーム、どのチームもほんっとうに大好きでした。

支離滅裂な文章となりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。散々、弱音も愚痴も言いまくっていましたが、この4年間で経験した苦しさも悩みも、楽しかったことも、悔しかったことも全部財産です。1つ1つがあってこそ、今の自分がいます。
そして、周りの人たちがいなければ、乗り越えられなかったことばかりです。社会人スタッフの方々をはじめ、O B・O Gの方々、先輩方、部活を通し関わってくださった方々への感謝はどれだけしても、足りません。これからは、この気持ちをO Gとしてバスケットボール部に返していきたいと思います。本当にありがとうございました。
4年間を通じて –ビディンガー美亜
2022年1月19日 19:20
慶應義塾大学商学部4年ならびに体育会女子バスケットボール部のビディンガー美亜(CN:エマ)です。引退ブログというものが2年前に始まって以来、自分には何が書けるのか、何が残せるのかということを考え続けてきました。もうあっという間に自分の番になったと思うと感慨深いです。4年間の振り返りを自分なりに綴ってみたいと思います。
拙い文章にはなりますが、お付き合いいただけると幸いです。
4年間、私は人に支えてもらってばかりいました。4年間どの瞬間を振り返っても、誰かの言動に影響され、支えられてきました。
まず、大学受験を頑張れたのは、同じ地区で戦ってきた中等部バスケ部の人々への憧れがあり、慶應にいきたいという気持ちが強かったからでした。また、体育会に入ると決めたのも、練習を見学して全員が本気で取り組んでいる姿に魅了されただけでなく、当時1年生だった私に4年生の先輩が声をかけてくださり体育会の良さを説得してくださったからでした。中学高校と6年間怪我に悩まされたこともあり、マネージャーとして入部したのですが、やはりバスケがしたいと考えていたときに「バスケやりなよ」とずっと憧れてきた先輩や練習に来てくださった社会人の方々に声をかけていただき、入部して3ヶ月後にプレイヤーへ転向することを決心しました。
このようにして大学のバスケ生活が始まったのですが、始まってからも沢山の人の姿を見て多くのことを学んできました。苦しさを見せず自分のやるべきことを全うしチームを率いる先輩。怪我による長期離脱で複雑な想いを抱えながらもチームを第一に考えて様々な方面からチームに貢献する先輩。一番上手い人が一番努力している組織はおかしいと言い自主練に励む先輩。チームのためにと学年も立場も関係なく意見をぶつけ合う姿。いろんな姿を見て、「体育会とはこうあるべきなんだ」と学んだと同時に、〇〇さんはこうしていたから私もこう頑張る、と勇気づけられていました。
では、自分はどんな姿を先輩、後輩、同期に見せられていただろうか。
私はというと、4年間の中で、私が全体練習に混ざれたのは21ヶ月間でした。プレイヤーになり全体練習に2回参加したのち、完治8ヶ月の怪我をしました。復帰してから半年後になっても、「まだ足が不安定だから試合には出せない」と言われました。やっと怪我を気にせずプレーできると感じられた頃に肉離れを起こし、その上全体練習に復帰予定の前日に違う部分を骨折し、復帰が遠のいたこともありました。
「自分は何故こうなってしまうのだろう」「本当にプレイヤーになってよかったのだろうか?」と何度も悩みました。3年ぶりのスタッフとして入部したこともあって、自分がプレイヤーになった時点でチームに迷惑をかけているのに、プレーができない自分には価値があるのだろうか、と考えていました。
そんな私を救ってくれたのは、先輩方の姿、そして支え続けてくれた同期の存在、一緒にバスケがしたいと声をかけてくれる後輩の存在でした。プレーができなくてもプレイヤーとして貢献することができると示してくれた先輩方に感謝しています。コートの外から声をかけ続けること、プレイヤーとしてリハビリやトレーニングに専念すること。何をすることがチームのためになるのか、常に照らし合わせながら行動し続けるようになりました。後輩であった私が沢山意見しても耳を傾けてくださった先輩方には本当に感謝しています。

また、体育会であるということ自体も私を救ってくれていたと思います。どんなことがあろうとやるべきことは目標のために努力するだけ、という事実が、よそ見をせずに前を向けた理由だと思います。コートから離れ、皆からも自分が離れていく感覚が怖くても、やるしかない、と思わせてくれた環境、そして組織があったことが救いでした。
このようにして1年生から3年生の間は、前を向き続けることができました。間違っていると思ったものには正面からぶつかり、周りに助けてもらい、正しいと思えるものを模索し続けていました。
自分にとって偉大であった先輩方が引退し、とうとう自分たちの代に変わってすぐ、自分に異変を感じました。同期にも様子がおかしいと指摘され、3年の2月に病院に行くと、鬱病であると診断されました。新型コロナウイルスの影響で2月はオンラインでミーティングやトレーニングをしており、3月から対面での練習が再開されたのですが、自分がどうなっていくのか不安でした。人前では普通でいられると思い、練習も通常通り参加することで後輩には知られないだろうと思い、同期のサポートの中で参加していました。しかし上手くはいかず、練習中に自分に何か言われているのに聞こえない、頭が動かない、練習が怖いという状態で、練習中にパニックに陥ることもありました。薬を減らせるようになるまでの半年間は、朝起きて、ひとしきり泣いて落ち着いてから練習に向かう、という習慣がついていました。
こんな状態だったのにも関わらず、バスケをしていない自分が怖い、という自分本位な理由で続けていたのですがやはり周りには迷惑しかかけておらず、4年間で初めて部活を辞めようか悩みました。2021年度はチームとして思考するバスケを掲げていたこともあり、自分は頭が使えないのならここにいる資格はない、2部昇格という目標の邪魔になるだけだと思っていました。
しかし、そのままの自分でいいと言い続けてくれた同期の存在や、こんな形で終わらせたくない、先輩方のように私も何か残したい、という気持ちから留まることを決めました。そして、一年生の頃から試合に出続けている同期のように結果で責任を負うことはできないし、サポートしてくれている人が沢山いるからこそ、自分はただ愚直にプレイヤーとしての役割を全うしよう、バスケに本気で取り組んで本気で楽しむという人になろうと決心しました。

ここで、上記の疑問に戻ります。私は、どんな姿を見せられたのだろうか。どんな役割を果たせたのだろうか。果たして1から3年生のうちでどのくらい成長して、最後4年生として意地を見せられたのだろうか。
どうだったかはわかりませんが、何かポジティブな影響を周りに与えられていたらと思うばかりです。
ここまでずっと自分自身の話をしてきました。差し出がましいですが、後輩に伝えたいことが二点あります。
まず自分がもった感情を大事にし、それを周りに共有してください。以前三年生とのミーティングで「極論勝つためには私たちの感情は邪魔で、やるしかない」という話をしました。体育会である以上結果が全てなので、それは正しいと思っています。しかし、いろんな感情がモチベーションになるのも事実です。嬉しさ、悔しさ、怒り、憧れ、絶望、焦り、期待、後悔。挙げたらきりがないですが、そういう感情がエネルギーになると思います。感情やエネルギーは周りに伝播するからこそ、ポジティブな感情を共有することが大事であると同時に、いかにしてネガティブな感情を消化させるか、それを前向きなエネルギーに変換させていけるかが大事だと思っています。自分の感情を押し殺すことなくきちんと受け入れて、エネルギーにしていって欲しいと思います。そして、責任、辛さ、悔しさなどを、みんなで背負うことができるのがチームの良いところだと思います。例えば、怪我に苦しんだ経験を持つ人はチームに沢山います。練習中コートの外で自分を惨めに感じながらするリハビリよりも、コートを走り回るきついメニューをする方が何倍もラクで楽しいことを知っている人が何人もいます。苦しさを共有することで、前を向けるようになったりと救われることがあると思います。そのために、周りに共有することをして欲しいと思います。
そして、チームを愛してください。愛すだなんて大袈裟な、と思うかもしれませんが、それがチームが強くなる道だと思います。いろんなモチベーションがあっていい、という話を何度もしてきましたが、「チームのために」というモチベーションが一番強いと思っています。「チームのために」、努力し続け、周りに声をかけ続け、正しいことを褒め合い、間違っていることを指摘し合い、鼓舞し合い、行動し続ける。自分が成長するということは勿論結果的にチームのためではありますが、何か行動するときの理由が「自分が成長するため」ではなく「チームのために自分が成長するため」であって欲しいと思います。そうすることで全員が逃げることなく同じ方向をむき、良いチームを形成していけると思います。「チームのために」を素直に思えないとき、自分もしくは組織が間違っています。そういう時は、勇気をもって周りに伝え、正面から向き合って欲しいと思います。
偉そうに書いてしまいましたが、私が4年間を通じて感じてきたことです。2021年度、2部昇格という目標は果たせなかったけれど、そのために何が必要なのかは見えてきたと思います。そして、リーグ戦を通してどんどん成長していくみんなをすごく誇りに感じていました。今年得たものと悔しさをしっかり次に繋げ、みんなで声を掛け合い、支え合い、信頼しあって強くなっていくチームを目指していって欲しいと思います。

最後にはなりますが、ここで感謝を綴らせてください。まず、言葉や行動で、多くのことを教えてくださった先輩方、窮屈に感じていたかもしれないけど4年生を信じてついてきてくれ、サポートしてくれた後輩たちのおかげでここまで本気でバスケに取り組めていたと思います。
また、沢山の時間を費やしてくださった社会人スタッフの皆様、OGOBの皆様本当にありがとうございました。いつも期待の言葉をかけてくださったことが、私のモチベーションになっていました。特に伊藤先生には感謝してもしきれません。私とコートの外で一緒にトレーニングしてくださった時間や、プレーのことチームのことを話していた時間がなければ、ここまで頑張ることはできなかったと思います。自分にとって本当に大切な時間でした。大変お世話になりました。
私が苦しいときに話を聞いてくれて、外に連れ出してくれたり、いつでも応援してくれた友人たち、大切な人たち、本当にありがとう。
そして最後に、同期のみんな。私がプレイヤーになりたがった理由は、同期のみんなと一緒にバスケがしたいと思ったのが大きくて、それが果たせて本当に嬉しかった。どんな時でも、励まし合って、悪いことはきちんと話し合って指摘しあって、本気でぶつかって、4年間を過ごしてきた。4年間チームのためということを掲げ続けられたのも同期のおかげだし、何より同期みんなのおかげで頑張り続けることができたと思う。どんな時でも踏ん張って、チームのために体現し続ける同期四人ともが、本当に誇りで、大好きです。書ききれないので、この辺りにしておきます。
長くなってしまいましたが、慶應義塾体育会に携わり、バスケを本気で取り組める環境にいられて幸せでした。本当に人に支えてもらってばかりで、濃い4年間でした。
これで14年間のバスケ人生は終わりますが、今後はOGとしてチームをサポートする立場になりたいと思います。
今まで関わってきた皆様、応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。
今後とも、女子バスケットボール部をよろしくお願いいたします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
チームの伴奏者(活動日誌) -塚本萌花
2021年9月30日 18:00
こんにちは。慶應義塾大学法学部法律学科3年並びに体育会女子バスケットボール部の塚本萌花 (CN:チャコ)と申します。拙い文章ではありますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。
8月中旬から始まったこの企画もついに終盤を迎え、残り2回になりました。これまでの活動日誌はもう読んでいただけましたでしょうか。オリンピックにて歴史的偉業を成し遂げた女子バス ケットボール日本代表の話題から始まり、各々がバスケットボールと自分自身を重ねることで見えてくる彼女たち自身の強みや、本塾女子バスケ部について知っていただけたかと思います。
さて、1・2ヶ月ほど前の話題になりますが、東京オリ・パラリンピックをご覧になりましたでしょうか。私は今大会を見ていて、とある存在に目が行きました。
それは「ガイドランナー(伴奏者)」です。
ガイドランナーとは、視覚障害のある選手をゴールまで誘導するランナーのことで、選手にとっては欠かせない存在です。ガイドランナーとして携わるきっかけは人それぞれですが、全員「選手のために」全力で取り組んでいます。選手の強さを最大限引き出し、目となり頭となり支えていきます。 また、ガイドランナーとして務める上で欠かせないのが選手との「信頼関係」です。どんなに自分が勉強して頑張ったとしても、相手に伝わらなければ、相手からの信頼がなければ結果には結びついてきません。ましてや、選手にとってはどんな顔で、どんな性格なのかわからない人に自分 の選手人生を捧げるのです。
ガイドランナーの役割や、取り組むにあたり必要なものは書き切れないほどたくさんあるとは思いますが、特に「選手のために」と「信頼関係」については、マネージャーとして活動している私自身と重なる部分が大きいと感じたため挙げさせていただきました。日々コートの外から客観的な視点で練習を見ていますが、いくら一方的にアドバイスや意見を発信しても選手からの信頼がなければ受け取ってもらえません。アドバイスもただ伝えるのではなく、チームが一つでも多く の勝利を得るために、選手が少しでも成長できるために、何が優先で、何が必要なのか考えて発言する様にしています。
最後になりますが、2021年チームも残り2ヶ月を切り、目標である2部昇格という結果をご報告できるよう選手、スタッフ一同励んで参りますので、今後ともご指導、ご鞭撻のほど何卒よろしくお願いいたします。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
次回は、文学部1年の伊熊そら(CN:イト)です。お楽しみに!

基礎の力(活動日誌) -阿部七奈子
2021年9月27日 18:00
こんにちは。慶應義塾大学商学部2年ならびに体育会女子バスケットボール部の阿部七奈子(CN:イチ)と申します。この度、活動日誌の第21弾を務めさせていただくことになりました。拙い文章ではありますが最後までお付き合いいただけると幸いです。
現在、私は地元の小学校でサポーターのアルバイトをしています。先生方の作業の手伝いや生徒の見守りなど、小学校ならではの業務を経験することができ、日々沢山のことを学んでいます。また、小学生の若さと放たれるパワーには、とても元気をもらえます。
このアルバイトをしている中で、私は小学校教育に対する懐かしさと同時に指導の厳しさを感じました。自分の小学生時代と大きな違いはありませんが、中学高校と自立していくにつれ自由度が高くなるせいか、小学校はとても厳しく感じます。そして私はアルバイトの回数を重ねていく中で、その厳しさは人としての”土台”を作るためであると気付きました。行動の善悪をはっきり区別し、些細な間違いでも注意することは、今後社会へ出ていく上での根底となる土台を築き上げることに繋がり、小学校の6年間はその為の最も大切な時期であるといえます。
私は、この土台作りという点にバスケに通ずるものを感じました。土台が固まっていなければ、その先を積み重ねていくことは出来ません。プレー面、知識面ともに基礎が定着しているからこそ発展させることができ、質の高いチームプレーに繋がっていきます。今年度のスローガンである「全進」の為には、一人ひとりの基礎の徹底と互いへの厳しい目が必要不可欠です。リーグ期という大切な時期こそ基礎を怠らず、今年度の目標である「2部昇格」をチーム一丸となって必ず達成します。
今後とも弊部のご指導ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回は、経済学部3年の塚本萌花(CN:チャコ)です。お楽しみに!

真似ぶこと(活動日誌) -ビディンガー美亜
2021年9月24日 18:00
慶應義塾大学商学部4年並びに体育会女子バスケットボール部のビディンガー美亜(CN:エマ)と申します。今回の部員の活動日誌の更新も残りわずかとなりました。拙い文章ではありますが、最後までお付き合いいただければ幸いです。
活動日誌を書くにあたり、私は4年間のどのタイミングで成長してきたのかということを考えてみました。体育会に所属していると、競技面も人間力もどちらも大きく成長することができると感じております。今回は競技面に焦点を当てるとすると、大きく2つあると考えました。シーズン開始初期などの基礎を徹底的に磨く期間と、試合期など習得したことを実践する期間の2つです。
基礎を磨く期間では、個人のスキルや連携プレーのスキル向上を目的とし、インプットの要素が多めの練習をしてきました。バスケットボールを何年やっていても基礎力の重要さを痛感しますし、基礎を磨くことが成長に直結すると感じています。
そして、学んだことを実践する機会である「試合期」などが成長する期間であるということについては、例えばチーム力が向上するという点や、試合を通じて経験を積むことができるという点など様々な要因が挙げられると思います。そして私はその中の一つとして、「コピーチームとして練習する」ということがあると思います。
コピーチームというのは言葉の通りで、相手チームのコピーをしたチームのことを指します。試合が近づくと、戦う相手チームの戦術や選手の特徴などを分析します。そして、それをコピーしたチームを作り、試合に主に出る選手らと対戦する形での練習をすることで対策を練っていきます。例えばリーグ戦において7校と対戦する場合、7パターンのコピーチームを作り、対戦練習を通じて準備をし試合に挑みます。
ではなぜ、コピーチームと対戦する側だけでなく、コピーする側が成長するのか。それは、「学ぶ」は「真似ぶ」という言葉があるように、相手チームの特徴、すなわち強みを真似することで学ぶことが多くあると考えているからです。普段は、自分の強みを伸ばしたり、弱みを克服することを目的として練習します。ただ、それは自分のプレースタイルを確立し、固定することでもあると思います。他の選手のコピーをすることで、普段の自分なら選択しないプレーやタイミングをチョイスし、自分のプレーの幅を広げることができます。また、インプットとアウトプットを同時に行うため、多くのことを吸収することができます。これが、私がコピーする側も大きく成長できると考える理由です。
今週末からリーグ戦が始まります。2021年度チームの最大の目標であり、そして個人としても4年間の集大成となります。「2部昇格」に向け、一人一人ができることを最大限に全うし、チーム全員で目標達成したいと思います。今後とも弊部のご指導ご鞭撻の程宜しくお願いいたします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
